2010年6月30日水曜日

いとこ会


 姑様は岩手県の山間部の出身。三姉妹の真中。父親が結核で早くに亡くなり、女だけの農家であったらしい。実家を継いだ姉夫婦も亡くなっていない。この義母の系統の「いとこ会」にいつからか休みをとって私も「婿殿」として加わり始めた。皆がいかにも「東北の人」という感じのおとなしい人たちで、妻殿の肩に隠れてなんとなく馴染んでいけたらしい。年上のいとこが肝いりとなり本家の屋号を冠して会を立ち上げて10年を重ねた。いとこ会といっても親たちを囲んで、年に一度東北のどこかの温泉宿に一泊して旧交を温める。義父母、叔母夫婦ともに健在で毎回欠かさず出席した。持ち回りで幹事を務め、今年は我が家の番だった。海に面した三陸の今をときめく大きな旅館を会場にした。昨年あたりから、定年退職をした婿さんも二人加わった。婿三人揃ってお酒も進むようになって、これまでとは少し異色の雰囲気になった。姑殿から発言があって、「毎年楽しみにしていたが、歳をとった。誰も欠くことなくここまで来られた。」10年目ということで区切りをつけよう。これからはあなた達だけでホントの「いとこ会」にしてよということになった。

 いとこの長男と妹がずいぶん歳が離れているので理由をきいたら、戦争があった。8年間出征していたのだ(シベリア抑留も含めて)。別のいとこはこの催しを随分楽しみにしているという、夫の両親の介護で、このときにしか一泊旅行できないらしいが、そんなそぶりは少しも見えない。みな、それぞれの事情を抱えていて、家庭があって、人生がある。そういういろいろな話を妻殿の身内に見聞きした。いとこさんたちはほとんどみな東京近辺にいるから、さて来年は箱根ででもやろうかという話にはなったが、幹事の引継ぎはなかった・・・。

鉄壁


 守りだな。今の組織に似ている。そつがない。途中から何か突破できないものを肌で感じ始めていたら結局そうなった。チームに何が悪い、不足だということではない。

 熱戦の後だから、早朝出勤の電車が少しは空いているかと思っていたら、そんなことはない。守り完璧、勤勉、この国にあるもの。昨夜の勝負は互角、似たタイプのチームどうしで、本試合では雌雄は決せられず、惜しいことをした。

 昨夜は9時前に激しい雷雨。爆雷攻撃を受ける潜水艦の中のように蛍光灯やテレビが点滅するほどの、局地的な雷雨が通り過ぎた。そのおかげで、出かけられなかった。身体がなまる。

2010年6月26日土曜日

ジョーロ


 実は欲しいものが2つあって、どちらかでいいと言っていたつもりだ。おしゃれな「傘」か「ジョーロ」。ジョーロは昔のプラスチック製のものがあって、素材が劣化してボロボロになっているのを未だに使っていた。そしたら、1日遅れで大きな宅急便の箱に入って長男から送られてきた。メモには「みんなから」と書いてあった。両方もらってはバツが悪いので、どちらかでいいと言っていたでしょと我が伴侶に多少抗議するのだけれども、「はいはい、ここは首領サマのところですから」といなされる始末。まあいいか、もらったものは仕様がない。モノに囲まれてホッとする性格。さて、雨の日には「軍旗」を、晴れた日には「ジョーロ」で水遣りを、だ。
 先月漬けた塩らっきょうを酢漬けにできた。
 今からJRフリーパスで石巻の先の猫島(田代島)に行ってくる。

2010年6月25日金曜日

LIVE


 井上ひさしさんの故郷、山形県川西町の「生活大学校」に招かれて、松元ヒロさんは「憲法君」を演じたそうだ。これを観た井上ひさしさんは感激のあまり楽屋に飛んできて固い握手を交わしたらしい。あのトレードマークの丸い眼鏡、少し出っ歯の面相を間近で見たときのことを、どう見てもこちら側のコントをする側の人だと思ったという印象で会場をわかす。世界的な作家のことも形無しなのだけれども、ちょっとそう思っているかもしれない本音のところをくすぐる。これが人間の命に値段をつける輩や権力者にたいしては痛烈な笑いに仕立てる、痛快だ。

