2009年10月31日土曜日

ちから


感性が強過ぎては、人は死んでしまいそうだ。
人は皆、何かの感性をもって生まれてきたと思う。
そして感受するものがそれぞれ違う。
それを表現する力、絵や画像、音やリズム、弁舌や明快な論説。あるいは爆発かもしれない。そこに差があるのだろう。皆が優れて見える。
確かに何かの感性をもって生まれてきたと思う。

2009年10月30日金曜日

間合い


あれとかそれとか言うようになって、最近言葉が出てこないという、それはそうだ。あれ、あれだよって言って意味が通じる相手とばっかし付き合っているのかな。あれってなんだよ、ああ、あれか。そういうのを野暮な几帳面は許してくれない。

2009年10月29日木曜日

重い


通勤カバンをやめてリュックにして久しい。そのリュックがやけに重い。「カムイ伝講義」(田中優子さん著08年10月刊、小学館)を入れているせいかな。いや、それを除いても重い。お弁当は仕方ない。チラシはあれが21枚、それとあれが10枚程度、こんなもので重くなるはずがない。ファイルはこれとあれ。いったい何を入れているのだろう。
頭も重くなってきたら、それは危ない。
帰りのリュックはもっと重くなった、本が増えたせいだが。
今宵は弦楽四重奏を堪能した。空が澄んでいた。

2009年10月28日水曜日

初版本


 前の日は冷たい雨が降った。北風が吹いた。レインコートは出したが夏のスーツをまだ着ていた。翌朝になれば、元気そうな日が昇る。澄んだ青空だ。くっきりと、こんなに大きかったかなという富士山が見える。この御山は武蔵野からは見る場所によって大きさが違うからいつも不思議だ。打って変わった好天だ、訪れる人の足元を心配していたようだが、行いのいい人は天候にも恵まれるらしい。冬服をひっぱりだして着たら日中は暑かった。橋本に向かうときはもう日が暮れた。そういえば京王線で向かうのは初めてだ。路線図の見えるところに立つ。みなさんと改札で待ち合わせて会場のお蕎麦屋さんへ駆けつけた。

 増田レアさんが『きなり歳時記2007~2008』(09年10月刊)という初版本を出す、朗読会をする。朗読会は三回目だそうだ。会場になったお蕎麦屋さんを任されている斉藤勝男さんには、店づくりとして何でも手作りのこういう催しを行いたいという願いがあったそうだ。会場はそういうようないくつかコンセプトをめざすお店でもあるらしい。

 「きなり」はとっていなかったので「歳時記」は結局初めて目にする。マハラバ文庫を少し覗いていたので文体はそれで多少なじみがある。毎週「きなり」に発表されたのとは違う趣きで目を追うことになる、それを装丁とモノカラーの各イラスト、四季の色彩の配置で奥行きも創りあげているらしい。こだわり、工夫があると。商品カタログ媒体の表紙から一冊の独立した味わいのある本になった。五編と一冊のお気に入りの絵本の朗読、西谷さんのオカリナ演奏を織り成して約1時間を過ごした。そして食事会。

 帰り着けば半月がくっきりとやけに大きく見える夜空。

*「きなり」とは首都圏を中心に展開する“パルシステム”という生協のライフステージ別の商品カタログのひとつ。子育て終了後のライフステージの人を主に対象にしている。

2009年10月26日月曜日

ミュージカル ムツゴロウ・ラプソディ


 ダンプカーが荷台を高々と揚げて沖縄県の泡瀬干潟を埋め立てる姿は、地球に爪を立てているような、いかにも人類の尊大な「愚考」そんなふうに見えて悲しいものです。「自然にたいして人間の分をわきまえる」(田中優子さん)ことができていない姿に見えます。 現在進行中のできごとです。
 経済行為、公共事業と唱えたところでいかほどの人を何代にわたって富ませるのでしょう、いや現時点ですら、いつの誰のためになるのでしょうか。10月15日の控訴審でも福岡高裁那覇支部は県と市に公金支出差し止めを命じ、住民の訴えを認めました。

