2012年1月30日月曜日

どうだ


なんだ、まともな赤ちゃんじゃないかって
飛び込んできた画像みて思わず涙が出た

2280gと2400gぐらい

元気な双子の女の子
「さくら」と「ももこ」って、つれあいは勝手に呼んでいる
あたしは「いとこ」と「はとこ」、そう心の中で呼んでいる

母子ともに無事!
ちかさんは10月16日に緊急入院して以来だ


息子は今日も遅くまで一緒にいるらしい

2012年1月29日日曜日


第一子のときなんか指が五本あるかなんて
心配したものだった
それでも子が授かるたびに
五体満足か
とは思った

いまは
アレルギーがどうかとか
放射能汚染の心配
考えれば
なんてリスクの多いことだ

決まった
月曜日
チカさん、よう頑張った
息子も激務をこなしながら、よう付き添った
やさしさ
これが、にんげんのちから

決めた
志願することに
職業訓練学校に自ら入りたいと思うなんて人生初めて
(今さらながら贅沢な話だが)

2012年1月28日土曜日

さらば戦争映画祭2012よかった!


こんなにいい企画なのに少し残念だ
鎌仲さんの最後の発言でも触れていた
「『さら戦』にもっと来てほしい」「映画祭は『祭り』にしたい」と。
そう思う。共感!
アンケートに「元気だして」と記入し、すべての個人情報をいれた。
いい人ぶっていてもしょうがない。
ここんところの経験でわかった、参画しよう
もっと人集めなきゃ、言うは易しで、やらなきゃ
人は人に向き合わなければ動かない
フェイスtoフェイス

わたしひとりでなにができるか 
ひとにむきあう 声を出す、勇気をだしていく
ひとりひとりにいろんなやりかたがある


取り組みも遅れたな、船頭もたくさんいそう
わかる わかる


私自身もいい映画を観たい、いいね

2012年1月27日金曜日

04だい!



「かあさんがよなべをして手袋編んでくれた♪」
つれあいはおくるみを編んでいる。
ふたりぶんでおそろいにする
材料費も嵩んだ
おいこみだ
りっぱなものができる

その日がいよいよ決まった
母子ともに無事であることを 祈る


「おとうはどまで藁うち仕事、お前もがんばれよ~♪」
協力者の方に夜分に電話すべきかメールで済ますべきか
結局メールをうつ

いただいた注文の住所を打ち込む
日付が変わる前に送りたい


できるできる
なら、いま、やらなくていつやるの

かあさん、ここ都内なのになんで「042」なの?
あるよ、そんなの

それでうち「04」じゃない
するとね、とうきょうのひとってね、「ん!」って振り返るの…

「とおさんの こころが痛い
 生みそをすりこむ
 仕込みも終わりゃ もうすぐ春だで
 島旅が待ってるよ
 新聞配達の音が聞こえる
 こころが遠ざかり
 なつかしさがしみとおる♪」

2012年1月26日木曜日

うるわし都♪


はっと気が付けば12時前
今日の説明会を逃せば期限的に資格がなくなる。
私にも人生がある。

敷きっきりの布団を干せなかった。
干したバスタオルに洗濯ばさみをはさんでおくのを忘れてた。落ちてる!

東京へ急ごう

東京へはもう何度も行きましたか♪ってこの歌大好きなのに唄えない。

主夫のメシは抜きだ、バッテンおいもです、なはv

いないいない


人間の成長の一番初期
あかちゃんの時代
無垢の目は動く表情を追っている
自分ではなんにもできない時期
仮に接する人間が能面のように無反応無表情であると
やがて病気になり
やがて死んでしまう
せっかく生まれてきたというのに
いないいない…いない

のどの痛み
乾き、寒さ


電話を切る前に訊いたらおしゅうとめさんと同じ名前
いないいないばあの「陽子」さんはお日さまのヨウコ。
おひさんに向かえば、きっとあたたかくなる

2012年1月25日水曜日

笑わにゃしゃあない


起きたら喉がイガイガしている。これはやばい。それでうがい薬を使ってうがいをする。天井を向いてガラガラとする。ところが、むせる。それで、ついむせて勢いよく吹いてしまう。天井から洗面台の上部がうがい薬の色に染まる。おお慌てで拭き取る。

隣町の銀行に行く。日の当たらない道にはまだ少し凍った雪が残っている。へたをすれば自転車の細い車輪がとられる。つい忙しさに紛れて県民税・住民税を振り込むのを忘れるところだった。前職なら今日は給料日、無収入になればこの税金は大きい。銀行で待たされている間に、郵便局にも寄ってもらう。携帯電話のショップに寄り、調べてもらったら案の定12月から通話料とメール代が大幅にアップしていた。プランの契約を二ランクあげて、機種も新しいのに変えた。午前中で済むと踏んでいたら、帰宅したのは夕方近く。汗をかいていた。午後にお金と申込書を持ってくると言っていたOさんの来訪の時間が気になっていた。帰宅して間もなくのところで、ようやく間に合った。職場でOさんを含め3人に購入していただいた。あのう、どうしたらいいんでしょうと。味噌の出来は長丁場。フォローしなければ。

私はもう仕事の組織には属さない。自ら辞めた。大きな組織の職員でもなければ、下請けでもない。まっぴらだから辞めた。持ち出しばかりで無報酬でやっていることは自立そのものだと考えている。自分たちの頭で考え、分担していく。もちろん、自分ひとりでできるはずがない。大きかろうが小さかろうが協同できる相手とは協調していく。その限り。網を掛けたらなんとかしてくれるだろうなんて思っていないし、できるものではない。