 ドンピシャとはこういうことなのかな、妻殿が律儀に起きてつられてデンマーク戦をライブで観る。にわかファンなのだけれども。フリーキックが2発も決まるなんて。ハーフタイムだ。自民党のCMが入る。「にっぽんの政党、自民党」

2010年6月24日木曜日

SOLO LIVE


 昼休みの散歩から帰ってきたら、昔お付き合いしたお取引先の営業部長と受付のあたりで遭う。会釈で済まそうとしたら「お元気ですか」と問いかけられ、たまたま持っていた『安ければそれでいいのか』(山下惣一編著/コモンズ/01年11月)の表紙で応じる。

 たまたま義兄(姉の夫)の誕生日が今度の月曜日であることを知って、妻殿とデパートで待ち合わせて、かねてより姉に贈りたいと思っていた絹のパジャマと今治タオルをペアで送る手配をした。色違いで上の姉にも送った。そして会場へ急ぐ。夕食をとる暇がなくなった。楽しみにしていた公演だ。

 火曜日に見事な落語を堪能したばかりだが、今宵はSOLO LIVE『松元ヒロの憲法君がやってきた』。
 抱腹絶倒なのだけれども、ペーソスとじわっと温か味が湧いてくる。清々しさ。ザ・ニュースペーパーの結成に参加した人であって、時の権力者・総理のマネをやるが毎年変わるのでやりにくい、「なれたか」と思えば変わるので芸人泣かせだとまた笑いをとる。このたびの菅さんはやりにくいらしい。自民党の方がやりやすかった、政権交代をした民主党は当初やりにくかったらしい、今は政権後退だとこきおろす。報道されるイラクでテロリストの捜索に侵入する米兵、鬼退治の桃太郎、モノゴトというのは突如押し入られたイラク市民の立場、退治された鬼の立場からみたらどうなんだろうと話を持っていく。よく考えたらそうだ。テレビは米兵の立場から報道される、桃太郎は悪い鬼を退治した物語として理解される。でも、どうなんだろうと。‘美しい日本’の安倍晋太郎さんが時代に合わなくなったと憲法を変えようと言った、その日本国憲法の気持ちから考えたらどうなんだろうと。ヒロさんは憲法になりきることができる。井上ひさしさんは「憲法は日本語じゃない」と言う石原慎太郎さんと論争を演じたそうだが、松元ヒロさんの諳んじる日本国憲法は美しい。文字通り崇高であることが表現として理解できるからすばらしい。一段と磨きが入っている。相変わらずの熱演、楽屋を舞台の上に設定してひとりぶっ続けで1時間半。
 松元ヒロさんは、いろいろな立場の人から実力を認められている「知る人ぞ知る」人だ。ソロで、しかもライブでしか見られない。次は紀伊国屋ホールで「松元ヒロ ひとり立ち」がある。チケット発売開始8月5日。3,300円全席指定。9月23日17時開演、9月24日19時開演、9月25日15時開演、9月26日15時開演。

 あれ、いつも一緒のうちの伴侶はいつのまにか寝てしまった。3時には起きるらしい。デンマーク戦はライブで観るそうだ。さて、どうしよう。

2010年6月23日水曜日

落語を聴く


 最高裁ってこんなにおおっきいのだぁ…、としきりに関心を示していた伴侶と待ち合わせた。その裏側の国立劇場小劇場で「林家染丸とゆかいな仲間たち」~文化庁芸術選奨受賞記念興行~という案内をいただき予約をしていた公演。生の公演って迫力あるものだ。桂阿か枝、林家染雀、桂文珍、桂三枝、三遊亭好楽、林家染丸さんたちの豪華な落語を堪能することができた。若手の人もすごいものだ、ひきこまれた。トークコーナーまであって料金の割には得した感じ(実際にそう)。
 それで、財布に入っていた有り金、全部はたいて買ってしまった。染丸さんが主役だったのだけれども、『桂文珍10夜連続独演会(2008年4月4日~4月13日)DVD-BOX 計20席収録』おつり100円。お仲間たちと飲み会になったらお金借りるしかなかったけれど、永田町の夜はお酒のめるところもう開いておりませんでした。
 プレミアムモルツは飲むし、DVD-BOXは買うし、景気がよくなっているがですか、と帰りに並んだ自転車をこぎながらの会話。そげなことはなかろう、消費税10%大連立ですけん。そげですか。連合艦隊再建じゃ。軍事予算と政党助成金は聖域ですか。
 日付が変わって昨夜のことになってしまった。ATMに行ってお金をもらってきたらと昔、子どもに言われたことがある。PASMOがあれば東京中どこにでもいける。しかもチャージが減っても屁っても増えとる。