 私の故郷に久見崎(ぐみざき)という遠浅の浜があります、「ありました」というべきでしょうか。潮干狩りの名所で貝がよく採れました。遠く夕日が沈む海、それは、それはきれいな姿です、だからここを「久見崎」というのだと考えます。私の心象風景の中にあります。今は見る影もないどころか、確かめるために立ち入ることすらできません。原子力発電所と一緒に有刺鉄線で囲まれた海岸になっているからです。

 さて、これまでにここで幾度かとりあげてきました「憲法ミュージカル」のご紹介です。これはそもそも埼玉で弁護士さんたちが主催者(呼びかけ人)になって10年間続けてきましたが、今は東京の三多摩の弁護士さんを中心にそちらの方で引き継がれて3年目になります。一般の人たちを100名ほど募集して、専門家の指導のもとミュージカルを構成します。私もずっと観劇してまいりましたが、なかなかの水準で感動的です。

 今年は「ムツゴロウ・ラプソディ」という題名で、1997年4月14日に閉門を断行された諫早湾の干潟、そこの生き物たちの物語をテーマにしています。「公共」とはなにか、「公共事業」とはなにか、日本国憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という「国民の幸福の追求」と「公共の福祉」の狭間で起きてきたことをみんなで考えていけたらいい、というのが主催者(弁護士さん)の提起でした。
 それで一般募集をしていましたから、何を隠そう、うちの妻殿が、一度しかない人生、一念発起、このミュージカルに出演者として応募しました。ずっと毎週末、特訓を積んでいます。生まれて初めての挑戦です。参加してみたら素人というよりも玄人裸足の水準の人たちも多くおり、後ろの方でおたおたしている様子です。それでも、もう衣装を着れば私があとずさりしてしまうほど干潟の生き物に成り切るようになりました。初めての体験、 ミュージカルというものにはまってしまったようです。

 開演までのカウントダウンがミュージカルのブログで始まっています。
 東京郊外の三多摩4箇所と埼玉県飯能の1箇所の計5会場6公演が11月に行われます。前売りチケットお一人様2,500円です。観劇の機会があれば、ご関心があれば、もしよかったら、と考えます。

 「夥しい数の白い貝の死骸、諫早...
 葦の草原を滑る鳥の影も人の声も無く、
 ただひたすらな静寂を正義と呼ぶべきではない。」
 【ミュージカル楽曲『KAWAKU(乾く)~REQUIEM』より引用】

2009年11月 7日(土)  昭島市民会館 開場15:00 開演16:00  

2009年11月15日(日)  パルテノン多摩  開場15:00 開演16:00  

2009年11月21日(土)  飯能市市民会館 開場17:00 開演18:00  

2009年11月23日(祝)  武蔵野市民文化会館  開場15:00 開演16:00  

2009年11月29日(日)  立川市市民会館        

 【昼公演】開場14:00 開演15:00          

 【夜公演】開場17:30 開演18:30

また、下記のブログでミュージカルの進捗がご覧になれます。
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「2009年LIVE!憲法ミュージカル ホームページ」
http://www008.upp.so-net.ne.jp/musical_in3tama/
「2009年LIVE!憲法ミュージカル ムツゴロウ・ラプソディ ブログ」
http://2009mutsugoro.blog79.fc2.com/

2009年10月25日日曜日

間に合いました


 ログアウトを押してしまった。慌てるとこれだ、どのパスワードかまた間違える。

 かつて妻殿がお店の職場の仲間たちから結婚のお祝いにといっていただいたのが一番上等だ。別のお祝いで姉からもらっただの、誰かのギフトのチョイスで選んだだの、一時間ごとに鳥の鳴き声がするだの、景品のおまけだの、と我家には時計がごまんとある。それらをいろいろなところに掛けたり、置いたりしている。30年経ったり、20年経ったり、もともと安物だったりとかいう事なのだろうか、最近どの時計も肝心の“時間”が違う。前後5分ぐらいの幅が生じてきた。都合10分の違いで、慌てているとわかっていながら右往左往することが多くなってきた。

