2008年10月24日金曜日

南島漫遊記 Ⅳ


 最後の夜は首里城周辺を散策し、石畳通りの中腹で最後の晩餐。途中ではここの町内会の会長さんに出遭いワンポイント観光案内をしていただいた。周辺は首里王朝の大臣や家臣の住まいしたところ。この屋敷は今で言う外務大臣の住んでいたところ。彼が「石敢當」の習わしを中国から持ち帰った、ほれそこの小さいのが琉球で最初の石敢當(目立たぬものでした)。いいかな、向こうに見える登りの坂道、舗装道路になっている。あそこも戦前までは石畳。王朝のころ王様が通った。沖縄戦のときの艦砲射撃で何もかも吹き飛ばされたが、こちらは陰になって残った。集会所では祭りの準備が進んでいた。
 
 O社のY社長は47歳で「シュリンチュー」(この見晴らしのある高級住宅街に一軒家を持つ人のこと、住人)。私たちのオーダーを含めていろいろな種類を一皿づつ単品で注文。お勧めは二皿で。この心配りが「素敵ぃ!」とマダムたち。ナルホド、美しきマダムたちのコロシカタを習得した次第。ナンボでも食え、どうだマイッタカとか言う大手組合の役員さんにはできないマター(それはそれでありがたいが)。Yさんの部下のTさん。石垣島でK さんがあの人はインド人だと言っていた訳がわかった風貌の人。確かにターバンを巻いていても不思議ではない。おふたりとも久米島出身のシマンチュー。

 晴れ渡る沖縄本島中部の恩納村漁協では養殖もずくの種付けが始まっていた。わざわざ私たちのために船をだしていただきリーフの珊瑚回復の努力の現場を見学、また加工場ではマダムたちがもずくの選別加工の実体験。厭わずこれを体験される元幹部のこのマダムたちはエライ!

 おいしかったなぁ、案内された地元の食堂。注文名が「ミックス」という皿の単品はアバサー(ハリセンボンのこと)の皮、ナマコ、地イカ、地ダコと野菜の炒めもの。琉球の「浜の食堂」でしか食べられないような珍しいものでした。魚のバター焼き定食は大きな地元の魚をまるごと食べました。ホントに久しぶりに丸ごとの魚を食べた気がします。大勢でいただきましたのでどの魚が出てくるかわからないのです。画一ではない定食はサイコーです。漁協技術指導員の比嘉さんは選り好みしておりました。私があやふやな言い方でもしようものなら、いちいち訂正してくるすばらしい科学者。ここを最後の訪問地として那覇市内の牧志市場にも大急ぎで立ち寄って無事帰って来たのでした。

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