2010年6月21日月曜日

デンと揃えた

 雨が降るかなと思っていたら、晴れて、もった。夏至の日だ。7時過ぎまで空が明るく、しかも夕焼けだった。この情景が刷り込まれている。九州の故郷はもう1時間近く夕方が長い、だから8時ぐらいまで明るく、夢中になることがあったらそのぐらいまで遊んでいた。広場から見る西の空の大きな夕日がホントに大きかった。ノスタルジアかな、「3丁目の夕日」の世界そのもの。明日から日が短くなっていくかと思うとそれが好きではない。その九州南部に土砂降りがつづいているという。そういう体験もある。ニュースの画面に出ている地名は我が故郷だ。

 日曜日には先週注文していたシアターラックと録画機が配送されてき設置してもらった。かくして、我が家の茶の間にドンと鎮座した形になった。同じメーカーで揃えたので、観るだけなら一応ひとつのリモコンで観る操作ができるはずだが、これでテレビの周辺には4つのリモコンが備えられた。おもしろいのは、ひとつ多いので何かとみたら録画機のリモコンで正規のものと簡易バージョンのリモコンが2つあったことだ。デンと備えてしまえば、なにかそれで済んだ気になっているが、さて目的に添った操作はこれからだ。まるで、パソコンを操作するような感覚や、感性が必要なんだな。これはパソコンをやらないお年寄りなどには大変そうだ。そのために、簡易操作できるリモコンにしているようだが、それはそれで私ぐらいには助かる。

手作りの傘


 翌日、前夜の礼をメールにて述べたれば、「軍旗だと思って、死んでもなくさないでくださいな」ときた。

 通勤に使う折りたたみ傘が損傷して不自由していたので、どうせいただけるものならと、「傘」を所望していた。骨のところがいかれる。いつも西友のようなスーパーの店頭に並んでいるようなものしか使っていなかったので、「おしゃれな」という形容をつけていたのが、負担をかけてしまった結果になった。

 父の日イヴのパーティーを始める前にと、皆からのプレゼントをいただいた。それが、ずいぶんとりっぱな手作りの傘だった。折り畳みではない。三越日本橋店にまで行って求めてきたとのことで、いかにも重厚壮大、威厳をこめたこの傘はずっしりとしている。ジャンプ傘ではない。開けば骨の数、構造ともに「丈夫さ」や「モノづくり」を絵に描いたようなもの。もちろん、リュックには入らない。さて、こんなりっぱなモノを手にするのは人生初めてだ。どう使いこなそうか。

 兵卒余情半は今より「軍旗」を持つことになった。

2010年6月20日日曜日

父の日イヴ


 オランダ戦は惜しきことなり。後半は互角なりしも。

  長女、二男来たりて、余の好物なるゴーヤチャンプル、ポテトサラダ、冷シャブ(妻殿の作)を作りたり。大皿に山盛りで食卓を賑わす。八重山産のイカ墨の塩辛も食卓にのぼりしに、プレミアムモルツにて乾杯、W杯を観戦。続けて焼酎「蔵の神」の炭酸割り、好み一致するはやはり家族水入らずなり。デザートには長女手作りのシュークリーム。酔いて、横になりしが不覚にもそのまま眠りにいたりし。
 夜中に目覚め、宴の跡をみまわしつつ、よく礼も述べず帰らせたることを悔いる。鳥のさえずりを聞く。日記(ブログ)も認めざる昨夜のことなり。