 4時には目が覚めたのでいくらでも時間があると思った。そもそも自分で5時には起きると言っていた。酔ったから明日の朝仕度をすると言っていた。ブログいれましょうと、夏休みの宿題日記のように、パソコンに向かっていたら、はっと思い出した。時計の針が“約”5時50分をさしている。起きている様子はない。慌てて起こしにかける、布団の向こうではっ!とか言って、無意識だろうか起きたら靴下を履く。何時の電車のつもり?げっ、今日は日曜日で早朝。西口開いてないぞ。駅まで送る車の中で訊く、目が覚めなかったのと。う~ん、「今日は日曜日、なんだったっけ」まではわかったのだけれども、と。

 宿の予約確認のメールを見て、確かに入っていましたとメールを送る。他人様の分の予約までしているので心配だった。予約はしていて確認までしていたが、いざ宿に行ったら一週間先の日時だったという前科がある。しっかりしていて抜けている。「ありがとー 無事にバスに乗りました」と返信がすぐに来た。よかった。

休パソコン


力も強くない。押しのある顔でもない。何につけ器用でもない。原始社会においてはうまく生きていけなかったかもしれない。家族を持っても食べさせていけた自信はない。

ちょちょいでできる冷凍食品でいいよと言われて、開閉に困るほど冷凍庫はいっぱいにしてある。が、それでは芸が無いと意地を張るようになってきた。

久しぶりに一日ずっと曇った。届いた手紙の礼を姉にメールで送ったら、あなたの家の紅葉はいつですかと返信がくる。

白菜が一玉、生協で来たっきり手をつけずにいる。ねぎが一本。よし、白菜鍋をしようと目論む。何しろ切ればいいと思っている。冷凍の唐揚げ用鶏肉を使う。大根も萎びてき始めた中途半端なやつがあった、在庫一掃だ。春雨は教わったとおりに下茹でする。

丸い暖卓に膳をセットして恰好はつけておく。寒かったろ、疲れたろうと湯気の上がる鍋をカセットコンロの上に置く。うわぁ。『地下鉄に乗って』のDVDも借りてきた。

飲もうと誘う。いろいろ迷って、結局、焼酎の炭酸割りにする、飲みたかったから、どんどん勧める。でも、この鍋、味がしないけど。あっ、つけつゆにしよう、なんでもぶっかけて、てへ

いよいよ初日が近づいてきた。稽古前に衣装着で街頭宣伝をしたそうだ。出演者の子どもさんがチラシを配るせいもあって受け取ってくれるらしい。初日の会場を埋めることこれが成功の鍵だと、みんなが思うようになってきたという。

明日は泊りがけで雲仙、諫早へ早朝からお出かけだ。準備は?すぐできる。わかった、何もしないでいい。どかっと座っていなさい。でも酔ったから明朝明け方早く片付ける、寝よう。でも、おとうさんゴキブリの運動場になるよ。わかった、必ずやるから。夜中には起きる自信がある、自慢じゃないが。さっ、早く。

なんの脈略もない。マカオで乗り換え、今日はそこで宿をとる。仕事の相棒と一緒、ところが、まかれるという、ややっこしい、うなされるような夢をみて起きる。ゴキブリの代わりに食器を洗う。久しぶりに武士に二言はない、どんなもんだい、と言っても誰も居ない。昨日はパソコンを開けなかった。天候のせいかな、意欲がわかなかった。

休肝日を設けるように、休パソコンもいいな。ときどき追いかけられているような観念がある。そんなときは意欲をなくそうとぞ思う。来月になれば我家は紅葉するのかな。

2009年10月23日金曜日

反映


 人は急ぐ。無理をして踏み切りで交錯し、ときに接触する。
人身事故の起こらぬ日が少ない。運転士は飛び込む人と目があったとき、その「目」が忘れられず発狂しそうになるらしい(映画「京義線」07年5月)。

