2008年11月29日土曜日

届いたぞ

 職場に日高昆布が届けられていた。国労争議団の年末チラシで求めた。表示をみたら販売者はそういうふうになっている、負けるな、頑張れ。お正月には掛け声を掛けて「伴侶様」に昆布巻きをつくってもらう。昆布巻きの芯には私のお里ではさばを使う。昨年は身欠きにしんを使った。紅鮭もいい。

 家に帰ったら、マハラバ文庫さんで注文していた岩手のイーハトーヴ農場の食品セットが届いていた。同封の「便り」によるとテスト販売なのだそうだ。ビンに入っているものは同じ色なのでどれがどれだか、なので、自分でもふたに品名を記入した。「人生の伴走者様」は東北の出身で「ミズ」も知っていたし、「辛いね大根」もわかったそうだ、紫色だ。南国育ちの私には珍しいものなので、とっておきの東京(青梅)のお酒「澤乃井」大吟醸「梵」を開けることにした。

うん、うまい!

 「不安だ、私だけは安全でいたい」の「お客様第一、ご無理ごもっとも」の仕事の世界から、解放される。
香山リカさんの世界で解明しながら・・・。
年末に仕事と住処を奪われる人たちがいることにまた落ち込みながら・・・。

 我が労組も一時金を昨年並みに獲得したことで鼻高々だが・・・。所詮「我が世界」の中。
二大政党と大労組にこの社会に生きるひとへ励ますチカラがない。

2008年11月27日木曜日

現在進行中のできごと

 合併したり連合したりして大きくなった企業や組合が仕事上の相手先だ。社内の常識や大組織に属していることで人生を勘違いしている人たちに日々接している。その企業名に「大」をつけると納得がいく。もっとも他人様のことをとやかくは言えない。

 かすみを食って生きられれば、この精神的不具状態からは逃れられる。とは言っても、今まさに首切られようとしている派遣や期間労働者に比べれば屁でもないこと。

 *雑誌「POSSE」が創刊されているぞ。

2008年11月25日火曜日

東京での催し


 虚ろな都市だと思っている。都心に20年以上も通いながら、この街をたいして知らない。いつまでたっても不案内だ。何もかも一極集中は気に食わないといいながら、興味ある催しに接することもできる。

 乃木坂から青山墓地を突っ切れば渋谷に出られた。陸橋から六本木方面を臨む。
 以下、それぞれの案内より引用。

1)ハイナンNET  http://blog.goo.ne.jp/hainan-net  (中国海南島戦時性暴力被害者への謝罪と要求を求めるネットワーク)
 
 海南島は中国の南端にある島です。来る12月25日、暖かな海南島から何時間もかけて原告の陳金玉さんは真冬の東京にやってきます。戦時に受けた性暴力、そしてその後も続く苦痛を訴えるためです。
 今回の裁判は結審であり、おばあさんが証言台にのぼるのもこれが最後になります。おばあさんの声に耳を傾けてみませんか?裁判を傍聴することで裁判官に世間が注目している裁判であるということをアピールすることもできます。そしてなにより、陳金玉さんは今回が初めての来日です。皆様から応援していただくことが裁判に臨む励みになると思います。
 裁判所なんて行ったことがないので勝手がわからない、という方。9:30に丸の内線霞ヶ関駅A1出口に来てくださればハイナンNETのメンバーが案内します。
 また、裁判の後には報告集会にて一般の方々にも解るよう、裁判の解説を行います。是非、お誘い合わせの上、気軽に裁判所に足を運んでみてください
 【日時】2008年12月25日(木)10:00
 【場所】東京高等裁判所424号法廷(丸の内線・霞ヶ関駅A1出口徒歩1分)
!!注意!!法廷が変更したり、傍聴券配布になる可能性もあります。変更の場合はハイナンNETブログにて情報を掲載しますので
http://blog.goo.ne.jp/hainan-netをご覧下さい。
―――海南島日本軍「慰安婦」裁判 報告集会―――
☆日時☆2008年12月25日(木)18:00-20:00
☆場所☆文教シビックホール シルバーホール 
     
2)日弁連主催の講演会(申込不要・入場無料)
「なぜ、無実の人が自白するのか? 」- アメリカの虚偽自白 125事例が語る真実 http://www.nichibenren.or.jp/ja/event/081213_2.html 
日時 :2008年12月13日(土)13:00~17:00  
場所 :発明会館(会場地図) 港区虎ノ門2-9-14 (地下鉄銀座線虎ノ門駅下車3番出口徒歩3分)
 アメリカでは、近年、DNA鑑定の発展によって多くの死刑・懲役囚が実は無実だったことが明らかになりました。その内の多くの事案で、ごく普通の市民が、取調べを受けてから短い時間でやってもいない重大な犯罪について自白をしていたことが明らかになっています。それはなぜなのか。 アメリカの冤罪救済の第一線で活躍し、完全無罪事例の虚偽自白の実態を研究したスティーブン・ドリズィン教授をお招きして、この問題を解明したいと思います。
プログラム
講演「アメリカの虚偽自白125事例が語る真実」  
 講師:スティーブン・ドリズィン氏(ノースウェスタン大学ロースクール教授)
特別報告「免田事件の自白経過」  
 報告者:免田栄氏(免田事件元請求人)
報告「日本におけるDNA鑑定-再鑑定の保障の必要性」  
 報告者:佐藤博史氏(弁護士)
パネルディスカッション「自白が生む誤判・えん罪の悲劇を生まないために」
 パネリスト   スティーブン・ドリズィン教授
          桜井昌司氏(布川事件請求人)
          小坂井久氏(弁護士)  
 コーディネーター   
         高野隆氏(弁護士)