片足立ちをすれば、今日はバランスがうまくいかない。
腹筋に体質的弱点があって、ちからがない、足先が浮く。

あとはよろしくね。そういうことなんだろうかな。
空に向かって吹いてしまう。

関西でいうところのそうなりゃド根性、
「笑わなしゃあない」。

2012年1月24日火曜日

電話の向こう


今日はゆっくりしたいと思った。昼間には映画「道」がある。

何回か電話したがつかまらない。向こうから電話がきた。電車に乗るところらしい。やってみますとの再度の申し入れ。よかった。その旨伝える。「あは」とVサイン。

午前中パソコンに向かっていたら銀行のOさんからの電話。何事かと思いきや、明日が1回目締切の「玄米味噌づくりセット」を3人が購入していただくとのお申し入れ。明日現金をお持ちいただく。12月から何をしてお過ごしですかとの世間話に実はこれこれこういうことをやりますのでよろしくと言っていた。年が明けて注文ちらしができたので、預金のときにお渡ししておいた。玄関に仕込んだ味噌もあって話題もはずんだ。

メーカーのTさんと携帯で電話しているときに、家電が鳴った。大事な用件だったのでとれなかった。

昨日の鍋の残りをおじやにして口にかけこむ。そのお昼だった。家電がなった、奥さんはいますかと。今日は熱も下がって仕事に出た。不在を告げるとご主人ですかと尋ねられる。ミュージカル仲間らしい。お味噌のことでと。「味噌づくり講習会」をやってみたいとのことだった。少しのやりとりをして資料を送るべく住所をお聞きする。昼休みだったらしい。しまった、ほかの用件に時間をとられて送り損ねた(あせり)。

ほぼ同時にまた、ママさんからメールをいただく。ヨガの先生に話を持ちかけ検討いただくとのこと。ヨガの先生にはぴったしだ。集まるか心配だとおっしゃるらしい。

準備の少しの経験上の助言をする。
皆さん、集められるか不安だとおっしゃいます。開催の趣旨を適正に訴えれば、人には心があり繋がりがあるものです。己をみつめる、そしてひとをたすける。なんとかなるものです。参加費の4000円のハードルが高いという声をちょうだいしています。一組というペアになっていただいて割り勘で参加していただく工夫もしていただいています。ですから定員20「組」などとしています。仮に少なかったとしても、必ず伺います。ご安心を。

次々と協力者に出遭う。まだお会いしていないが、人生を考えて生きている人たちだなとの印象を受ける。

主夫は夕食の準備をしなければいけない。7時が過ぎた。また、パソコンに向かっていた。映画を観ることもできなかった。ナンデこんなに時間が経ったのだっけ。なにもできていない。
献立、…魚を焼くのだった。玄米味噌の味噌汁添えて。もうすぐ帰ってくる(汗)。


夜は内側をみつめよう。ネガティヴをおいてこよう。あっ、メールと資料送らなくっちゃ!

ふと電話の声を思いだす。
スーパーマンやらなければ。

2012年1月23日月曜日

暖かい協力者


床に就いたのは夜中の2時ごろだったので、隣のつれあいがごそごそしたのはもう出勤時間かなと思った。はっと目が覚めたのは朝の7時20分ごろ。布団の中からテレビの方を向いてリモコンのスイッチを入れる。“糸子”はんの展開を観る、なるほどそうなるか。観終わってふと寝返りをうつと、なんと隣の布団につれあいが居るではないか。こちらを向いて、額に冷えピタして、枕元にはお茶だの体温計などがある。一緒にこちらを向いてテレビを観ていたようだが、全く気配を感じなかった。

えらいこっちゃ。8度何分あるという。勤めにはいけない。

結局、寝たきりになった。

今日は2週間ぶりの会議の日。あれこれ資料をまとめる。どうしても直前にしかできない悪い癖。議事項目すら直前になる、これがいけない。出席者はいきなり議事項目をみることになる。とはいっても、この期に及んでこの頻度で開くのはお味噌づくりの進捗、点検、はっぱかけに決まっている。ず~っと、資料作りに忙殺されている。協力者を獲得するために必要な資料のことが次々と浮かんでくる。協力者の立場に立ったら何が必要で十分か。不足は不親切だしわからない、多すぎるのも迷惑で何を言いたいのかわからない。

いつも印刷を引き受けてくれる人が今日は休みなので、出向いて行って自分で印刷しなければならない。それなのに、出発がギリギリになる。

雪になるから傘を必ず持って行けとつれあいが布団の中から心配する。車中、協力を申し出た人に昼間送ったメールにミスがあったことが携帯に届いたメールで判明する。

会議では「詰めちゃった」(追い詰めたらいけない、自己嫌悪に陥る)。帰りの地下鉄の中でメンバーのKさんからOさんのことご存じですかと訊かれる。ああ、こんな私のよき理解者ですよと応える。奥さんが素敵なひとだっておっしゃってましたよ、と。

帰りは雨。今から帰るとメールしたら、「こちらも雨」だとのこと。ところが、帰り着いたらボタン雪。もう一面の雪景色。サドルに雪、それで帰ってきてもいつまでもお尻が冷たい。玄関を開けたのも気付かない様子で寝ているらしい、それが8時半過ぎ。急いでキムチ鍋を用意する、パートの勤め帰りの主婦のようだ。主夫だ、豚肉があってよかった。頭が疲れたので、久しぶりにBSで映画「かもめ食堂」を観る。

つれあいの熱は37度まで下がった。

いくつもやらなければいけないことがあるが、まずは昼間送ったメール内容のミスについてお詫びと訂正をいれなければいけない。誤解を与える可能性が充分にある。もう11時半だ、電話は明日になる。

雪になった。暖かい協力者が現れる。なによりもありがたい。

2012年1月22日日曜日

雪中駆け巡る記


金曜土曜日が雪になった。公式には初雪だ、以前にちらっと降った記憶があるのだけれども。

そんな日に限って外回りだ。斉藤さんのお宅に、何回もなんかいも練り直したチラシをお持ちする。木曜日は電話の向こうでまだ納得していなかったなぁ。金曜日は朝から多少積もっているが、凍っているわけではない。OKになれば、知り合いの事務所で100枚ほど刷ってもらえる。そしてバラ撒いてもらえる。ありがたい。