2010年6月18日金曜日

帰り途


 午後から雨になる。通勤の帰りにその雨を押してジュンク堂本店に行く。ホームページにあったから求めに来たのだけれども、求めたいモノは30分も待たされて結局お取り寄せになった。那覇に支店があってそこのお店のお奨めと載っていた。本店だからあると思ったのだけれども。待っている間、外を見ていたら、先週行った豚のレバーの刺身を食べさせる豚串のお店が見えた。途中にはおしゃれな沖縄料理店に薩摩料理店が並んでいる。しかし、初めて訪れた店だけれどもまるで図書館のようだ。これはすごいお店だ。時間に余裕があったらまた来たいな。
 次に乗換駅で途中下車してレコード店(といっても今やCD店だが)に寄った。ザ・ピーナッツの最近出たCD(THE PEANUTS “THE BEST 50-50”)はどこにあるかと訊いたら、若い店員さんにそのザ・ピーナッツとはなんだというような顔をされてしまった。年代的には無理もないのだけれども、音楽的には知っていても不思議ではないと思うのだが、それで結局置いてなかった。お取り寄せになるというから、電車の時間もなかったのでそれはまたにした。
 久しぶりの休日前だ。焼酎「蔵の神」を炭酸で割って飲む、喉も渇いていた。すると酔う。この間の干し筍と三沢さんところの薄揚げ井上さんとこの蒟蒻の煮物がなかなかおいしい。それで私の‘困難’ってなんだっけ。向かえば開ける。しかし、疲れた。
 菅さんになって本性が出たな。世の中が選挙モードになった。

2010年6月17日木曜日

配慮


 夏至に向かう晴れた日の夕空が好きだ。
 14日に梅雨入りし雨続きのはずが晴れた、すると夏日だ。

 眼鏡をかけていている。もう裸眼でないと近くの文字は読めない。ところが、最近本を読むのに、裸眼でもかすむようになってきた。

  今春のダイヤ改正で私の利用する鉄道会社は時刻表(ポケット版)配布のサービスを止めた。Webで見てほしい(そして勝手にプリントアウトせよ)とした。それでホームページを開き、いつも使うためにようやくプリントアウトしたのだが、ポケット版サイズの設定になっており小さな文字で、老眼に近づきつつある私らにはとても不便だった。それらの苦情がようやく届いたのか、一昨日からA4版の大きさで印刷できるようになって、大きな文字で読めるようになった。そうは言ってもパソコンを扱えぬ人や、プリンターを持たぬ人にとっては、時刻表は入手できぬに等しい。この会社の利用者軽視は今に始まったことではないが、なんとも配慮の足りないことだと考える。

2010年6月16日水曜日

フリーハンド


 からだが重い。体調のことではない。
 カメラに携帯電話、万歩計、財布に定期、手帳が2冊、ペンが3本、おせんにキャラメル。ハンカチ・ポケットティッシュは当然だが、以上のようなものを携帯している。
 「シンプル イズ ビューティフル」妻殿の信条だ。その彼女とて「大きい葛篭(つづら)と小さい葛篭」のどちらがいいですかと訊かれれば、迷わず「おおきいつづら」という方だ。モノを増やしてアンシン、囲まれてアンシンの生涯を突き進めている。私が悪い。私は頭でわかって、そうはしない。

 気のせいかもしれない。
 一時期、心に不安のあるときがあって、ひとのマネをして通勤カバンをやめてリュックにした。まじないのように、あるいはゲンを担いだ。
 徐々に仕事関係の資料類を持ち歩くのをやめた。持ち歩かなくてもすむ仕事になったせいもあるが、お弁当におせんにグリコキャラメル、いくばくかの本が入っているだけである。家の鍵、充電コード(カメラと携帯)、小銭入れ、飛行機の座席からもらってきた吐き袋、あとはそんなもの。
 それで、心の平穏が保てるようになってきた、そんな気がしている。めざすは、晩年の母のリュックだ。タオルハンカチとちり紙、大きな鈴のついた部屋の鍵だけだった。かわいいリュック。

2010年6月15日火曜日

味わいの干し筍とひととき

 楽しみはとっておくほうだ。

 竹の子の乾物があるとは知らなかった。産地はどこだと聞いたら、九州だ、熊本だとなってなんと国境(くにざかい)の人吉の産だという。球磨川の上流で盆地だ。私のところは、竹の子は掃いて捨てるほどの産地であるから、干し竹の子なんてなかったのかな。上流の隣町は文弥人形の東郷町で、そのまた上流の町が宮之城(地元では「みやんじょ」と呼ぶ)。宮之城の竹の子と言えばブランドになっている。