 複々線化、相互乗り入れ、路線拡大・延長によって便利になって体系化し混雑が緩和した。もうすぐ秩父の奥から横浜の先まで私鉄と地下鉄で繋がろうとしている。しかしながら、この首都圏の都市交通が「貧困」の拡大とともに機能が低下しているのを日々の通勤で感じている。よく考えてみると、ほぼ毎日、事故や遅延あるいは不通の合間隙間を縫って、目的地に到達している自分に気付くはずだ。そうして「人身事故」「踏切事故」「接触事故」「信号機の故障」様々な不具合に苛立ちこそすれ、人やモノに何が起きているのかほとんど無感覚になってきているのではないかと考える。人が死に傷つき、モノが劣化していることを。そういった現象をみれば、まるでこの社会は「戦争状態」だ。
 金曜日のNHK「行列48時間」を観て少し頭を慰める、おもろい。

2009年10月22日木曜日

「空」

 昨日は非番の妻殿と待ち合わせて日本橋三越本館6階にて西村公泉展を観る。京都から、東京では初めて出展したという。「空」、自然倒木根を用い、公泉さんらしい柔和な作品だ。本人は大学の授業があって土日しか来られないという。妻殿の同級生で親友の奥さんと旧交を温める。彼女も天女を描くような絵画を嗜み名が売れているらしい。画家で舞踏家の「先生」だ。ひとり娘さんも大人になってお母さんと同じインド舞踊の世界に進んでいるとの由。多忙を極めているようだ。

 帰ってきたら東北のAさんから奥さんの筆跡で手紙が届いていた。何事かと思えば、ていねいな時候の挨拶の後にミュージカルの券を4枚買いたいと言って、お札が同封してあった。インターネットで見ていろいろと考えさせられましたと短く記してあった。そうだ!広い意味でいえば彼も漁民だった。そういえば、近況報告、今こんなことやっていますぐらいのつもりでチラシを同封して案内を送っていたんだった。ひょっとしたら、義理人情で買ってくれるのではないか、と心配して連絡を取った。市民ミュージカルはそうやって支えられる。

2009年10月21日水曜日

私は貝になりたい


仲居くんが体当たりで演じた役どころではない、またフランキー堺さんの名作でもない。
正確にいえば、「貝にならなければいけない」のだ。
歌だ踊りだ、自己実現だのチャレンジもあろう

妻殿は「極める」が嵩じて、ついに諫早湾干拓事業の現地に行くことになった。
さすがだ!りっぱだ!
諫早の民主党と中央政府の民主党はぐちゃぐちゃのようだ
雲仙に泊まるらしい、決して観光ではない、ちょっとはするけれど、と言い張る
そうだミュージカルに魂を込めよ
インフルエンザの脅威を鎮めよ
留守は私が守る

人間を捨てるのだ
まだ人間の殻をかぶっている!人間を捨てろ、厳しい監督の声がとぶ。
きっと干潟の生き物になれるだろう。

2009年10月20日火曜日

一日に歩く距離


 母親から学んだのは歩くことだった。
母は歩いて鍛えていたので、亡くなる直前まで自分で歩行できた。

 乗り物酔いを克服できたのは就職してからではなかっただろうか。学生時代も車に酔った。キャンパスを繋ぐスクールバスもだめだった。だから歩いた。つきあい始めたころの彼女はあまり歩くのを好まなかったが、そのうちひきずりこんだ。歩きに歩いたから、話もできた。路面電車は酔わなかったから、廃止の話が出た時には反対運動に参加した。文字通り足を奪われる事態だった。結局は多くの大都市から消えていった。

