2012年6月29日金曜日

民意の結集


手書きなんです、出来が…
結局、車道までもが埋め尽くされましたね。首相官邸前というか国会前。

2012年6月27日水曜日

梅ジャムづくり


 梅雨の晴れ間、洗濯をしないのはもったいなかったのでシーツを洗い布団を干しました。
 
 持ち物のことは案内にそう書いてあったのでエプロンと三角巾を持って午後は公民館に行ってきました。玄米味噌づくり教室以来でした、ここの調理室を訪れたのは。先週末が申し込みで、本日が「季節の料理講座」の梅ジャムと砂糖漬けづくりでした。梅酒と梅干は生協で買って昔つくったことがありましたが、食べなくなってしばらくつくっておりません。それで梅からはしばらく遠ざかっていたのですが、ジャムならいいなと思い参加しました。パン食が好きなつれあいはたいがいのジャムは手づくりするのですが、梅ジャムはつくったことがありません。私自身はジャムをつくったことがこれまでに一度もありません。教室で男性は私一人でしたので、お料理はよくされるのですかと先生からも周りの方からも尋ねられましたが、生まれて初めてですとやや大袈裟に且つありのままに応えました。しかし、話題のなかで豆腐づくりや味噌づくりにも参加したことがありました(この冬が初めて)のでその旨申しましたら「お主できるな」という感じに受け取られてしまいました。豆腐づくりはすっかり忘れてしまいました。帰りは手提げ袋を持参していて正解でした。出来た梅ジャムと砂糖漬けの両方の瓶で結構重かったからです。

 帰りには余った梅をみんなに分けていただきましたので、早速といいますか、帰ってきてからおさらいと伝授のためにもう一度ジャムをつれあいと一緒につくりました。レシピを忘れそうで、それでなくても物覚えはいいほうではありませんから。

 夕方、孫のソータローの保育園からのお出迎えを急きょ頼まれました。引き取りに来たシホさんに1瓶分おすそ分けをいたしました。私は出かける用事があって、つれあいに渡してもらったのですが梅ジャムは好きとのことで喜んでもらえたそうです。仕事と子育てに追われる息子夫婦にはめげずに頑張ってもらいたいです。

 そう言えば、そういえば「梅ちゃん先生」を観るようになりました。

2012年6月14日木曜日

酒井さんの「夫は釣りが大好き」



 酒井陽子さんという方がフェイスブックに投稿された一文です。ご本人の許可を得ましたので転載させていただきます。5月の初めに投稿されたのですが、今でも私は何度か読み返しています。

『夫は釣りが大好き。この連休も館山に出かけた。釣ること自体を楽しむ人もいるが、夫は釣った魚を食べることが目的だ。夫の帰宅が近づくと私はなぜか気が重くなる。「今日は大漁でありませんように・・・」今回は立派なカサゴが3匹。ボラの子供という5.6センチほどの小魚が670匹。このちっちゃいくせにうろこもしっかり付いてるのが手ごわい。1匹1匹うろこをこそげ取り、内臓を出して、頭を取る。何も考えず、ひたすら取る。家中が魚くさくなり、台所中にうろこが飛び散る。カサゴは夫が格闘しつつ、何とか3枚におろした。
 よーく砥いだ包丁で、うす作りにする。
 何時間たっただろうか・・
 カサゴの刺身のほかに、煮付け、小魚は無事、南蛮漬けとなり、終了。
 夫と2人、くたびれ果てて、もう食欲もない
 以前、夫は「後はよろしく」と一人寝ていたが、そうはさせじと、ストライキ。
 一緒にすることになった。夫は自分が釣った魚は尾っぽまで美味しいらしく、幸せそうだ。私は次の日になると、ぱりぱりになって家のあちこちで発見されるうろこを拾って歩くことを想像しつつ、「まっ、いいか~」と思えるようになった。』
 
 どなたかがコメントされていますように、詩を読んでいるようだし、情景がまるで手に取るように浮かんできます。
 最初から微笑ましくって一気に読めたのですが、そのうちなんども読み返すようになりました。そして、これってすごい文章だなと思えてきました。お手本にしたいような。
 簡潔且つテンポがあって心地よく、読み手の私たちに想像をふくらませ、メリハリを与え、そして、「もう食欲もない」とか「『まっ、いいか~』と思えるようになった」という“結”でなんとも言い難い味わいと余韻を楽しませてくれます。
 きっと酒井さんの頭のなかで醸成されていた「言いたいこと」が素直に、そして潜在的な表現力をもって生み出されたように思えます。
 2月のときの投稿文(お味噌づくりのボランティア)を拝見したときも、すっと心に入ってきました。そのときも素直な人柄と不思議な文章力を感じたのですが、この一文はそれに加えて個性に満ち、473文字のこころ踊るエッセイだと感服しました。
 また、みなさんのコメントがいいですね。やりとりのなかの「逆鱗」も絶妙です。