 案内をいただいたときは、遥か先の日程だと思っていたひとときを過ごした。「梅雨の最中に」という言葉が的中して梅雨入りした。

 つくるひとがつくれば、乾物とは味のあるものだ。
 帰るときにいただいた「干し筍」、板長さんに教わった戻し方をご一緒していた人からメールでいただいた(ありがたい、覚えていなかった)。 
 それによれば、
「干し筍のもどし方をお伝えします。たっぷりの水で5時間以上(一晩浸けておくのがおすすめ)もどす。水から最低でも1時間半以上弱火で柔らかくなるまでゆでる。調理する時には、細かく隠し包丁をいれ繊維を切断する。」

 ずいぶんと口当たりのいい焼酎を割らずにいただいたので帰り着いたときにはすっかり酔っていた。目をこすりながら“なめ”ちゃんとのバトルを終え、日記(ブログ)を律儀につけて、楽しみにしていた舌鼓とひとときの日を終えた。

 入梅したばかりなのに今朝は一転、晴れる。夕方から雨の予報だが一か八か洗濯物を外に干して出かけた。なんとかなった。お茶と一緒にさつまいもスィーツをいただく。モノが豊かになって、楽しみはとっておけないほうになった。

2010年6月14日月曜日

玉砕的風貌


 以前リフォームしたとき、リビングを思いっきり大きな出窓にした。そして一番いいペアガラスにした。そこに私の姿が映る。

 南方戦線では飢餓と激戦が続いているというのに、通勤から帰宅してまともな夕食をとっている陸軍参謀本部のサラリーマン将校のようだ。

 「雑誌に出ていましたね」とか話し掛けられてキョトンとしていると、ほらほらと携帯に撮った画像をみせていただく。なるほど、そっくりだ。言うところの“他人の空似”。というより、落ち着いて見ると同じ風貌なのだ。しかも、その人の肩書き・氏名をみると我が故郷の隣町の濱田ナニガシさん。さるメーカーの幹部さん。ほほう、あなたのところではみんなこうなの、親戚じゃないのなどとチャチャをいれる人もいる。

 歳を積み重ねてきた。頭頂は既にバリカンの手応えもない。そうはいっても、わずかにはあるから女房殿は鋏を使ってカットする、それもあっと言う間だが。そうなると、人はどうするかというと仕方なくバランスをとるためか、口髭(ひげ)、あご髭をたくわえ始めるようだ。だから波平さんとも違う。この年代同士で同じような風貌に少なからず出遭うということは、そういう傾向が多いということだ。堀江貴文さんの後任の社長さんもなんとなく似ていた。

 ありていに言えば“東条英機のなり損ない”、・・・。

2010年6月13日日曜日

3.1ch


 あろうことかリレーのアンカーになっていた、訳がわからない。相棒とどうしたこうしたとか、相手チームは専務達だとかという悪い夢にうなされた。どういう潜在意識があるのだろう。トイレに立ってそれっきり目が覚めてしまった。午前3時過ぎ。もう外は明るい、それでしかたなく起きていた。9時になったら自治会斡旋の「取れたて野菜の朝市」があったはずと公園に行ってみたら、何を見間違えたのか来週のことだった。
 家電大型店に出かけて行ってエコポイントの申請を手伝ってもらった。そして売り場に行くや、東芝ブランドでシアターラックと録画機をえいやと買い揃えてしまった、お取り寄せとなって来週やってくる。「レグザリンク」とやらで、リンクして操作できるとのこと。難しい操作はできないのでシンプルな機能のものにした。
 少し家の中の模様替えをする。いよいよ明日あたりから梅雨に入るそうだ。例年の10日遅れぐらいとのこと。気温が低い。そうだ、らっきょうの酢漬けをつくらなければいけないのだった。もう眠たい、来週にする。

2010年6月12日土曜日

ゆびきりげんまい


 必ずお米をいただきますよとお願いしてつくっていただいている。それが生協の予約米だと理解している。産地・品種はわかっているが、どこのどなたのお米かまでは知らない。だけれども、どなたかと約束をしてつながっている。単なるお米の購買ではないと、考える。我が家の食をどこかの大地で支えていただいている。スケジュール記入に使っているので毎日「田んぼの四季」(産直米カレンダー)をながめている。注文しなくても定期的に配達される仕組みだ。これが二人暮しになって、月に1回わずか5kgになった。それも最近だぶつき始めた。日本の伝統食を見直しましょうとか、お米を食べましょうとか言う立場にあって、一人年間一俵(60kg)も食べなくなったと嘆いておきながら、これはやばい。