3)アムネスティ・フィルム・フェスティバル
アムネスティ・フィルム・フェスティバル 2009年1月17日(土)・18日(日)
 2009年1月17日(土)・18日(日)受付開始10 時30 分/ 開映11 時
 上映作品:※フィルム・フェスティバル公式サイトをご覧ください。
  http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1950
 会場: ヤクルトホール(東京都港区東新橋1-1-19 ヤクルト本社ビル)
 主催: 社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
film@amnesty.or.jp
上映スケジュール
1月17日(土)
 11:00 : 免田栄 獄中の生
 12:35 :トークイベント『対談 免田栄氏(元確定死刑囚・再審無罪)×森達也氏(『死刑』著者、映画監督/作家)』
 13:05 休憩
 13:30 : にくのひと
 15:00 : アンナへの手紙
 16:45 : 刑法175条
 18:25 : プロミス20:09 終了予定
1月18日(日)
 11:00 : 関西公園~Public Blue
 12:10 休憩
 12:40 : サルバドールの朝
 15:10 : スタンダード・オペレーティング・プロシージャー
 17:20 :イベント ~日本の中の多文化共生って?~カポエイラby グルーポ バントゥス カポエイラ ジャパン
 18:00 : ヴィットリオ広場のオーケストラ
 19:40 終了予定

2008年11月24日月曜日

佐々木さんたち


今年も佐々木さんのつくったサトイモで豚汁を味わった。白菜もすばらしい。菜園仲間と出品する。交際範囲は広いらしい。このバザーを始めて10数年が経った。どんどん高齢化しているが、その出品する作物の出来は毎度最高だ。今日は寒く午後からは天気も悪くなった。佐々木さんはバザーの出品商品にあまり高い値段をつけたがらないらしい。毅然とした人生の態度と人のよい人柄が共存している。地域の大先輩たちだ。

2008年11月23日日曜日

汗かき

 総理大臣になりさえしなければ、かつての宇野宗佑さんはハーモニカも吹ければピアノも弾ける文化的な外務大臣ぐらいで政治家を終えただろうに、なったばっかりに昔囲った芸者さんに名乗られしかもミミチッチィことをしていたことがばれて「ピンク首相」として選挙に惨敗し政治生命を終えた。  

 踏襲(とうしゅう→フシュウ)、未曾有(みぞう→ミゾユウ)、頻繁(ひんぱん→ハンザツ)、詳細(しょうさい→ヨウサイ)。ラジオでも新聞紙上でも庶民の風刺に苦笑させられる。この人も首相にさえならなければ、単なるマンガ好きの三代目政治家で好き勝手に料亭やホテルバーで楽しみながら陰謀でもめぐらしていただろうに。このテイドのひとが今の難局を担っているとは、つらい。 

 家に居る連休はホントに久しぶり、天気に恵まれた。ときどき激しい寝汗をかくことがあって、すんでのところで風邪をひかない。せんべい布団を思う存分干した。掛け布団は重くなければならない。三男もそうらしい。 

 昨年は年末に庭木の手入れをお願いしていたが、二日間あったので、これまでの見よう見まねで自分でやってみた。景気が悪いのに植木屋さんには悪いことをしたが、よかったのかどうかしれないけれど、二日間で数万円稼いだ気になった。お陰でお隣とお向かいのご亭主とも滅多にない会話ができた。  

 明日はバザー、あいにく雨模様の予報だ。餅つきもやるという、主催者も高齢化で担い手がいない、老骨に鞭打つらしい。汗をかきそうだ。

2008年11月21日金曜日

年季


 トイレットルームに閉じこもっていても多少の大声で話せば会話ができる。うちの夫婦はそれができる、年季がちがう。シチュエイション上、簡易な会話であるが。
 うら若き息子に同じようなノリで語りかけようものなら、ドアの向こうで押し黙る。あとから出てきてマナー違反、非常識をなじられる。もっともだ。
 恥じらいかなぐり捨てて、実質本位、対話はどこででもできる、ベテラン夫婦の相思相愛は揺るぎもしない。

 その息子から初めて聞いた。普通の表情のとき、若者には鼻の両側から頬、口にかけての線はない。歳を重ねたひとにはある。「ちょっと東京へ、映画観に」の先週の電車の中で確かめた。その通りだった。その線が最近出てきたと息子は嘆く。この線も人生の年季の証。