2012年6月13日水曜日

NNN「心なき福祉 札幌・姉妹孤立死を追う」


NNNドキュメンタリー‘12(制作 : 札幌テレビ)

6月10日(日)の24時50分からだったので、つまり夜中だったのでさすがに録画して観た。 わずか30分という短さを感じさせない中味の詰まった報告だった。08年末のあの「テント村の状況」は変わっていない。民主党への政権交代は期待を見事に裏切っている。タレントの母親の生活保護受給でのバッシングに、これを取り上げた国会議員の意図と扇動の胡散臭さ、鉄面皮を感じる。

番組で登場した行政窓口の課長さん(当時)は、あくまでも本人自身が「申請」をしなければ援けることはできなかったという。申請書を渡すことすらしなかったのか、手を差し伸べられなかったのかとやりきれない気持ちにはなり(番組の意図もそうなのだろうが)、開き直りにも似た印象をもつが、待てよと感じた。この課長さんは顔も名前も出してインタビューに応じている。行政の杓子定規・「限界」を体現しているように見えるが、言外に何か言いたかったのではないだろうかと、ふと思ったりもした。

それにしても市会議員とか弁護士とか支援団体とかの同席があれば、現実には対応が違っていたはずなのにと涙ぐむ。ただひたすらひたむきに生きようとして「相談」という救いの手を求めたにもかかわらず、窓口を引き返す姿が浮かぶ。困窮の果てにこの「豊かな日本社会の片隅」で餓死同然・凍死して果てた姉妹の壮絶さを想像する。

こんどの日曜日6月17日にBS日テレ(午前11時~)、CS「日テレNEWS24 (午後6時半~)で再放送される。必見に値する。
同ホームページより

■NNNドキュメンタリー‘12ホームページより
1月、厳寒の札幌のアパートで、40代の姉妹が遺体で見つかった。姉が病死したあと知的障害がある妹が凍死したとみられている。料金滞納を理由にガスが止まった部屋…生活困窮の果ての死だ。姉は生前、生活保護窓口を3回訪ねたが、申請書をもらうことすら叶わなかった。市は「生活保護の押し売りはできない」と弁明。だが、姉の面接記録などから、市の積極的な姿勢は感じられない。孤立死を防ぐために相談者宅を訪問するなど、踏み込んだ対応はできないのか。上田市長は「行政の力量が足りない」とその限界を口にする。3回助けを求めても救われない現実。市民の命を守るはずの福祉行政に、弱者を思いやる心は見えない。



■反貧困ネットワーク ホームページより
                                                 2012年6月11日
バッシングを利用した生活保護制度の改悪を許さない声明
反貧困ネットワーク
(代表 宇都宮健児)
タレントの家族が生活保護を受給していたことに端を発して、全般的な扶養義務の強化など生活保護制度の改悪の動きが広がっている。現在の社会情勢や市民の生活実態が無視され、一時のムードで将来に禍根を残すような改悪が進められようとしている。

しかし、扶養義務の強化はこれまでの世界的な流れに逆行する。近代的国家においては、たとえ成人した親子間でも扶養義務を課さないのが通例である。すなわち、扶養できるだけの能力のある人は、その分、税金をたくさん納めることで責任を果たし、政府が所得の再分配を行って市民の生活を支えることになっている。

いまの日本では、生活保護を受けられるはずの人が利用できず、実際に保護を受けている人の割合はせいぜい20%台と言われている。扶養義務が強化されると、ますます生活保護が利用できなくなり、餓死や孤立死が増えることは火を見るより明らかである。

扶養義務の強化によるしわ寄せは中・低所得者世帯に集中し、これまでかろうじて貧困に陥らずにいた世帯まで貧困化することになる。とくに、少子高齢化のもとで扶養義務を負うのは若い世代である。政府は子育てを応援すると言うが、子どもの教育費などでギリギリの生活をしている世帯が親の扶養まで強いられることになり、貧困の連鎖がさらに加速することになる。