 ご飯を食べずに何を食べているのだろう。
 ピザは食卓にのぼらない。うどん・そば・そうめんもめったにない、乾麺の在庫はあるが。スパゲッティはこの前実に久しぶりだった。お好み焼きでもない、焼きそばでもない。たこ焼きを主食にするほど関西度はない。フランスパンとワインみたいなこともしていない。そういえば春雨は代用している、な。太らないからと。

 別に依存症ではない。今夜こそ飲むまいと決意してその日に臨む。しかし、夕食にちょっと品数が多かったり、季節のものであったり、汗をかいたりした後であれば、「ぷはぁ~」とやりたくなるのは人情だろう。二度とない今日この日、ほかに何の楽しみがあろう。景品欲しさに買ったプレミアムモルツがある。生協の宅配で来たモルツ(ケース)も日本酒もある。他にあれこれの焼酎、なんだかやの泡盛もある。コープただの炭酸水はケースで買い置きしている。それなのに、どちらかと言えば飲まなかった日の翌日の方が体調はいい。だから、毎朝「今晩は飲まない」と我が家の伴侶に宣言している。「武士に二言はない」とも。ところが、毎晩「武士」ではなくなる。

 それだ、ご飯を食べずにアルコールを「食べている」。それで、せっかく炊いたご飯とお味噌汁を翌朝にまわしているものだから、つくる方だっていやになる。段々にご飯から遠ざかっていっていたのだ。毎日持っていくお弁当ぐらいにしかお米を使っていなかった。それで、一念発起、飲むのを控えて今日で3日目。調子はよい。まっ、無理をしてもしょうがない。明日とあさっては飲もうかな、むふっ。

2010年6月11日金曜日

相棒相槌相方


今日をしのげば明日は休みという金曜日ではないなどと、くだくだと出勤前の玄関で愚痴をこぼせば、「おう、そうだそうだ」と洗面所から我が伴侶は歯磨きをしながら応じる。

「いいよね、うなずくだけで」と応えれば、「その相槌を打つ相手が必要なのよ」とくる。

妙に、心にグサリだ。
途中で出す生ゴミバケツを持って、気合を入れて我が家をあとにする。

宮崎の人のことを考えれば、沖縄の人のことに思い至れば、なんのこれしきのこと。

2010年6月10日木曜日

考えること

 最近の投票の傾向、世論調査からいけば、このままでは、参議院選挙後には巷間言われている「みん・みん」連立政権のできる可能性がある。民主党とみんなの党の連立だ。そして松下政経塾閥の主導する政権だ。本格的な(?)新自由主義政権ができそうな気がする。小さな政府(現場公務員削減)、国民負担増、議員の削減・議会の形骸化をめざす政策、行き着く先が憲法改正・再軍備となるだろう。そうすると、新しい形のファシズムへの水先案内人のような性格の政権となる杞憂を覚える。

  だから、対立軸はそれこそ新しい「サヨク」糾合ではないのだろうか。いつまでも、つくれないのだろうか。共産、社民、共産党嫌いの佐高信さんのような種類の人たちが一緒に政権をめざすこと。小異と過去を保留して、大同につくこと。そうでなければ、苦情の会、窮状の会、アンギャ~の会というバラバラのまま、正しいことを言っているだけに過ぎない。若い人たちに未来を残せない。

2010年6月8日火曜日

腹筋背筋の力


 背骨は脊椎がひとつひとつ重なるようにできている。だから、ひとつひとつを折り重ねるように背骨を曲げることができる。仰向けに寝て膝を立て腰の辺りの脊椎に次の脊椎を乗せるようにして腹筋背筋を用いて起き上がる。実はそれができない。腹筋背筋を鍛える運動だがほとんど誰でもできるようだ。私は腰の辺りの脊椎の幾つかが棒のようになっている気がする。ようやく背中の辺りの脊椎から曲がる。だから猫背にはなるのだろう。腰の辺りから仰向けになるにはドタッといく。しなやかに丸くいかない。だから、腹筋背筋の力だけでしなやかに丸く起き上がることができない。腹筋背筋の弱さが本質なのだろうが、何か身体の硬さの体質がある。かように、人生の横断も縦断もしなやかではない。ぎくしゃくで、下手なちからを使う。

2010年6月7日月曜日

豊かになれば

  生協のカタログの表紙に紹介してあったので、『うちのご飯の60年――祖母・母・娘の食卓』(阿古真理さん、筑摩書房、09年10月)を読み始めている。詳細な記述でふんふん、なるほどと。