2008年11月20日木曜日

配達の生協の現場


大変になった。

今回の宅配を装ったテロによって、早速、集合住宅の入り口が簡単には開けてくれなくなったそうだ。

年配の方にお問い合わせへの返事のお電話を差し上げたら、振り込め詐欺と間違われていきなり切られたそうだ。

誰れのせいだ。

 自分で握った大きいおにぎり。お昼ごはん。食べる時間も惜しいそうだ。

告知


一昨日(正確には昨日未明)。深夜に酔って帰りました。
パソコンを開けました。Cドライブが満杯で整理することを勧めるという表示がでました。
かねてより重くて作動がとにかく遅いので、何も考えず、容量の大きいものを2つ捨てました(アンインストール)。
昨夜開けてみて愕然。使用中のメールいっさいがっさい、ワード、エクセルのソフトを捨ててしまっていました。
酔っておりました。真夜中の所業です。

みなさん、メールいただいても見られません。送れません。

あわあわ、わわわわわわ、わ。

2008年11月19日水曜日

「さら戦」映画祭鑑賞記Ⅳ


「さらば戦争!映画祭」は有志による自主上映企画だ。

NHKドラマ「帽子」が私にとっては緒方拳(「こぶし」というのがホントウ読み方のだそうです)さんの遺作になった。そのドラマと同様趣旨で“戦争と今”が映画『早咲きの花』(06年)の設定だったように感じた。こちらは浅丘ルリ子さんを起用していた。

上映のあとこの映画の監督菅原浩志さんのトークショーだった。
8・6ヒロシマと8・ナガサキの間に、実は8月7日の愛知県の豊川で大空襲があったそうだ。当時豊川には東洋で最大級の海軍工廠(海軍の兵器工場のこと)があった。たった25分余の空襲で3,000人近くの人が死亡、その数倍の負傷者が出たと考えられる。軍需施設(工場)であったため、この事実は徹底的に秘匿されたそうだ。そのため、あまり知られていない。その犠牲者の中には多くの学徒動員勤労奉仕の生徒たちがいた。今でいえば中学生ぐらいの子ども達だ。短時間の3,000人の死者は「史上最大の悲劇9・11」に匹敵する。
戦争の夏をテーマにした映画は夏に撮影する、灼熱の豊橋で進行されたらしい。女優の浅丘ルリ子さんは夏の撮影を毅然と演じきったプロであったと紹介された。

舞台は戦争中の愛知県豊橋の国民学校と現代。戦時中のシーンでは地元の子どもたちをオーディションで使った。太っていないこと、三河弁が使えること、そして男児は坊主、女児は刈り上げのおかっぱになれること。早くいえば「かつお」と「わかめ」ちゃんをわんさかつくった。この子たちが出演者。食べるものがない、着たきり、青っ洟(ぱな)をたらす(栄養失調のせい)、を再現した。昔の子どもたちになれたという。環境に適合できるもの。ただ坊主にしてみたら円形脱毛症の「現代」の子がたくさんいたらしい。最初は隊列を組んで歩く、右向け右ができなかったらしい。そんな撮影裏話を聞くことができた。

会場にいたプロデューサーの佐久間さんが紹介された。映画の裏方は男の世界でスクリプターを長くされていたご婦人。「感覚だけが刺激される映画ではなく、心にしみわたるようような映画を作りたかった」とごあいさつ。

最後に監督は、つくる人と観る人のほかに、今は映画を伝える人が必要だ、―――この(さらば戦争、映画祭の)実行委員会はすばらしい!と。

2008年11月18日火曜日

「さら戦」映画祭鑑賞記Ⅲ


「さらば戦争!映画祭」は4年目だった。

ゲストトークの西本治子さん(長崎の被爆者)が壇上にあがったとき、初めて観た今日の映画にショックを受けた、自分を見失ったとおっしゃっていた。今まで「ゲンバク」を見たくなかったと。これは8085本安打の金字塔的記録保持者の張本勲さんも広島の被爆者で、同様のことを最近発言している。8月6日も9日も忌まわしい記憶で、怖くてと。今年初めて長崎原爆資料館、広島平和記念資料館に行ってみたそうだ。そして発言を始めている。西本さんも「何か言って死んでいかんば、一人でも、小さい声でも訴えてやろうち思うた」とおっしゃった。聞き手は弁護士のTさん。

そのときどきだったり、断片的であったりした私の原爆の実相のとらえ方が、ドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」(07年、スティーブン・オガサキ、アメリカ)によって、より深くなった。腹に落ちた。製作に25年かかったそうである。

1945年7月16日初の原爆実験。

「はだしのゲン」の作者中沢啓二さんが14人のヒバクシャの証言者のひとりとして登場する。「6歳だった、鮮明に覚えている」と。
他の人の証言。
「まず、死体からどかさなければならなかった」(これは沖縄の南部でも聞いた)

ヒバクシャはその後を生きなければならなかった。
生き残った人も医者が経験したことのない放射能による後遺症。差別。
「死ぬ勇気と生きる勇気、妹は前者を選び私は後者を選んだ」という壮絶。
西本さんは戦争でいいことはちっともない、と。