生活保護を利用せざるを得ない人たちは家庭環境も複雑な場合も多い。扶養の強要によってこれまで以上に家族関係がこじれ、いっそう孤立させることになる。それだけでなく、DV被害者や虐待を受けてきた人たちが加害者の扶養を強要されることになったり、加害者の影に怯える彼ら彼女らに生活保護の申請を諦めさせたりすることになる。

「美しい家族主義」は幻想にすぎない。家族が互いにいたわり合うためにこそ、生活保護をはじめとする社会保障の充実によって市民の生活を支えることがさらに重要になっている。

今回の一連の騒動で、生活保護を現に受けている人たちも不安な日々を送っている。今こそ「声なき声」に耳を傾けて欲しい。生活に困窮し、生存を脅かされている人たち、社会から孤立させられている人たちがたくさんいる。生活保護の役割を大きく評価し、さらに使いやすい制度にして、この人たちに憲法25条で保障されている生存権という人権を行き渡らせることこそ、いま求められている。

私たちは、誰もが人間らしい生活ができる社会を目指す皆さんと手をつなぎ、生活保護に対するバッシングを許さず、生活保護制度を改悪させないために行動する決意である。
以 上

2012年6月10日日曜日

「ザマナイ~時代よ~」のCDと楽譜

「ザマナイ~時代よ~」のCDと楽譜が、金曜日に郵便局から送金(1,000円送料込)したばかりなのにもう届きました。


TOMOKOさんのブログを辿って、発行元のヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトに発注・送金しましたら、早速に送ってきました。カザフスタンのローザ・リムバエワさんの原語の、TOMOKOさんの日本語、英語の歌とカラオケが収録されています。

なんだろう、その澄み切った美しい歌声がこころにしみてきます。

もちろん、“加税婦のノダ”くんの、さらにアホな“再稼働”発言に怒り心頭であることはいうまでもありません。


「 ザマナイ~時代よ!~ 」

作詞 エスダレートフ
作曲 ムハメジャノフ
日本語詞 高橋 朋子

1.健やかな子らは なぜ消えた
風になびく髪は なぜ消えた
心ないしうちよ ザマナイ
ザマナイ ザマナイ
清き故郷はなぜ消えた

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ

2.父祖の眠る地を壊して
豊かな大地を汚して
罰として苦しみ続けよと?
ザマナイ ザマナイ
ひとの誇りよ 今いずこ

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ

3.泉に毒を流すものよ
愛しき子らを奪うものよ
何故ふるさとを貶めるのか
ザマナイ ザマナイ
恥じてこの身が地に埋まる

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわがふるさとよ

2012年6月6日水曜日

『ザマナイ~時代よ!~ (日本語版)』



・・・!
どなたかのリツイートで、TOMOKOさんの「Zamanai(ザマナイ)」(時代という意味)を初めて拝聴しました。心が動きました。なんども聴きました。なんていうのでしょう、世の中には理不尽というものがあって、ときにやりきれなさがあるものですが、それを超えさせるチカラが湧くような、そしてなんとも美しい歌声です。

TOMOKOさんのツイートによれば、旧ソ連支配下のカザフスタンの人々が核実験場を閉鎖させた歴史的な歌とのこと。森住卓さんの写真とのコラボ。

TOMOKOさんのブログより
『記事を読みにお越しいただくたびに1回、ご再生ください。悲しくて聴けない方は音声OFFでも結構です。
旧ソ連下カザフスタン40年の核実験を止めた歌。核兵器廃絶と脱原発に必ず資する歌です。
写真は写真家 森住卓さんによる現地の人々です。(「新版 セミパラチンスク」より)
2009年よりボランティアで普及活動に着手。お知り合いにURLをお伝えください。
http://www.youtube.com/watch?v=hmaaiYebx_0 何卒ご協力をお願いします!』

2012年6月1日金曜日

ちから


人生三日坊主はしょっちゅうのことだったけれど、少し努めてはみたものの「4年足らず坊主」をやってしまった、この日記(5月2日が4年目)。易きに流れると、それはそれで安楽だった。が、空白感がつきまとう。

4年前、必要があって人に伝えるべき400字文の訓練をしていて、ブログにたどりついた。それはいわば公開日記、それならば自分でも他人様からも読むに耐えられる文でありたいと考えていた。

それで、久しぶりに再開したら、文章力どころか語彙や日本語がおかしくなっている。
ぐるぢぃ~(・・;)