 古代、畿内のヤマト王権の支配が整って行く中で、租税(方物、食料、のちに租庸調となっていく)は徴税されるだけでなくそれを人々は自分で畿内の都まで持って行かなければならなかった。「養老令」(757年)の規定によれば、日数を重ねて連続して移動する場合の標準歩行は一日およそ26.6kmとされていた。私の故郷の町は薩摩国府があったところだ。ここから上りで40日かかったらしい。

 およそ想像がつかない。道がどうなっていたのだろう、標識があったわけではないだろう、橋があったのだろうか、野宿同然だっただろうと考えられる。病になれば、雨が降ればいかがしたのだろう。中央政府に納めるべき重い荷物を担ぎ、ひたすら歩いた、履物はどうなっていたのだろう。それを支配者の規定にはただ「歩(かち)50里(=26.6km/古代の1里は約532m)」と無機質に記されただけである。それによって納入期日が決められたのだろう。中村明蔵さんの『隼人の古代史』(平凡社新書01年12月刊)では「被征服民ハヤトのあえぎが聞こえてきそうである」と記述する。

 私はできるだけ一日12,000歩ぐらい歩くことを心掛けている。それで6km余りとなる。通勤と昼休みが勝負だ。職場でも階段を上り下りする。
 *画像はお江戸日本橋からの距離

2009年10月19日月曜日

豊かさのメソッド


 週が開けて出勤したら幾人かの先輩職員が加藤和彦さん(62歳)のことをことのほか話題にあげた。一報を聞いたときうつ病だったのではないかとピンときたが、それにしては後で聞けば遺書があるなど用意周到にも見える。私は団塊の下の世代だが、当時漠然と「心の自由」とか、そして「京都で学生になることの思い」のようなものの影響を受けたような気がする。ところで名声があるのに何故、首を吊って自ら死ななければいけなかったのか。

 昨夜のNHK「トヨタ新時代への苦闘」(21:00~)は塞ぎ込むような気になった。追いつかれる、競争に負ける、30万人企業トヨタのそんな印象しか残らなかった。なんだかそのまま日本社会が投影されているようでやるせない思いがした。私らの業界もそのトヨタ方式を学んでいる。カイゼンを信条とする人が人事部長だったりしている。

 『フィンランド 豊かさのメソッド』 (08年7月刊、集英社新書 著者:堀内 都喜子さん、*メソッド【method】=「体系的な方法・方式。」)はすいすいと読み進める。売れているようだ。子どもの学力が世界でトップと注目を集めた国がフィンランド。日本の九州を除いたぐらいの広さに500万人の人口。競争もあるのだろうが、全体としてギスギスしたものを感じない社会。教育のシステム、考え方が日本とまったく違う。人をつくる教育。失業率も低くはないから、せこい競争はあるかもしれないが、社会保障がきちんとしていて悲惨さはない。わずかな人口で人を資源とする教育、女性が活躍できる平等さ。肩の力が少し抜けた、真面目だけど頑張らないフィンランド人の良さを著者は描く。ちなみに彼らの言語には「頑張る」という概念にあたる言葉はないそうだ。

 追い詰められる、もう自分には価値が無い、やることもない。「うつ」は病とはいえ、こうなってくる。つらい症状である、どうすることもできない。健常であれば理解できない。社会的うつともいうべき事態がすすんでいないだろうか。

  「スローライフ」と提唱されながら、それどころではない現実が足元、身の周りに起きている。数値で測り、分子を分母で割りたがる。効率と数値的成果が表わせないと落ち着けない。ゆったり、のんびりするために、急いであくせくし、ギスギスと競争をしている。字面では「理解」できるのに、フィンランドのあり方は別世界だ。競争に勝たなければいけない、さあカイゼンだ、申告し合おう…とくる。自分の首はしめたくない。

2009年10月18日日曜日

舞台稽古まできた


 佐々木さんところのりっぱな白菜とほくほくの里芋が出品されるバザーがインフルエンザ拡大の兆しありという理由で中止されるとのチラシが入っていた。ちと、がっかりする。

 今日から舞台稽古だったそうだ。どこぞの市民会館を借りて上手下手の感覚や楽屋などの感じをつかむ。今日から舞台監督という人が来たそうだ。げにミュージカルは複雑に構成されていく。