「さら戦」映画祭鑑賞記Ⅱ


「さらば戦争!映画祭」の副題は「~人間が始めたものは人間がやめればいい~」。

小説「蟹工船」は今年に入って50万部を超えたという(「朝日」11.14付け)。新潮文庫版は110刷を超えたらしい。

このドキュメント映画「時代(とき)を撃て・多喜二」(05年)ができたとき、正直言ってこれほど読まれるとは思わなかった。

「蟹工船」が発表されたときこの小説は4万5千部も売れたという、昭和4年、1929年のことだ。これも驚異の売上げだったという。しかし当時は伏字(ふせじ)だらけだ、場面によっては数行が検閲によって伏せられる。昔の読者は読解力、想像力があったとしか考えられない。この小説によって多喜二は後日不敬罪で投獄される。

多喜二は小説「一九二八年三月一五日」で当時の警察の大弾圧(3・15事件と呼ばれる)のことを描き、「蟹工船」、そして「党生活者(発表当時は検閲があって「転換時代(仮題」)」で侵略戦争への反対を明確にした。このドキュメンタリー映画でインタビューに応える小樽出身の経済学者浜林正夫さんは語る。多喜二は時代を鋭く真正面からとらえ、「警察、天皇、戦争」に触れた、権力に狙われるべくして狙われたという。
「人間らしく叫ぼう」とした。
その勇敢さ、あふれる才能が、そして排除され、あろうことか抹殺された(1933年築地警察署にて拷問によって虐殺された)。

この映画のプロデューサーとして紹介された池田博穂さんは、ドキュメント映画「靖国」はもらえたが、文化庁から(製作)助成金の750万円はハナからもらえなかったと振り返る。少しでも反政府的な匂いのするものには助成金はださないと。

国禁の書の作者、「アカ」として迫害を受けたが、この多喜二の原稿や遺稿や記憶が数多く残された。立場が違うが彼の支持者がいたこと、才能を知るひとびとがいたこと、なによりも家族が、彼の多くのものを残したという。「いずれそういう時代がくる」と信じて。

「我々の芸術は飯を食えぬ人にとっての料理の本であってはならぬ」彼の残した言葉である。

2008年11月17日月曜日

「さら戦」映画祭鑑賞記Ⅰ「靖国」


「さらば戦争!映画祭」という。11月15日に催された。若い人たちが主催者だ。

 プロデューサーの張雲暉(チャン・ユフィ)さんは語る。ドキュメント映画「靖国」の製作には10年かけた。最初は彼女と監督の中国人二人で始めて、後に日本人のスタッフもいれた。その10年間で日本の社会の変貌を実感したそうだ。

私は考えた。
 この映画は日本で撮られて、日本の既存の映像を使っていながら、日本人のあまり見たことのない映像がふんだんにとりいれられている。それだけでも一見の価値がある。つまり、昔の日本人自身が制作した映像が活用されている。それでいて、いまでは一部の日本人にとって都合が悪いと思われるようになった画像といえよう。
 それで「反日」とか「反戦」か、といえば、右翼の論客鈴木邦雄さんが評しているように、むしろ日本右翼の宣伝かと思われるほど靖国を肯定する人たちの主張がこれでもかと出てくる。

 一番の大きな問題は「圧力はかけていない」とおっしゃる自民党の有村治子参議院議員、稲田朋美代議士(弁護士で05年郵政選挙で当選)の言動、介入だろう。これによって上映を予定していた劇場が「空気を読んで」みな上映を自粛した。
 このお二人に私は前空幕長の田母神さんにも通じるものを見る。「狂信的」信念である。そんなことがあったでは済まされない「時代の流れ」のことだ。戦前もこういう狂信的なものに顔をしかめることはあっても、「触らぬ神に祟り無し」で見てみぬふりをした、我が身には降りかからぬと思っていた。そして社会は軍国主義へ、戦争へと突き進んだ。三流の御仁が権力中枢(国会議員、自衛隊幹部)にいて、狂信的信念で振舞う時の恐さ、理性の通じなさ、これを庶民として覚えておかねばならぬ。押し返さなければならない。
 みんなエリートなのである。これを間違いだと言い切る一方のエリート、知識人にも、どこかこれを見過ごす弱さを感じる。

 映画「靖国」は反日じゃん、侵略国家だったなんて自虐史観じゃん、と安直に流される「空気」をこそ悪(にく)まねばならない。

2008年11月16日日曜日

ばらまくな


 場末のスーパーではあるまいし原価割れの超目玉、客寄せ目当ての大安売り。

 そんなことを国家的レベルでやろうとしているのが「定額給付金」だ。天下の愚作と言われた「地域経済振興券」のようなことを二度やろうとしている。どこの政党がご執心であるかということを最近マスコミは報道しない。何を信じようが勝手だが、ホントの「生活を守る」ことができないではないか。振り込め詐欺のかっこうのネタになるではないか、我々の安全にもかかわることだ。
 そもそも増税や医療、福祉を削り、人を困窮に追い込んでおいて「生活に困っているでしょう」と言って、目の前に迫った総選挙の票ほしさにやろうとしている。こういうのを場当たり、人を愚弄するというのではないか。

 丁か半かの大博打。感と度胸の小泉さんは選挙で山を当て後進に道を譲った。それを思い通りにならないと言ってお坊ちゃま総理が2代続けて「ボクやめた」をやった。次の3代目のお坊ちゃまが「踏襲」「未曾有」「頻繁」を読めない。ブッシュさんの国語(英語)力にも似通う。漢字のひとつやふたつ読めないことは誰にもあるにせよ、マンガはともかく本は読んでいないなということが窺える。金持ち度胸、「感とハッタリ」で生きてきた人かと想像される。

