2008年10月23日木曜日

南島漫遊記 Ⅱ

 今回のツワーコンダクターの役割を担ってくれた比嘉さんは心やさしい人だ。蝶が大好きでこの島は蝶の越冬地だという。朝の散歩に誘われた。宿泊したペンションの海に臨む庭の片隅にこともなげに蝶の群れを見つけた。

 八重山諸島の空の玄関口となる石垣空港は滑走路が短い。着陸すると、まるで急ブレーキをかけたように前につんのめる。今日のパイロットは上手だと隣の席の比嘉さんは言う。かつてこの空港を移転して新空港を東部の海岸、白保地区の沖合につくる案があった。完成すればちょうど現在の奄美空港のイメージだろう。だが、これはかけがえのない白保の珊瑚群落を破壊することであったので、集落住民だけではなく自然保護団体、研究者が立ちあがった。声をあげた。住民運動があった。離島である島全体では新空港が望まれ、その住民運動にも紆余曲折があったようだ。今は海上埋め立てを伴わない条件で、白保地区の北部に建設ということで決着しているようである。

 この住民運動に関り、その後この地方の価値ある産物を販売することによる支援、あるいは掘り起こして販売を手がけることに転じた故人。その後継者の会社の人たち、同じく研究者に転じた人を紹介された。会社はM社という。故人となったU氏とはあのころすれ違ったことがあるような気がする。商談室で会っていたかもしれない。電話でも試食用サンプルをお願いしたことを覚えている。ずいぶん声の落ち着いたご婦人だったような印象は残っている。M社の扱う内容は私の職場とは開きがあるが、まんざら異業種でもないので交流を深められた。

 白保の海岸で後継者のNさん(M社の現社長)から運動の歴史とお話を皆でうかがった。この人もご婦人。部下で営業のKさんも石垣島出身のシマンチュ―で、子育て中のご婦人である。WWFの施設(注)では日曜朝市をやっていて出店していた新城(あらしろ)栄子さんというご婦人を紹介いただいた。ここの海人(うみんちゅ)の住民で運動を担った。この人がこの海岸の「天然もずく」の採取加工の生産者であるということも知った。 
 注:WWFジャパン白保に設立されたサンゴ礁保護研究センター

 この日曜市で新城さんが売っていた「ほら貝」をちょっと迷って、えいやで買い求められたのが今回ご同行の麗しきマダム。気にいられたらしく、壊れ物だからその後の行程でご自分の頭は強く打つことはあってもこのほら貝だけは守り通された。「木口小平は死んでもラッパを放しませんでした」(日露戦争時の軍国美談)とご自分からおっしゃっていた。誰のことだかは言えない、我社にとっても前会長の覚えめでたき‘やんごとなき’お方。お江戸の地元、下町の職人に依頼して吹き口をこさえ、次のツワーでは集合の合図にお使いになるそうな・・・。

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