2008年10月7日火曜日

父方のこと


 祖父は徳蔵という。幕末の生まれ。嘉永元年(1848年)、篤姫さんが12歳のころだ。父は明治37年(1904年)の生まれ。日露戦争の年だ。小林多喜二さんの一つ歳下、元首相の福田赳夫さん(康夫さんの父上)より一つ歳上。それぞれが50歳を越してから末子を儲けた。

 祖父は金山で財を成したらしい。父は何故か神戸の山本通りという高級住宅街で生まれ、水道の水で産湯に浸かったというのが自慢だった。祖父は男児には鶴亀、松竹梅からとって名を付けた。父は長兄の鶴蔵に事実上育てられたらしい。だが、なぜか父だけは次郎という名だった。

 鶴蔵は大正年間に醸造業を興した、正しくは蒸留業と呼ぶべきだろうか「しょつや(焼酎屋)」と呼ばれる。○○山の伏流水が湧くというそのローカルな地名をブランド名にした。これを継いだのが次男の喬(たかじ)という。俳優の志村喬さんと同じ名前で分厚い唇が同じ特徴だったなという印象がある。父は甥だから呼び捨てにしていた。喬さんは父と3つしか違わなかったが父を叔父さんと呼んで立てていた。このように父の実家は焼酎屋だった。だが、分家の末子である私にとっては「本家というところ」でしかなかった。おもしろいことに父方はみな下戸で、母方はヘビーユーザーだった。血筋からいえば喬さんは私の従兄弟で、本家の当主としてよく分家には目を配っていた。私にとっては世代がずれてしまい、今の本家の当主は喬さんの子、孫、ひ孫の世代でありもはや親近感は遠い。苗字が一緒というアイデンティティーだけという感じがする。本家との関係では父も末子、私も末子で随分歳が離れ、世代がずれた。

 喬さんは営業で自ら全国を飛んで回ったと母から聞いていた。30年前に第1次のブームがあって、当時は「白波」のような有力ブランドにのみ恩恵があった。今は第2のブームで、とうの昔に日本酒を凌駕し、もはや女性にも親しまれている。今、本家は有力ブランドのひとつである。身内の贔屓になるが、じゅうぶんに芋くささのある芋焼酎で、個性が強くて、嵌(は)まればリピーターは多いと思う。

 おていおばさんという品のよい親戚の人がいた。なにかあれば必ず本家の人と同じように寄ってくれた。この人が亡くなっても、どういう関係か知らなかった。父が祖父の後妻の子であったことは承知していた。戸籍を調べて私たち兄弟は驚いた。「てい」さんは父の実の姉であった。つまり伯母さんだった。それで父が2番目の子という意味で「次郎」だとも想像できた。父からも母からもおていおばさんが、実の伯母さんであるようなことは一度も聞いたことがなかった。なにか事情があったのだろうか。あまり顔つきも似てはいなかったように思う。父の母つまり祖母は一時期父母と暮らしたことがあるそうだが、外地での生活であったのでホームシックになって帰ったらしい。戦前の話でそれ以上は知らない、兄姉にもあまり記憶にはないようだ。

 我家では妻も娘も次男も本家のブランドを嗜(たしな)んでいる。

1 件のコメント:

ブナガヤ さんのコメント...

そうなんですね。
おかげさまをもちまして素晴らしい芋焼酎をいただけました。私の遠い親類で「しょつや」もいます。今は遠い関係ですが、父が存命な頃はよくきつ~い「芋」を送って頂きました。

元来カゴマは結束が堅いですが、ハトコそのまた先になるとやや希薄になりますね。しかしやはり私の血はカゴマだとおもっています。