 覚悟しといてね、ときた。
別のグループが街頭宣伝をしたそうだ。「チラシも無くなりましたが、羞恥心もなくなりました」とのこと。舞台衣装を着れば自分を捨てるしかない、らしい。

 初日の公演の前売り券の売上は約4分の1にまで来たそうだ。さて、これからどうなるのか。埋まるのだろうか。一方で大勢が集まる会場、インフルエンザも心配だ。

2009年10月17日土曜日

手料理と手作り物


 今宵は娘が料理をつくってくれましたので、そういうことで夜の8時過ぎといえばもう酔っておりました。突然ピンポーンと鳴ってなんだと思って玄関に出ていきましたら、思いもよらぬお届けもの。おっ!と言って領収印を押したところです。夜遅くに思いもの、いや重いものを届けてくれた運送屋さんにも感謝ですが、開けてびっくり妻殿と申し訳ないねぇと顔を見合わせておりました。私はものをつくらぬ人間、人様の手作りの産物とは誠にありがたいもので、実に恐縮でした。モノをつくれるから彼の言葉に力があるのかな。

 本日の集会のゲストの加藤登紀子さんの曲では、根っこは下にあって芽を出し何があっても支えるのだそうです。草の根はいいなぁ、私もそういう生き方でありたいのかな。いや、そんなことはなくてやっぱり楽をして生きたいのだと考えます。楽して生きるためには皆が少なくとも悲惨であってはならないと考えるのです。
 加藤さんの歌う「1968」(この10月にリリースしたばかり)の歌詞とは少し違って、想い起こしたのはあのころ古谷綱正さん田英夫さんらが伝えていた映像、中国の文革、ベトナムの戦争。傷ついたり死んだりした見ず知らずの人たちのこと。
 なお、加藤登紀子さんは10月18日日比谷公園にて「土と平和の祭典」にライブ出演16:00、10月19日には新宿タワーレコード店でのインストアライブ19:00とのことでした。

反貧困世直し大集会2009


 反貧困の行事は時間どおり始まる。時間どおり人々が集まるわけではない。早めに来てステージのまん前に陣取り、いつの間にか周りを取り囲むように人々が集まってきていた。最後の行事の「ひんきー」人文字&スタンドアップ(今日は世界の反貧困デー)で、音頭を取る湯浅誠さんの発表によれば700人のひとが集まったそうだ。

 加藤登紀子さんは張り切って4曲披露した。湯浅さんによればお願いしたら、ゲスト出演を快く引き受けていただいたそうだ。「♪百万本のバラ」、ラトビアの作曲家が68年に作ったそうだ。ラトビアは小さな国、GDP生産が高くない国だ。とても豊かな国「日本」世界中にお金をふりまいている国。だが米国とならんで貧困のパーセントが高い国。何かおかしくないか、ふと思ったそうだ。お金で獲得できる社会ではなくて、自分の手と足を使ってできる社会に、と。リリースした「♪1968」、「♪ヒーロー」、「♪シーズ・イン・ザ・フィールド」、トラックのステージからおりてきて、みなのいる広場で歌う。バックコーラスはワールド・ソウル・コーラス東京。

 反貧困の行事ではできるだけ多くの人の発言をさせる。限られた時間だから発言時間はいつも短い。母子加算・派遣法・障害者自立支援法・後期高齢者医療制度での各分野からの当事者発言、とくに障害者への支援・介助の施策は「生きる」ことに手を差し伸べてほしいという深刻な内容で、この社会に何の制度もない、その上に「障害者自立支援法」は障害をもつ人たちを苦しめてきた。他の制度もそうだ。