 新自由主義と称して自分に都合のよいルールの世界への押し付け、自分の借金の世界へのばらまき仕掛け、境目なしの世界的金儲け、難くせつけての殴りこみ戦争(人殺しだ)、ブッシュさんは何でもやった。間違いなく歴史に残る愚策の8年間だった。この列島の2代目3代目のお坊ちゃま施策もほぼそれに準じている。私たちはその同時代に生きている。

 あけすけに言えば「バカ殿」の治下にいると考えればよい。
 しかもそれはバカ殿固有の問題ではなくて、殿様体制を変えるしかないと考えている。そのアメリカは「チェンジ」した。

 なにがしかのハンディキャップのあるものがのし上がる。ハングリーの原点を忘れずに。地に足を踏ん張って。
 *画像は3日前の満月、1箇月前には南の島で臨んだ。

2008年11月15日土曜日

未練


胸にトキメキがある。

夢や希望やご婦人にたいするときめきならよいが、やたら勝手にときめく。目に違和感が走る。血管に詰まりがあるような自覚症状を西洋医学の医者に訴えた。

「もうだめかもしれない」は若いときから連発してきたのでつれあいから相手にされない。医者に行けで済まされる。

「あれもしてない、これもしてない」の反動で1年間を貪欲に生きてきた。新たにお知り合いになった人、再会した人、人生の収穫だ。「あれもほしい、これも欲しい」が昨年だった。欲がシンプルではないので未練が多い。こころの安寧を持っていない。胸のトキメキがそのせいならいいのだが。

一升瓶は6本買った。まだ呑んでいない。「おんな1号」は未だに食べていない。まだ誰とも忘年会、いや望年会をしていない。孫文先生曰く「革命未だ成らず」。

昨日


忙しかった。
みんな仕事がばらばら。みんな仕事が専門的。だからどこの誰に何をきけばいいのか内部にいても案外わからない。わからないから、「とりあえず」みんな「お問い合わせ」に来る。外からは当然、内からもまわされてくる。それぞれは「正しい」仕事だ。提案文書もすばらしい。社内ページでは縦横に検索機能がある。総務もあれば広報もあるだろう。
だけどもこれがホントのお客様には通じない。「えっ、ここは本社じゃないの?」組織というものは上から下にと思っている人が多い。キムジョンイル体制好きですか?

○さん、Hさんゴメン。お茶のひとつも出さず、立ち話で。えっ、読んでたって!?○さんのことは勝手にブログのネタに使っていたから、恐縮。誰がバラしたんだぁ。

Tさんもゴメン。久しぶりだったのに。また偉くなっちゃって。謝罪記者会見なんぞでテレビに出ないようにしましょうね。こっちも「再構築」やってます。

2008年11月13日木曜日

肉まんで下痢?


株式会社ABCD 品質管理室 EFG様

ご報告ありがとうございました。

少し長いけど労作です!製造のことがよくわかりました。

誠実なる対応ありがとうございました。

ホントの事故をおこしてはいけませんが、
いま、ひとびとは自分のちからで生きていけません。
だから、「不安だ、恐い」の「お問い合わせ社会」になりつつあります。
私たちはそれに答える「対話」のちからを磨かねばなりません。
EFG様は科学者ですからその力を磨き、人との対話をこの業務を通して高めていけば「人間」がおおきくなります。

「羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」ようなことではいけません。

たいへんな業務と想像します。
いまいちど言います。
肩のちからを落としてほどほどに頑張ってください。
長時間労働にいいことはありません。
鼻から吸って口から吐く、背筋を伸ばす、なるだけ早く帰ること。

文章はみじかく!「手にとるようにわかる」という内容で。

誠実に正確に事実に基づき迅速に。

2008年11月12日水曜日

能力に欠ける


 私はお役所文書が書けると思っていた。ところが豈(あに)(はか)らんやなかなか書けない。エクセルシートでこれを埋めよというレポートを提出できない。さあ下期6箇月のあなたの目標はなんですかというワード表を埋めることができない。ああこれは落ちこぼれていくなと思っていたら案の定そうなった。パワーポイントを用いてみんな発表する。聞いていて見事だ。そういうことができない。表現力のスキル・技術はともかく、何かひずみ、ゆがみが私のなかにあるのかもしれない。天邪鬼もある。一種の適応障害。
 南の島の樹木の根がゆがみねじれ傾いて立っていた。自分のようだと冗談を飛ばしたが、どうも冗談ではないようだ。本土の場合「風雪に耐えて」というのだろうが、南の島の場合もっと激しい「嵐、台風に耐えて」というのだろう、どっこい生きている。
 狭量さが災いしている。いつまでたっても人間ができていない。世の中についていけない。