郵便局に行ったら、印鑑を持ってきていなかった。ママチャリで往復する。気が急いていて傘をさすのは面倒だ、レインコートで済ます。今度は手袋とマフラーを忘れる、たいした問題ではない。通帳記入をするが、金曜日のお昼時点では私以外の入金はない。まるで、寅屋の裏のタコ社長のようにぼやきたくなる、「中小企業のつらさがわかってたまるか」。

紙がない。トイレではない、インクもそろそろだ。雪は降る♪だ。

晴れた日には部屋に閉じこもりパソコンとにらめっこ。「ああ外に出てぇ」と思っていたのに、いざ出なければいけなかった金曜日に限って雪(みぞれ)だった。

ハングル文字の毛糸帽にバーバリーのレインコート、穴の開いたホーム用ソックスを履いた初老の老人、茶畑と町の間を駆け巡る、だ。

郵便局の春川さんに大変ですねぇって言われた。いいの、いいの。その笑顔でええの。
それでも、三十数日ぶりに雨雪が降った。それで、ええねん。

つれあいもみぞれの中、昔のママ友のお宅にお願いに行く。快諾だった。
ミュージカル仲間に連絡する、直ちに私的連絡網で伝わる。
飯能の先生にも連絡する手筈だ。

2012年1月21日土曜日

おいもです


理事長と北村に頼まれた仕事は今日で終わる。別れを告げなければいけない。糸子は彼に花の枝を差し出し、ひとこと言わせてほしいと。「好きです」。そう告げて部屋をあとにする。部屋を出ようとする後ろ姿の手をはっと掴み、彼も告げる。「おい(俺)もです」。
さて、展開やいかに。
本日の朝ドラ「カーネーション」のラストシーン。

私は九州弁バ駆使できるとバッテン、「おいもです」そう告げる。
ところがだ、うちの野暮天は「は?」とくる。「おいもが…」どうしたのときた。
ったく、もう。仕方ないので「好きです」「おいもです」と並べる。
あっ、あぁ、そのことぉ。ガハハハ、ハときた。
ムカシハ燃えるような恋路があったのに。ワタシタチニモ…。


私が「仕事」に朝から深夜まで大騒ぎして巻き込んでいるものだから、あんまり進まない。だけれども、合間を縫って編んでいる。ときに私の遅い就寝後になることもある。好きなので没頭できるという。

生まれてくる赤ちゃんのおくるみ。何しろ二人分だ。
「間に合うかな」「買えばすむはなしなんだけど」そうつぶやいている。


あのとき図書館でそう告げられていたら「おいもです」って言っていたな。言葉通じるし。
人生変わっていたかもしれない。・・・ない、ない。妄想。

さっ、これから。これから。
んで味噌は食べればいいって?おいもだよ。

2012年1月20日金曜日

にゃんのきゅん日記


レモンをひとくちかじったような若い日の思い出は誰にでもあると思う。

朝ドラの「カーネーション」は欠かさず観るようにしている。日によっては朝昼3回ほど。「げげげの女房」もそうだったが、展開がおもしろい。生活の情景にノスタルジアも感じる。

いつかの明け方はっと想い出した。
何が?
目の切れ具合、笑顔の表情。今演じられている糸子(の女優さん)に似ている…、と。

それまで誰かに似ている…と無意識にあったのだけれども、そうだ、私なりの好感度。

私は高校を卒業するまで女子と口をきいたことはほとんどなかった。たんなる意識過剰。

私は当たり前のように普通高校に進学した。たまに、ほんとにたまに市の図書館で商業高校に進学した真理子ちゃんと鉢合わせすることがあった。目が合って目であいさつをしたような、しなかったような、私の方から声をかけることはなかった。とびあがりたいほどうれしかったのに。本のページをめくっていても何も頭には入ってはこなかった。中学のときの同級生。運動神経抜群で、きりっとした感じ。久しぶりに遭った真理ちゃんは「女」になってすごくまぶしくみえた。そのときの斜め後ろ姿が脳裡にある。

でも、赤い糸は別にあった。それを今度は手繰り寄せることができた。
故郷を離れ学生になって人が変わった。思春期を過ぎて青春期19歳のときに初めて女子と親しく口をきいた。背が高くてぽっちゃりしていて色が白く、おっとりしていた。そして、今いっしょに暮している。当時私は「面白そうなひと」に見えたらしい。裏切られたけど…と続くが。

「あれから40年」(きみまろ)だ。
ときに口にだすから、マリちゃんってどんな人って聞かれたことがあった。そんなこと言えるかいと思っていたが、そうだ「糸子」さんだ…。イメージは。びしっばしっとしていて快活。

でも、もう違うかもしれない。
こっちだって「シャンプーしたい、リンスもしてみてぇ」(火野正平)というオジイサンになってしまった。仮にもし遭えたら、またドギマギするのかなぁ。きゅん。

2012年1月19日木曜日

表現力


私は求職者の立場。講習に出た。
いわば自分が商品でしょ。その商品である自分がわかっているのですか。あなたが表現しなければその「商品」は誰もわからない。履歴は変えられない、でもそんなところ誰も読まない。あなたのこれからを知りたいのだ。相手が知りたいことを表現しなさい。ながながとききたくない。ひとことであなたはどんなひとですか、なにができるのですか。
相手のニーズに立って準備をすることなんです。
そうなんだ…。す~ごく身に染みた。そうなんだ。

講習の帰りにハローワークに寄る。
4月から職業訓練学校に行くことを相談する。受ける資格はあるらしい。ただし、その学科は定員がある。首都圏一帯でわずか20名だから、抽選らしい。でも、試験でなくてよかった。読み書きはさすがに大丈夫だとは思うが、数学はだめだ。志願書をつくらなければいけない。