 10年ほど前から「雑穀ご飯の素」みたいなものが東京あたりから売れ始めた。健康によかろうとお土産に持って帰ったら、母からは「何でそんなものが」というしかめっ面をされた。考えてみたら、お米のご飯を三度三度食べられるようになるのが時代の価値観で、何を今更好き好んでヒエや粟をという気持ちだったのだろう。そんなことを思い出した。

 地デジ対応テレビが初めて我が家に来たのだが、これは大変だ。BSハイビジョンさえ観られたらいいと思っていたのだが、チャンネルの多いこと。ケーブルテレビで繋いだ。お試し期間とやらで、今のところあれもこれも映る。画面と時間はかぎられているのに、どうすればいいのよというぐらい。
 「豊かな選択肢の中の不自由」とかそのうち言い出すのかな。さてさて。

2010年6月6日日曜日

思案


気骨がなければ筋が通らぬ。実は骨があれば折れる。その骨の折れる努力をしてこなかった。それで気骨がない。へ理屈で自分を表現している、「バッカだねェ・・・」(森川信さん風)。

はたと困った。知る人が誰もいないところに行くことになる。落下傘だ。

人付き合いがうまい方ではないし、好きでもない。人見知りする方で、こっちから飛び込んでいくタイプではない。怖じ気付く方。

何か芸があるかといえば、無い。技能もない。人脈も持たぬ。
土をいじったことがなければ、釣り糸をたれたこともない。なにしろ魚の目がこわい。蛇やミミズにご婦人以上に嬌声をあげかねない。技能もないから、何かつくることも知らない。お金がなければ生きていけないタイプだ。誰かに助けてもらえそうにもない、そう甘い考えも持ってはいないが。

因習はおろか、慣習も何も知らないだろう。ゴミを出す日だってわからない。と、そんなつまらない不安がよぎる。

2010年6月5日土曜日

メモ


 日記に記録をつけておかないと忘れてしまう。
 アンテナは買わないで、本日ケーブルテレビを繋いだ。工事費52,500円、年間維持費4,410円。それで、チラシに出ていた32インチの地デジ対応テレビを買いに行った。東芝レグザ、特売用かな。ラップかホイルを買うように「これください」と。これまで、さんざん迷っていたのにあっさり。そしたら、なあんだ、エコポイントって地デジアンテナの費用には使えたのか、先に知っておくべきだった。国の費用使って、地デジ推進・テレビ買い替え追い込みの家電業界エコヒイキの「エコポイント」だったんだぁ。考えが及ばなかった、私には、頭のしなやかさがない。それで明日来る。アスクルみたいに。だめだ、ダジャレじゃ。しかし、店頭でみたけれど、3Dもたいしたもんだ。
 昨年11月に公演した「♪ムツゴロウラプソディ」のDVD(3,500円2010年5月)がようやく手に入った。ワイドスクリーン用に出来ていて新しいテレビで再生した方がいいようだ。

 日記に記録をつけておかないと忘れてしまうものだ。
 今朝、シホさんは新幹線で博多に行った。友達の結婚式に出るためだが、そのまま実家にお産で帰る。夏には私たちはジジ・ババになる予定だ。新聞の景品でいただいて、昨冬球根から植えていた百合の花が次々と咲いた。そしてゴーヤの花が初めて咲いた。朝早く起きて(5時半)、連日ナメクジとたたかっている。

 日記に記録をつけておかないと忘れてしまうものだろう。
 世襲政治家の政権投げ出しはいつものことになってしまったから。5月28日には辺野古移設を日米共同発表し閣議決定、福島社民党党首を閣僚罷免。そうして6月2日に鳩山由紀夫さんが首相を辞任した。小沢一郎さんも民主党幹事長を辞めた。6月4日に菅直人さんが首相になった。菅直人さんの野心が成就した。まじめに生きる人々のために働いてもらいたい。ひとにぎりの人々がいくら大金持ちになったところで、世の中が刺激的で希望に満ちて努力が報われる社会にならないことは、よくわかった。新自由主義的政治をいくら進めたところで、金儲けの欲望を満たすだけの殺伐とした競争社会をつくりだす。自公でもない民主でもない、「みんなの党」だとかなんとかの投票傾向に向かっているようだが、それではお先はまっくらだ。菅直人さんも、もしその方向に傾けば現在の閉塞を何一つ解決できないだろう。民主党にはその怖さが常につきまとう。