 食品製造業の合併が進む。何か事故事件にでも巻き込まれたら企業がもたない。合併を繰り返してきた銀行名のように2つや3つの社名がくっついた巨大企業が生まれている。大きな企業でさえそうやって生き残りをかける。その下にくっついた下請け企業は、今一度肥大化した会社の傘下に入る。昨今の不安社会にたいする品質「管理」のしめつけ。「指導徹底」の要請のもとに、やることは自前のコストと人材でやらなければならない。親会社やユーザー企業のまるで検察官のような品質保証部や工場点検の担当たちにあれこれ指図を受ける。

 そういう大企業傘下の製造業か、あるいは自立しつつ相互研鑽する助け合う方法によって乗り越えていく製造業か。それを模索していこうとしているのがJASMEQ(協同組合 品質安全推進センター)の方向かもしれない。自立した協同組合によってユーザー企業や同業他社の大企業に向き合える、そう展望することを考えている。大企業傘下の製造業か、自立した協同組合に拠る製造業かで生き方が違ってくる。梁山泊から歩みだすのかもしれない。

 こういうことを筋立てて表現できない。生きるためと昔の話は書けるようだ。

2008年11月11日火曜日

ぞっとする話


 この国の自殺者の数は年間三万人を超えています。職業的には自衛隊と警察に異常に多いと言われます。この間の事件、判決で閉鎖社会あるいは閉鎖空間におけるいじめ、リンチが想像されます。

 王朝時代、東国の農民が兵士としてはるか遠い九州にひっぱられました。防人の歌として万葉集に伝えられています。どれほどつらい賦役であったことか悲惨なことであったことか。年季を終えて東国に帰るにも行き倒れになったと伝えられています。 どれほど無念であったことか。

 安倍晋三元首相は教育基本法を変えました。私がつらかったあの時期なのでよく覚えています。その安倍さんが任命したのが田母神(たもがみ)航空幕僚長です。遡れば小泉元首相の時代にこの人は航空総隊司令官に昇進しています。

 日本国政府は1995年に初めて村山首相の談話によって「植民地支配と侵略」を認めています。ですが、それ以前にそれはもはや世界では常識でした。なによりも朝鮮半島や中国、東南アジア、太平洋諸島のひとびとが被った事実でした。

 田母神さんは公的な立場、しかも実質上の国軍という実力組織のトップの立場にありながら、つまり軍人の立場にありながら、侵略戦争を否定し、イラク派兵についての国権のひとつである裁判所判決に対しても「そんなの関係ねえ」とうそぶいた人です。

 軍人に二度とこの国を支配されないというのは戦前の狂気の軍国主義社会からの教訓です。政治的主張はどうあれこの国のルールです。この人の立場、言動は「札付き問題幹部」の不良行為や非常識ではすまされない話でしょう。文民統制が機能していないどころか、そういう三流の人物を重用する組織の、まして武力組織の危うさ恐さを語らずにはいられません。政権党の人を見る起用する能力の無さでしょう。

 旧日本軍の内務班の様子は「真空地帯」、「戦争と人間」(小説、映画)などでも描かれています。徴兵のシステムによって年齢に達すれば有無もなく軍隊という国家的監獄へ引き込まれ、善良な庶民の人間性が全て否定され、ひとを殺すそして死ぬことを恐怖しないマシーンとして改造されました。天皇に忠誠を尽くさせられた兵士がつくられ、他国を踏みにじり侵略をしました。

 田母神さんのような人がこの国の軍隊のトップにいる、ぞっとする話です。

2008年11月10日月曜日

壮絶


辛淑玉(シン・スゴ)さんの「けんかの作法」(角川0604)「怒らない人」(角川0707)を読み進んでいると「悪あがきのすすめ」(岩波新書0706)のあとがきで弟さんの話がでてくる。何故「あとがき」だと思う。

2008年11月9日日曜日

狼が来た蔵くん


 「黒米」には香りがあります。

 稲のときから香りがあるということを石垣島に訪ねて行って知りました。だから鳥が寄ってくるそうです。田植えのあとは苗が食べられてしまうので1~2ヶ月はこの鳥との戦いだそうです。それでも食べられてしまうのだそうです。なんて牧歌的なのでしょうか。生産者のご苦労は田んぼに泊り込みで大変だとお聞きしたのですが。

 この香りの成分が都会の人には「異臭」と誤解されます。
この「黒米」は健康ブームになって復活はしましたが、食べなくなって1,000年ぐらい経つのだからそうなのかもしれませんね。この成分は黒米だけではなくほかの食品にも含まれ、異臭騒ぎになるときがあります。

 もう、食べる方も売ったほうも敏感です。というかビクビクしています。検査、ケンサ、ケンサ、ピーポーピーポー注意速報、狼が来た蔵くんです。オオカミが1日に100回来ます、担当は寡黙になっていきます。全体の株が暴落しても検査株は上がっているかもしれません。

 社会に許容性がなく、人はキレるようになり、監視社会になっていきます、工場や倉庫は鉄条網や堀で囲い、IDカードがなければ入れなくなっていくでしょう。監視カメラ、私物点検は容赦なくなるかもしれません。労働組合なんか入ってこられません。運送手段のセキュリティシステムも負荷されるでしょう、ただでさえコスト圧迫を受けていますのに。「誰も信じない」と煽られています、誰からなのか正体がわかりません。見えざる不安。