夕方5時を過ぎてもさほど暗くはなくなった。クロスバイクを飛ばして帰路に着く。

私は何者で、これから何をしたいのだろう。
今、立ち上げたものもそうだ。空を飛ぶように考えるのも大事だけれども、私の立場は踏みしめられる着地を確かめながら進まねばいけない。
もう走りながら考えるしかないのだけれども…。

寒の仕込み


寝不足運動不足が続く。今日は来客2件、それにソータロー。

ソータローは熱を出して、共稼ぎの息子夫婦に替わって急きょ預かることに。
来客のひとりは斉藤さん。生協のお店で買い物中だというのを来てもらった。

斉藤さんはすごい!
製作に午後いっぱいかかったチラシを「よくできましたね」と言ってくれるのかと思いきや、ダメっという感じで納得するまで修正を求めてくる。この苦労人のご婦人は地道な地域の活動家。私の上の姉と同じ昭和15年生まれらしい。

字が多い。その表現違う。その文字いらない。もっと削れ。あれが抜けている。そんな固い言い方だめ。大事なことが抜けている。一言で人のこころをつかまなきゃ。これだったら、参加したいっていう風に。この言葉も要るの?削れ。ここに線がいる。この行間バランスがとれていない、これじゃ落ち着かないよ。パソコンなんてできないと思いきや、パソコン教室に通っているらしく隙はない。

人にはどのように伝えるのかということを、どうしたら伝わるのかということを、お姑さんが大豆をもんでつぶして、種味噌を入れてつくる仕込み味噌のように、人生で培ったノウハウをみっちり仕込まれた。

もうあの人にもこの人にも声を掛けているらしい。だから自分も使うチラシに妥協はない。引き受けた以上はという責任感があふれている。しかし、厳しかった。

夕ご飯もそこそこに言われた指摘を何度もなんども反復して吟味してつくった。
つい先ほどできあがった。いや、まだ推敲が足りないかもしれない。

誠意をもってあたる。ひとの仕事に真正面から向かう。
生半可、今日はこれが吹き飛ばされた。

福島県飯舘村支援の玄米味噌づくり講習会のお知らせ」

すぐそこの公民館の調理実習室を借りてやる。
時間ないのよと、開催日の2月15日に向けてもう東奔西走していただいている。

あなたが話して、あなたが味噌づくり指南してくれるっていうから、みんな集まるんじゃないの。そんなプロなんか呼ばなくっていいから、みんなはずかしがるじゃないの。カジュアルにやりましょ。

たとえば、実力のあるゆっきんママさんのように「お試しあれ~♪」っていうわけにはいかない。あたしのは付け焼刃…、頭が痛くなってきた。

2012年1月17日火曜日

事始め


んだったら、やってみたらいいじゃない。またも、背中をポンと押されて、未知の世界に。
あぁ、‘をんな’はコワイ、かよわき余情 半の運命やいかに。

んてなことで…、
昨夜からツイッタ―なるものを始めました。む、ふふふ、ふ。
そしたら意外な人がフォローしておりましたね。

ケイタイ取り換えに行こうかな、ひきこもり気味で設定の私のパッケージ通話料、とうに越しているはず。おとろしい。ナビも買おう、知らないところへ行きたいなんて、悠長な意味ではなくホントにそうなりそう。

しばらく、「流るる雲」を眺めて過ごしていません。また、夜更かし、朝刊が来てしまいました。

2012年1月16日月曜日

海の放射能汚染

振込覚えましたので入金しました

 たしかに昨夜のNHKスペシャル「知られざる放射能汚染」観ていましたが、酔っ払っていました。
 深刻です、いや、勿論私が酔っ払ったことではなくて、世界の海のことが。
 1954年以降の南太平洋における一連の水爆実験(*)、および今回の原発事故における垂れ流しと海への流出。
 あらゆる生物と人類にとって取り返しのつかないことを繰り返しやってしまいました。
 自分の生まれた年から同時代のこととして放射性物質の海洋汚染が起きています。
 チェルノブイリ事故、ソ連の核兵器の海洋投棄。
 あまりにも深刻すぎて、思考を停止したり、言ってはならないことになったりします。
 「なかったことにする」これが繰り返されます。
 NHKは過去のこととしてではなくて、それなりに勇気ある報道をしました。

(*)それで、これからの放送でおすすめの番組があります。良い番組は真夜中に追いやられていますが、愛媛県の南海放送が長年ずっと追究し続けています力作です。日本テレビ「ドキュメント12」(ディレクターは伊東英朗さん)でいよいよ放送されます。必見です!以下、日本テレビのホームページより。

311大震災 シリーズ27 
「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」制作 : 南海放送)
放送 : 129日(日)2450 (55分)
再放送 : 25()1100     BS日テレ
       25()1800    CS「日テレNEWS24 

1954年。18ヶ所の漁港に鳴り響くガイガーカウンターの音。水揚げされる被ばくマグロ。南太平洋から戻るマグロ漁船の船体や乗組員の衣服、頭髪、そして魚からも、強い放射能が検知された。アメリカが太平洋で行った水爆実験は、広大な範囲で大気と海水と魚などを汚染。「死の灰」は、日本やアメリカ本土にまで届いていた。しかし事件から7ヶ月後。被ばくマグロが続々と水揚げされる中、日本政府は突如、放射能検査を打ち切った。数日後、両国政府が文書を交わし、事件に幕を引いたのだ。人々の記憶から消え、歴史から消し去られた被ばく事件。なぜ、これまで明るみに出なかったのか。そこには、両政府の思惑と人々の切実な思いがあった。8年にわたる取材から事件の全容を浮かび上がらせる。」

2012年1月15日日曜日

あ 前途多難

できることなら東京方面には行きたくない。
私には東京が巨大な墓場に見える。コンクリートのビル群が墓標、住み家が巣穴にみえる。しかし、そんなことは言っていられない。

