2008年10月16日木曜日

伏目海岸の砂蒸し温泉

 どんな癒しのサロンに高い金を払って行くよりも効果があるのではないかと考える。

 学生時代、最初の春休み、ふらりと奈良の友人が訪ねてきた。今、駅だという。一晩泊めてやり、お前も行くかと言うから一緒に県内をまわった。さすがに関西人だ、玄関先で「今晩部屋はあるか、それで幾らか」と交渉した。そういうことをしたことがなかったので、その後の人生で参考になった。

 国民宿舎でレンタサイクルを借りた。海の近くにおもしろい形をした山が見えるので目標にして行ってみた。あたり一面菜の花が咲かせてあった。たどりついたのは伏目海岸というところで海岸段丘になって砂浜があった。その砂浜の一部分から水蒸気が上がっていた。近づいてみると砂が相当に熱い、地元のひとがふかし芋をしている。おもしろそうだからやってみようということで近在の農家を訪ねた。

 当時は牛糞堆肥の類の匂いが全体に漂い、農家の軒先では蝿がすごかった。芋を買い求めようとしたが、老人の話す南の薩摩弁は私でも簡単には理解できなかった。今ではそういう老人はいない。海岸に帰り試してみたら見事にふかし芋ができた。旨くておもしろくて胸焼けするほど食べた。

 卒業の年に彼女とも訪れた。その人が生涯のつれあいになってその後何度も訪れた。

 まもなくして地熱が吹き上げているところは町によって「砂蒸し温泉」の設備がつくられた。砂浜はほとんど消失し、海岸はテトラポットのようなコンクリートで守られる景観となった。近くには最近、公営の大露天風呂の設備もつくられた。遠くから訪れる客も多くはなったが、本土の南の端でさほど混んではいない。

 寄せては返す波の音を聞きながら、仰向けになり、掛けてもらった砂を布団代わりに、砂の熱さと重さでしばしウトウトする。海風を受ければなおここちよい。
 上がりの温泉のお湯はまるで捨てているように出てくる。お湯から揚がれば海から突きでる薩摩富士を眼前に仰ぐ。ぷはー。

 ぜいたくをするというのはこういうことだ。私は常々そう考えている。

 鳶がぐるぐると舞い、雲が流れる。

 開門岳の頂上の表情で明日の天気がわかるという。
“きびなご”が獲れ過ぎれば地区の有線放送で取りに来いということを聞いた。

 露天風呂には赤蜻蛉、足元には猫がじゃれついてくる。

 ここちよいと思うところにカラダを持ってくればよい、何にしがみついているのだ、ひとの役に立つことをせよ、理念はあるか、そうして生きていけるではないか、戦争を知っているか、という人に出遭った。東京に帰れば温度差。体調が芳しくない。

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