 生産から消費が離れ、野生味なんぞはなおさら遠くなって私らが小さいときに考えた「未来都市国家」になりつつあります。「無味無臭混じり無しの柔らかい食品」か、或いは不自然なのに「決まりきった味とフレーバーの食品」しかわからなくなるときが近づきつつあります。要するに宇宙食化しつつあります。昨今の食品の問題はつまるところ完全無欠の包装食品を目指さなくてはなりません。でも誰がつくるのでしょうか、安く細かく加工調味して完全無欠の包装食品を。中国のかたにお願いするのでしょうか、安く細かく完全にと。

 押し返さなければいけません。生活をまもるのは常識と想像力と食育・食の継承と寛容、笑いの絶えない食卓と家族、かけがえのない環境です。農業、漁業、製造業などありとあらゆる現業が尊重され、人間がモノである社会ではありません。

2008年11月8日土曜日

待ってたよ


 浪速の人間国宝桂米朝の長男、 桂小米朝の桂米団治への襲名披露講演の様子をBSで観た(11月3日)。
 襲名口上の場面ではこれまで見てきたどんなものより肩肘張らずざっくばらんで、米団治には辛らつで観衆の本音をくすぐるものだった。だから愉快だった。親の七光り、プレッシャーを散々揶揄され期待され、高座のひとり桂文珍からは、「いつもお客様から待ってたよと、声を掛けられる芸人になれ」と励まされていた、そうでなくては。
待ってたよ!

2008年11月7日金曜日

ラッキー

 この間、聞き損ねたと思われる村井吉敬さんの話を、今日まったく偶然に地元のケーブルテレビで、聞くことができた、というより見た。
「野村の自由学校」という番組。
『11月 は「エビから読み解く日本の食文化」というテーマ 、今回は、早稲田大学教授の村井吉敬さんをスタジオにお迎えして、日本人とエビの関わりなどについてお話しを伺います。食品の安全性に注目が集まっていますが、村井吉敬さんは輸入食材の一つであるエビから日本人の食文化を見守っています。』という内容でした。
ぜひ、みなさんも地元のケーブルテレビでみてください。「えび」から私たちの食と日本と世界がみえます。

「さら戦」という


「さらば戦争! 映画祭」がアップしていた。山形のドキュメンタリー映画祭とか新潟のナントカ祭からの選りすぐりを朝から晩まで4本立てで上映してくれる。しかも安い。毎年トークショーも催される。一昨年は「ディア・ピョンヤン」の監督ヤンヨンヒ(梁英姫)さんで、昨年は「パッチギ2」井筒監督だった。前売りには割引がある。自己申告制でワーキングプアならさらに割引がある。
この映画祭は若者達が運営している。このことに注目している。第4回らしい。
そんじょそこらじゃ見られない映画、いいぞ。
http://sarasen.noblog.net/blog/index.html

11月15日(土) さらば戦争! 映画祭 2008
―人間が始めたものは人間がやめればいい―
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■さらば戦争! 映画祭 2008 プログラム
   10:05 『靖国YASUKUNI』
   12:10 張 雲暉プロデューサー トーク
   12:30 休憩 (60分)~ハイナンNET短編映像 (30分)~
   13:30 『時代を撃て・多喜二』
   15:00 休憩 (20分)
   15:20 『ヒロシマナガサキ』
   16:50 西本治子さん (被爆者)トーク
   17:10 休憩 (20分)
   17:30 『早咲きの花』
   19:15 菅原浩志監督 トーク

2008年11月6日木曜日

1升瓶


 焼酎の1升瓶を買って飲む。
 経済的であるし瓶がリユースできると思っていたから。ところが売っているくせに引き取ってくれるお店が無くなってきた。せいぜいビール瓶までだ。ビンと缶のゴミの日に捨てられている。ボランティアの資源回収の催しでも対象にはならない。たいへんもったいない話だ。

 かつて日本の炭鉱は基幹産業であった。ただ、そこに従事する労働はつらいものであった。しかも命がけだった。だからそこに働く人々は自ずとよく組合に集まった。詩人が生まれ地底の歌を友にしてよく闘った。組合は生活協同組合をつくり生活をともに支えあった。日本が依存するエネルギーを国産できる石炭から安い輸入の石油に転換するとき職場と生活を守るために働く人々は闘った、国の進路を左右するエネルギー政策、日米安全保障条約という国策にまで人々はよく考えこの反対闘争に立ち上がった。それは文字通り燎原の火のようであったろう。

 筑豊も大牟田も高島も杵島も炭鉱のあるところはどこもかしこも我家からは遠い九州北部のことだった。三井三池闘争、安保闘争は我が両親には、ならずものの貧乏人が騒いでいて、背後には社会党や共産党がいてお上にたてつく「けすった」人たちと映っていた。ニュース映画で観る激しい労働組合の闘争の様子、それは田舎の小市民には理解できない世界だったのだろう。首相の岸さんは戦争中も戦後も偉いひと、筑豊の麻生家はたいへんな「分限者(ぶげんしゃ)どん」逆らう相手ではなかった。岸さんの鼻の高さ、それはりっぱな人だという証拠のように母が言っていたように思う。「革命」それはソ連や中国のようになること、自由がなくなる、恐怖のようにとらえられていた。