説明を追加
福島県飯舘村支援の「味噌の里親」プロジェクト(被災地支援の種味噌プロジェクトから発展的に継承)の訴えを代表の増田レアさんが熱くすらすらと語ったあとに、私は、ボランティアとして「味噌づくり講習会」の開催を引き受けてほしい旨、噛みながら訴える。

訴えの終了後おひとり、開催したい旨のお申し出の相談を受ける。ツイッタ―で宣伝したいとも。ありがたい。広島ピアノさんという男性の方。JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)にもかかわっているとか。

ご近所の斉藤さんとの約束は5時だ。余裕をもって帰れると踏んでいたのだが間に合いそうにない。みなさんにろくに挨拶もせずに会場を飛び出す。

走る。来た道を帰ればいいのに、都会は方角がわからない。途中に路上駐輪してある自転車が目に入る。撮影したかったが思いとどまる。時間がないのだ。細いタイヤのクロスバイクだった。

一足違いで急行は行ってしまった。仕方ない、有料の特急に乗る。それでも、五時半になりそうだ。急なお願いをしておいて、それで遅れるなんて…。

1月も半ばになって、2月の日程が決まっていない団体なんてないわよ(遅いわよ)と言われたのが今朝の電話。おそらくみなさん、そうだろう。そこをなんとかと頼み込むしかない。

話を聞いたからわかるけど、字が多すぎるわよ。それと字が小さい。読まないものよ…。つまりなんなのかはっきり言えばいいのよ。原発事故のためにひどい目にあっている飯舘村の人たちへの支援のためだってね。その方が食いつきやすいわよ。それに案内が遅すぎる。みんな活動活発だから、意外と日程詰まっているのよね。みんな年寄だから、やるとしても午前中。来ていただけるの?その味噌づくりのプロって方、申し訳ないよね(人数少なかったら)。今日のうちに宣伝はしといたけどね、なんだか味噌をつくってボランティアだとか、ハナシ聞いてよかった、やっとわかった。あたし東京育ちで味噌は買うもので、この歳までつくったことないのよね。興味はあるの、聞いたことはあるけど。樋口さんなんかいつもつくっているらしいけど。とにかく明日大急ぎでみんなに相談してみる。でも、旦那さん(私のこと)えらいわねぇ。

ここに至って前途多難はいくつもありそう。出来るようにやろう。人の繋がりを残すことが大事だと考えられるから。善意の実績を残そう。

仮に今年やれなくても、来年はやるわよう、9月から準備すんのよ、その時はやっぱり旦那さん(私)に話してもらう。この間、つれあい様がお亡くなりになって独り暮らしの斉藤さんのお宅をあとにする。

夕食には、久しぶりにお酒を飲む。少し寝不足だ。9時からのNHKスペシャルを見ながら酔いの睡魔におそわれ「やっぱ、えらいこっちゃ、海洋汚染」と夢見心地。でも酔い覚めは早く、湯たんぽを入れて、今度はああだこうだと立て直しを考えながら床に就きました、とさ。

力の無さのはずかしさ。

頑張れ 第7回さらば戦争!映画祭2012


 ここのところ1日置きぐらいに夜更かしになっている。

 土曜日(14日)にやっとこさ案内(チラシ)がきた。昨年のアンケートに住所も名前もメールアドレスもなにもかも情報公開して、宣伝とか手伝うよって意思表示していたにもかかわらずだ。開催の2週間前だよ、まるでどっかのナンたらプロジェクトみたいだねぇ。でも、前回(一昨年の12月だったか)、こうやって仕事を辞めてるなんて思ってもみなかったような、願望していたような…。無意識の予測…。
1月28日にあることは決まっていたから、参加できないとあきらめていたのだけれども、そっちは止めたって主催者が言うから、この映画祭に出られることになったのだけれども。
主催者ホームページより
 今年で7回目、若い人たちが頑張っている。昨日、前売り券代を二人分振り込んできた。郵便局の機械で振り込みやったの、生まれて初めて。うぶでしょう。そしたら振込料80円で済んだ。でも、「さらば戦争映画祭実行委員会」って団体名口座つくったの大変だっただろうな。いや、7年前だったらそうでもなかったかな。のべ三日通って、その日は代表と一緒に2時間かかってつくってもらい、やっと通帳手にしたっけ。
わずか2,000円(前売り)で朝から晩まで好きな映画が観られるし、つくった監督の話も聞ける。顔の見える映画ってこと。ドキュメンタリー映画って女性の監督が頑張っているのねぇ(おんな言葉になるときは昂揚しているとき)。いつだったかの年は弁当もっていきましたよ。すごくいい。

 人間が始めたものは、人間がやめればいい。
 さらば 戦争!映画祭
 
ぜひ、観に行きましょう!!ね。

(以下は、主催者のものより「谷根千ネット」というホームページに転載してあったのががいちばんわかりやすかったのでお借りしました)

第7回さらば戦争!映画祭2012

2012年1月28日(土)10:00~20:30(開場9:40)
      会場:在日本韓国YMCAスペースYホール(地下)
        http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/map1.htm
     
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
       さらば戦争!映画祭とは?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 「さらば戦争!映画祭」は戦後60年を機に、戦後補償・残留孤児・原爆症の3つの裁判の弁護団の関係者が中心となり、映画を通して戦争の問題を考え、伝えることを目的に2005年に始まりました。 その後、年1回の開催を続けております。 
 戦争の被害だけでなく加害も伝える作品の上映や講演・トーク等の企画を通して、戦争に「さらば」を告げるには今を生きる私たちがどうしていけばいいのかを、映画を通して一緒に考えていく場を作っています。
 