2010年6月4日金曜日

有馬温泉


 先祖の供養と墓を守らなければいけないという長男としての義務感があって、兄は母親が生きている時から、兄の住む地元に墓を移すこととその宗教的な作法にこだわっていた。来世観の違いはともかく、宗教的費用には何の根拠もない。そのことで大金を注ぎ込んでいるように聞こえてきたので、何度か話し合ったことがある。

 母の一周忌を迎える。縁もユカリもない墓地、供養の仕方にどうしてもなじめないのだが、それはそれ。兄も癌を患い、どこまでがどうなのかよくわからないが、つらい状態ではある。故人を偲び、生かされている我々遺族(と言っても兄弟だが)が集まって消息を確かめ合う、そのことが法事という庶民のつくりあげた仏教的な知恵だと思っている。だから、本当は生まれ育った山や川のある故郷に集まってやるのが、いちばんいいと思っている。その方がくつろげるし、母親や兄弟との思い出に浸れるし自らの癒しになる。ずっと、そのことを主張してきたが、日常に「墓を守る」という、私に言わせれば兄の「形式」に譲った形だ。「お墓とは何か」ということにもなる。

 ともかくもこの夏に、みんなでお墓に近いという神戸の奥座敷の温泉に宿をとることになった。

2010年6月3日木曜日

灯火と幻想


 マッチを擦って火を灯しただけで、なんであんなことが見えるのだろう。それになんで死んでしまったのだろう、と。小さい時、確かそう思ったように覚えている。深い想像力、その情景へ思い至ることに欠けていたのだろう、今でもそういうところがある。凍え死んでしまった「マッチ売りの少女」の結末。

 そんな理不尽なハナシがあるものかと、なんとも言えぬ思いがあってそれが心の奥底に残り、そしてその思いからそれっきり逃げ出してしまっているのを感じる。そういうことを、人生で再び想い起こさせたのが2008年の派遣切り、部屋立ち退きの仕打ちだった。それに、あの冬はまた一段と寒かった。

 少女は家に帰ってはいけなかったのだろうか。親の庇護にあってそれをあたり前だと思っていた自分の境遇からは少女の追い詰められた立場や気持ちが理解できる由もなかった。人生を積み重ねるにつれ、そのことがわかってきた、帰るところが無いということを。マッチを灯して暖をとれるはずもない、でも幻想は見ることができるのだと、人生を経て来てわかるようになってきた。

 「むごいことを美しく描く」という松本善明さんのなにげない評が心に残る。作家・芸術家のちからはすごいものだ。

2010年6月2日水曜日

すっきりさせた


 私らには鳩山さんのことをどうしても憎めないと話し合う。そこは小泉さん、安倍さん、麻生さんとは違うものを感じる。とは言うものの、期待を裏切ったのは事実。どうせなら安保条約や地位協定、つまりアメリカと差し違えして欲しかったな。

 サントリープレミアムモルツの景品のビールグラスは優れものだな。2つ揃えた。

 「やんかぶる」という方言がある。髪ぼさぼさ、髭ぼうぼうでむさくるしいというそんな意味のことを言う。いつもお願いしていた植木屋さんに、以前ずいぶん値上げを言われたので、ほったらかしにしていた。二年ぐらいになるのかな、さすがに“やんかぶって”しまってこちらが音を上げた。見積もりももらわず、前と同じ植木屋さんにお願いして一日がかりできれいにしてもらった。刈り上げたスポーツ刈りみたいにスカッとさわやかになった。高かろうと覚悟していたが、以前の料金と同じぐらいの請求だったのは意外だった。デフレだな。

2010年6月1日火曜日

ちひろを聞く


 「息子が」と語り、こういうポーズをとるとおかあさんは喜んだそうだ。それが「立てひざの少年」のモデルらしい。猛さんのことだ。この息子さんによると、おふくろは自信のない絵はおやじに見せていた(なんでも褒めるから)、自信のある絵はおれに見せていたそうだ。

 そういえば、いつか安曇野のちひろ美術館に行ってきて「ちひろBOX」(講談社2004年)をプレゼントしてくれたのはうちの息子だった。