 どれがボタ山なのだろう。最初はわからなかった。石炭のくずの山、黒い三角錐そういう山を想像していたがそんなものはもはや無かった。70年代後半以降、就職して九州の旧炭鉱地帯を巡るときがあったが往年の趣きはなかった。

 若くて威勢がいいからお前はいちど訪ねて来いと誘われながらあちこちに不義理をした。今にしてそのころのことを悔いる。要するに生意気だった、今をときめく方になびいていた。

 それでも佐賀県の山にある得意先に訪ねていったことがある。大きな体育館のようなお店だった。往年の賑わいを想像はできたが、その旧炭鉱地域は火が消えたようだったのが目の前の姿だった。専務でありながら、発注もすれば納品の荷物も受ける。お店はまだ醤油も油も1升瓶で販売していた。確か1升瓶は木枠の箱に6本か8本入っていたように思うが、大変な重量物だった。だから入り数を減らすようにいつも訴えられていた。そのことよりも1升瓶という規格そのものが食品から急速に消えていきつつあった。今私はあの穏やかな老専務さんの年に近づきつつある。

 我家ではその空の1升瓶が車庫に山のように溜まりつつある。

2008年11月5日水曜日

兄弟


失礼だが「ウエコーのハゲ」と呼んでいた。だんだんに禿げてゆき最後には前頭部のところだけ残る禿げ方だった。度の厚いメガネだった。もらったわけではないが、年賀状には自らの風貌を漫画にしてサイン代わりにしていた、そういう茶目っ気もあった。

大阪に行く前日、共産党の上田耕一郎さんの訃報を知った。

腕は毛深かった、野武士の論客という印象だった。人を覗き込むような鋭い眼光、論敵の言うことを受けとめ、呑み込んでする反論は舌鋒鋭いのだが、どこかユーモラスでユニークだった。弟の不破哲三さんと比較される所以である。若いときの不破さんは必ず「自分の土俵」でモノを言ったし、その鋭さは切って捨てるようだった。それはそれで痛快だった。共産党は恐ろしい、きらいだという母もこの人と松本善明さんだけはテレビの国会中継で見て好んでいた。当時、若くて頭がよさそうというミーハー好みだったようだ。

以前、その不破さんが中曽根康弘さん、土井たか子さんとテレビ朝日に出演したときに、「与えられたものとしてどこに自分の居場所があるかということではなく、居場所のないような社会は変えて居場所のある社会をつくる。自分で夢と希望の条件をつくれ。今の社会の貧しさを自分の貧しさにしてはいけない」と老人然として若者に呼びかけた。風見鶏の大勲位も「その通りです」と。この人の苦労はこの人なりに“プリンス然”としていたのではないと知った。二世三世の根性なしまたは口先だけの“ソーリ”たちとは違う重みを思った。

神戸三宮で兄と会った。70を越してまだ働いている。働き尽くめだから、あと何回桜を見られると思っているのか、この季節だったら紅葉をあと何回楽しめると考えているのかと悪態をつく。君が言うからそれをこのごろはいつも思うと言う。いい年になって死ねば自然かなとも思う、どっちが先かわからぬが。しかし、悲しかろう。
別れ際になにをくれるかと思えば、高血圧生活読本の類、ぁ。

2008年11月4日火曜日

大阪、ええねん


大阪の「京阪京橋」から電車に乗れば今は京都市左京区の出町柳まで行ける。出町柳から京福電車に乗れば一乗寺、岩倉、鞍馬に行ける。青春の地だ。あの頃は制帽を粋に被った車掌さんがいた。

その京橋に近い大阪城ホールで開催された「食べるたいせつフェスタ08」の出展者の事務方として出張した。25,000人の来客見込み(目標)だったが、あの得意先の「副理事長」が動員をかけたらしく、終わってみれば37,000人余の押すな押すなの大盛況であった。昨年の東京が27,000人の参加だったからいかに多かったか想像できる。

久しぶりに思う存分大阪弁に浸った。大阪城を臨みながら会場のお弁当をいただいた。「ネコさん、おそとのネコさんやからお腹ぺこぺこでいてはるねん」おかあさんの子どもに使う大阪弁はやわらかい、他者のことをいうのに大阪風の敬語を用いる。

大阪城は開かれた公園だ。市民が憩う。金さえ払えばエレベーターで天守閣に登れる。ひとりの警官にも出遭わなかった。警戒厳重な江戸城とは違う。ざっくばらん。天候にも恵まれた。

一難去ってまた一難の一週間を過ごし、「食品の安全」ブースが受け持ちだったから身構えたが、詰問はとくになかった。「しっかりしてや」の雰囲気。起きているのも主に関東だったからだろうか。会場全体は「食」の大事さ、食育の必要、大阪(関西、中国、四国)の食の結びつきを訴えるものだった。これと事業が一致していれば何の問題もないと思うのだが。会場では「紙風船」の公演も聴こえた。

若いおかあさんやあるいは若い夫婦、そしてお子さん達が大勢訪れた。子どもはかわいいものだ、いつしかそう思うようになった。子どもを見る目の余裕を感じる、孫がほしいな。