 日本人にとっての戦争は、被害者として語られることが多いですが、加害者としての歴史にも目を向けながら、改めて戦争とは何だったのか、戦争の傷跡をどう癒していくのか、戦後どのように平和で豊かな社会をつくっていくかということをテーマに、上映活動をしています。
 若い世代の日本人にとって、過去の日本の戦争の問題はリアリティがなく、遥か遠くの出来事と感じている方も多いかも知れません。
 一方でグローバル化する暮らしの中で、海外旅行で戦跡を見たり、海外で起きている戦争や紛争についてリアルタイムに知る事もできるようになり、関心を持っている方もいるかと思います。
 そのような若い世代の人々が、どう戦争体験を受け継ぎ、戦争の問題に関わっていくことができるのかということも、この映画祭のテーマです。 

 現在スタッフは、20代、30代を中心に社会人、学生、弁護士、中国残留孤 児二世など、多様なバックグラウンドを持つメンバーが集まり活動しています。実行委員会、告知、チラシ配りなど映画祭を応援していただけるボランティア、サポーターまたはスポンサーも募集しております。 詳しくはhttp://sarasen.noblog.net/をご覧ください。

 「さらば戦争!映画祭」実行委員会一同
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   第7回 さらば戦争!映画祭2012 プログラム
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 【10:00】 開会のあいさつ
 
10:05】 オープニング招待作品『愛しきソナ』上映
11:30】 ヤン・ヨンヒ監督のトーク
11:50】 休憩
12:50】 『カタロゥガン!ロラたちに正義を!』上映
14:10】 竹見智恵子監督のトーク
14:30】 休憩
14:40】 『ヒバクシャ 世界の終りに』上映
16:40】 鎌仲ひとみ監督と関根健次氏による特別対談
17:10】 国際平和映像祭応募作品上映
17:30】 休憩
17:40】 特別企画トークセッション
       『 今こそ語り継ぐ、戦争と平和』
18:20】 休憩
18:30】 実行委員長からのあいさつ
18:40】 『弁護士 布施辰治』上映
20:20】 閉会のあいさつ  

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 *プログラム等は予告なく変更することがあります。
  最新情報はウェブサイトにてご確認ください。
     http://sarasen.noblog.net/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■開催日時
  2012年1月28日(土)
 10:00~20:30 (開場9:40)

 ■会場
  在日本韓国YMCA スペースワイホール(地下)
   http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/map1.htm        
(〒101-0064 東京都千代田区猿楽町2-5-5 電話:03-3233-0611
JR水道橋駅徒歩6分、御茶ノ水駅徒歩9分、地下鉄神保町駅徒歩7
    
 ■チケット
  前売り券:2000円/当日券:2500円、
割引券:1500円(前売り、当日共通)
  【割引対象】学生、障害者(付き添い1)、被爆者、中国残留邦人、東日本大震災被災者の方
  *1日通し券のみ、全席自由席
 
 <前売りチケットの申し込み先>
 チケットは下記メールまたはFAXで受付いたします。
 
 メール:sarasen.ffgmail.com
     (スパム防止のため、●を@に変えてお送りください)
FAX:03-3834-2406
     (1)お名前
     (2)お電話番号
     (3)ご住所(チケット郵送先)
     (4)希望枚数
       をお知らせください。
    
  * メールの件名を「前売り券」として送信ください。
  * FAXにつきましても、最上部に「前売り券」と書き込んで送信ください。
* ご記入いただいたご住所に振込みのご案内をお送りします。
    入金確認後、チケットを発送させていただきます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     第7回 さらば戦争!映画祭2012 上映作品
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   
 『愛しきソナ』
 監督:ヤン・ヨンヒ/82分/2009年/スターサンズ配給
 大阪で生まれ育った在日二世の映像作家ヤン・ヨンヒが、朝鮮総連の元幹部 で最も理解しがたい最愛の父への複雑な想いとピョンヤンに暮らす家族を描いた初監督映画『ディア・ピョンヤン』は、ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞をはじめ数多くの賞を受賞し、世界中を笑顔と涙で包みこんだ。そして5年後に発表した本作『愛しきソナ』では、帰国事業によって70年代に北朝鮮に移り住んだヤン監督の3人の兄とその子どもたち、特に姪のソナにフォーカスを合わせ、近くて遠い二つの国をつなぐ強い絆と深い愛をめぐる、可笑しくも切ない家族 の物語を描き切った。前作の痛快なインパクトとはひと味違う、心に染み入るような繊細な優しさが伝わる感動作だ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 『ヒバクシャ 世界の終わりに』
 監督:鎌仲ひとみ/116分/2003年/グループ現代配給
 世界の被爆者たちのリアルな声を集めたドキュメンタリー。使う側にも使われる側にも被害をもたらす核。
 普通に生活している人が知らぬ間に被爆し、苦しみながら命を落とす現実を伝えるべく、イラク、アメリカ、そして日本の被爆者たちの日常を映し出す。
 ★関連トークイベント開催!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 『カタロゥガン! ロラたちに正義を!』
 監督:竹見智恵子/80分/2011年
 日本軍によって慰安婦とされたフィリピンの女性たちを追ったドキュメンタリー。
 ある日、武装した日本兵が村にやってきて、男たちを殺し、家々に火を放ち、恐怖に震える少女たちを駐屯地に連行して「慰安婦」に。
 長い沈黙の後、被害女性たちは、失われた過去を取り戻すために立ち上がり、80歳を過ぎた今も闘い続けている。たくましく、そして輝いて!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 『弁護士 布施辰治』
 監督:池田博穂/98分/2010年
 戦争に邁進するファシズムにたじろがず『人の命を尊び、世の中に一人だって 差別されていい人はいない、差別されていい文化などないのだ』『生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために』と、日本の侵略戦争に立ち向かい、最も虐げられた朝鮮の民衆の生きる権利を全力で擁護し、闘う人とともに生涯を全うした「弁護士布施辰治」。生命を守るために、生命をかけてたたかうことの大事さ。今、私たちに勇気を持てと語りかける。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
       ☆コラボレーション企画☆
   国際平和映像祭(UFPFF)2011応募作品上映!
 今回の「さらば戦争!映画祭」では、平和とサスティナブル(持続可能性)をテーマにした学生対象の映像祭「国際平和映像祭2011」とコラボし、応募作品を上映します。

 【UFPFF 国際平和映像祭 http://www.ufpff.com/
 UFPFFは、国連が定めた国際平和の日・ピースデイ(9月21日)に開催する 平和やサステイナビリティに関する映像祭で、平和や持続可能な社会実現のために何が出来るのかを映像をきっかけに考える機会を提供します。映像祭は、2分から5分間の平和やサスティナビリティをテーマとした映像作品を製作し、応募学生を対象とした映像コンペティション形式で開催し、映像制作を通じて、普段あまり考えない「平和」や「サステイナビリティ」について学生たち自身が作品製作に直接的に関わることで、映像を通じてこれらのテーマを考え、行動につなげていくことを狙っています。
━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━
  ◆◇◆◇ 関連トークイベント開催! ◇◆◇◆     
   
      「今こそ語り継ぐ、戦争と平和」
 若い世代が戦争と平和をどう語っていくかを考えるトークセッション。
 今平和のために動いている人々に続いてアクションを受け継ぐためにどうしていくか、ゲストのお二人と学生それぞれの視点から語っていただきます。
 
  ゲスト
 ・鎌仲ひとみ氏
   (「ヒバクシャ 世界の終わりに」監督)
 ・関根健次氏
  (国際平和映像祭代表理事、ユナイテッドピープル代表取締役)
 ・国際平和映像祭応募者の学生
 
〔ゲストプロフィール〕
 ■鎌仲ひとみ 映像作家
 環境、エネルギーなどマスメディアが扱わないテーマを追求し、ドキュメンタリー映画を市民に自主上映してもらう方法で作品を届けている。
 2003年「ヒバクシャー世界の終わりに」で国内外で数々の賞を受賞、2006年「六ヶ所村ラプソディー」は全国650ヶ所で上映された。
 2010年4月、最新作「ミツバチの羽音と地球の回転」を完成させ、目下全国で好評上映中
 ■関根 健次 Twitter @sekinekenji
 UFPFF代表理事・プロデューサー
 ユナイテッドピープル株式会社代表取締役。
 一般社団法人国際平和映像祭代表理事。BADO株式会社取締役。
 高校卒業後、アメリカの大学へ進学。卒業後、帰国し、主にIT業界に身を置く。2002年に起業。大学の卒業旅行で偶然紛争地訪問したことがきっかけで、世界の問題解決を目指す事業を開始。2011年9月21日よりUFPFF 国際平和映像祭を開催。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
      スタッフ募集&カンパのお願い
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私たちと一緒に映画祭を企画・運営しませんか? 当日スタッフも大募集しております。
sarasen.ffgmail.com(@に変えてください) までご連絡ください♪お待ちしています!

 また、映画祭は有志による自主上映企画です。
 運営費のカンパを呼びかけています。1口3,000円のカンパを頂いた方には、チケットを1枚差し上げます。 何卒ご協力をお願い致します。
  
 【カンパ振込先】
 口座名義 さらば戦争映画祭実行委員会    
 郵便口座 00130-8-686075

 *お手数ですが郵便局備え付けの払込用紙をご利用の上、通信欄にカンパとご記入ください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 さらば戦争!映画祭実行委員会
 2011年12月
━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 【さらば戦争!映画祭実行委員会】
〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6
 丸幸ビル3階オリーブの樹法律事務所気付
「さらば戦争!映画祭」実行委員会
TEL 03-5807-3184
FAX 03-3834-2406
メール: sarasen.ffgmail.com (●を@に変えてご送信ください)
URL: http://www.eigasai-60.com
Twitter:@sara_sen
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2012年1月14日土曜日

宣伝


 土曜日に興味深い映画があるらしいという情報をつれあいがもってきたのは今週の水曜日のことでした。会合で出てきた話です。宣伝の力と口コミはすごいですね。

 ママチャリを飛ばして隣町の産業文化センターに行きましたら、地元の生活クラブ生協さんの主催であることが初めてわかりました。
<遺伝子組み換え>を問うドキュメンタリー映画の二本立て
Life running out of Control 暴走する生命」(2004年/ドイツ)
「パーシ―・シュマイザー モンサントとたたかう」(2009年/ドイツ)
制作はデンマルク・フィルムというところですが、日本語字幕・配給は埼玉県飯能市の小林大木企画というところでした。

 主催者の方のあいさつでは、今は放射能のことでいっぱいかもしれませんが、本日の映画のテーマも「ドキドキすること」です、また、TPPのことも忘れてはなりませんという趣旨が述べられました。

 「最終兵器としての食物。食物連鎖の始まりは種子。遺伝子組み換えは世界を支配する試みとして多国籍企業に握られている。」映画の中でそう明確に主張するのはインドの物理学者で活動家のヴァンダナ・シヴァさん。
 養殖の鮭が海の生態系や食物連鎖や給餌など、それこそ不自然な形で急速かつ世界的に事業化・多国籍化する実態を仕事柄みてきたのが数年前でした。その後その業務を離れましたが、私はそれだけでも疑問に思っていました。当時既に予測できたこととはいえ、遺伝子組み換え(GM)のサーモンができ、2010年9月にはアメリカ政府(FDA)が安全と公表していたことをこの映画で知りました。私には得体のしれない恐ろしいことだという実感があります。
 ノルウェーの分子生物学者テリエ・トラビークさんは数少ないインデペンデントな学者なのだそうで、遺伝子工学の研究者の95%が企業側に属しているこれが問題なのだと訴えます。これを聞いて日本の原子力推進の実態にも似ているのだなと考えました。支配しようとしているのです。また、学問(科学や研究)が真実の追究にあるのではなく、産業のためにある実態がアメリカや日本で進んでいることも実感します。
 生命そのものを支配することが企業化している。カナダの農民パーシ―・シュマイザーさんはとても明晰な論を展開します。GMへの疑問と抵抗、モンサント側から仕掛けられた裁判や圧力とたたかうなかで積み上げられた強い立場と論拠を感じました。しかし、GMのこととはまた別に、農民とはいえあれほど広大な土地で単作に取り組むシュマイザーさんの大規模農場のことに、ついついTPPのことをも連想してしまいましたね。

 会場を出て「小出裕章さん飯能後援会」のチラシと「松井英介さん講演会」のチラシをいただきました。別の用件があって自宅から直行しなかったのですが、こんなことなら私たちのようやくできたばかりのチラシも持ってきてこの人たちのように会場外で配る手もあったなと考えたしだいでした。支援を要請する対象者としてはぴったしだったなと考えられました、惜しい機会を逃したものです。

 大きな組織に網をかけるのも方法ではありますが、それだけではなくて、根を張るように自らの周りから、広く且つ効果的に呼び掛けていくように努めていきたいと考えます。

2012年1月13日金曜日

斜(はす)の


メールとにらめっこをしている。急ぐ用事と慎重を期す案件だらけだから。
すると、そこに「50代。肝心な時に元気が出ない男性は、今すぐ開封!」とか来る。ウルセー!バカヤロー、ヨケイナオセワだ、オワッタコトだ(?)とムキになる。

今朝、忘れないうちに娘にメールをうっておいた。「二人目に女の子が生まれて父はとってもうれしかったよ。つい昨日のようだ、おめでとう」と。
事実、かわいい顔をしていた。口が利けるようになって、寝かしつけるときに電気を消してくれというのを、「夕焼けにして…」というのはポエムだった。
それがこうなるのかなぁ…。すっかり斜に構えたおばちゃんになってしまって(セクハラかなぁ)。誰に似たんだか、つれあいではないことは確かだから、共同制作者は、あとはひとりしかいない。んたく、困ったものだ。

昨日は気が付いたら真っ暗になっていた。6時だ。いけない、食事の支度。かねて手筈のキムチ鍋にする。といっても豚肉もニラもない。世間一般のようにしないのが斜に構えたこのオレだ。ずっとだぶつきぎみだった白菜の消化が目的。生協で今日きたもやしと三澤さん所の厚揚げ(お気に入り登録品)、春雨、パックもち、それでこれにカナダ産マスの缶詰をぶっこむ。生協の宅配の特売で買った2年ぐらい前のモノ。おいしいとかおいしくないとかではなくて、ユニークだ。つれあいはやっと6時半に帰ってくる。7時半には二人で出かけなければいけない。仕事帰りのうちの「宅」は食欲旺盛。自分でつくったときは、相手に多く食べさせる、いいところを譲る、この傾向があるものだ。私もそうだ。「食べて、食べて」と目を細める。帰ってきたら夕食があるなんて夢のようだとつれあいは喜ぶ。メニューの内容は問わない。

外出から帰ってきたのが確か9時半だった。日曜日がどうとかこうとかなれば、明日は金曜日。早いうちに資料つくってしまわなければ、みんなが動けない。画面に向かう。そうしているうちに、たったたたとバイクの音がしたと思えば、なんと朝刊を配る音。おいおい、まるで40代のときのような仕事ぶりではないか。

寒くてよく眠れず、残った資料作りが気になって早く目が覚める。寒い!

昨夜は悪戦苦闘して画像を奇跡的に取り込めた。おばちゃんたちが味噌をつくっているまさにフルメンバーの画像。また、再現しろといえば、ちょっとできない。切羽詰ったワザだ。悪文の資料がぐっとしまる。

コウノさんからこの囲み斜めになっているのですけれどもと電話がはいる。いいんです!それがインパクトなんです。斜になっているのが!(でも違うものがきちゃった)

我が一族に1月生まれが一挙に二人増えそうだ。
娘からは何のリアクションもない。意識過剰。斜なんです。
明日は青空の下に出よう…。

2012年1月12日木曜日

いけない


一日遅れで録画していた山田洋次監督の「監督生活50年後編(NHK)」を観る。

つれあいの親友モンは中華料理店を営んでいた。4月の初めお見舞いに訪れたとき、津波に襲われ住宅も店も中は破壊され、隣の塀は傾き今にも崩れ落ちてきそうだった。電気も水もきていないのに真っ暗な中で息子さんたちと黙々と片づけを続けていた。暮れに律儀にも見舞のお返しといって物を送って寄越し連絡をとった。今は志津川あたりの高校生たちを賄い付きで下宿させていると知った。あのときは絶望的な状態に見えたのだが、確かに彼女は黙々と立ち上がろうとしていた。来たものはしょうがない、とにかく生きて行かねばという感じだった。その「これから生きていく手段」を数少ない情報の中から、彼女は既に描いていたのだ。

息を呑んだ被災地のこと、一変した光景、あの空間。あのときのことはなかなか話してくれるものでもない。

あの日から10ヶ月。お兄さんはどうしていらっしゃいますかと問われれば、もう落ち着いたようですとつれあいは答えている。娘婿が陸前高田の高台に親の土地を分けてもらい、家を建てる意志を持っている。娘夫婦は親子4代で住んでいた家と祖父母を失ったが、幸いにも職は失わなかった。義兄もこの娘夫婦と孫と再び一緒に住もうという希望を持っている。

私という唐変木は
這い上がったつもりが、また、ずり落ちる。
やり直し。時間もかかる。
ためいき。
だが、今のうちにずり落ちておいてよかった。放っておけばもっと奈落に落ちたはずだ。
うかつだった。「良いことはそれ行けドンドン」に呑まれ、気に留めていたことをいつのときか割り切ってしまっていた。正しい感性を置き去りにして無意識に進めようとしている。足元を踏みしめる。
蟻の一穴が堤をも壊す。
反省。

原発と風評の被害。
二つの人災への怒り悲しみを表現できていない。
割り切れなさをいつのまにかさらりとどこかに置いてしまっている。
いけない。
生半可。