 各政党の政治家も駆けつけた、またメッセージが寄せられた(自民、公明、国民新党、新党大地の個人議員)。民主党の山井和則厚生労働大臣政務官、社民党の保坂展人副幹事長(前衆議院議員、落ちたんだ)、共産党の笠井亮参議院議員さんたちがそれぞれ挨拶を述べた。党派を超えて日本と世界から貧困をなくそう、と。

 すごいぞ!全国に反貧困ネットワークが18もできていたらしい。山口、ぎふ、京都、えひめ、大阪、埼玉、北海道、広島から代表が駆けつけ、ステージにならび報告と挨拶をした。広島からの発言者は自身が派遣労働者を経験して、派遣切り使い捨てをもうやめさせようと訴える。だが現実には増え続けている、雇用は悪化の一途だと、宇都宮健児代表の開会挨拶にもあったとおりだ。いずれの地でも弁護士のみなさんが奮闘していることが窺える。自由法曹団の地道な活動も私には思い起こされる。

 貧困削減目標を作成しようという呼びかけ、実は世界には2015年までに貧困を半減させようという「ミレニアム開発目標」があるらしい。ところが、日本には戦略目標がない。新政権は貧困率測定を約束した、あれほど前の政権がサボってきたことだ。民主党の山井(やまのい)さんは「貧困問題に真正面から取り組む」と挨拶で述べた。主催者側からの呼びかけは、貧困がひろがっているこれをどう減らすか、順々に減らしていく、声を挙げていこう、と。

 冒頭に出演したのは「タンガナジェル」というセネガルの音楽と踊りを披露したグループ。タンガナジェルとはVery Hot!という意味。
 集会宣言、これはもう今の日本の状況下の人権宣言に等しいと考えた。反貧困ネットワークから湯浅さんを国家戦略室の非常勤の「政策参与」に送り出す、当事者の声を聴きながら反映させる。いいことは頑張れ、前の政権にはまったくできなかったことだ。「ちゃんとやるよね?!新政権」ダ。

2009年10月16日金曜日

発症しないこと


感染しているかもしれない、感染しているでしょう、要は発症しないこと。皮膚が大事なのだそうだ。まず皮膚から侵入するとか、首筋の骨のつっぱっているところここを温める。昔の人はいいことをしました、乾布摩擦。とは、小山インストラクター。リンパの循環を刺激する、円滑にする、免疫力とかを説かれると魔法か詐欺にかかっているようだ。最後の5分間は確実に眠らせるように心地よくさせてもらえる、週末だ。インフルエンザ感染していても、発症させないことですとハッパかけられて終わる。小さな巨人というか、なんというか気合の入った先生だ。さっ、生まれ変わった。明日は集会だ。草の根だ。

2009年10月15日木曜日

反省


かねてより反省していることは、ろくな咀嚼なんかしていないということだ。だからめいっぱい食べているのに満腹感が訪れない。酒も飲むのに甘いものにも手を出す。噛みしめていないから、実はホントのおいしさ(あるいはまずさ)を味わっていないところがある。単に生物として食べ物を摂取しているだけという情け無いことをしている。ということが頭でわかっていて早食いを抜けられない。さて、変わらなければ。

2009年10月14日水曜日

塩らっきょう


姉が谷山の加藤さんからいただいた塩らっきょうを私におすそ分けしてくれたのはいいが結構な分量だった。塩を抜いて食べたらいいと義兄は忠告してくれたが、面倒でついそのまま食べてしまう。
そして何か、なんだったけで思い出した。そうだ、去年の今頃、高血圧で参っているところに、竹富のあの村の見上げた月を思い出した。祭りの一行に付いていく先々の家で島ラッキョウをふるまわれた、塩らっきょうだ。それと泡盛。そして偶然というか無意識にというか「たきどんのかじ(竹富の風)」をBGMにしている、なんだっけ、やっぱりあのとき竹富島で買ってきたCD。

飲みすぎなければいい。銚子2本でやめる。今日は妻殿が休みだったので夕食の品数が多い、水きり豆腐はいい素材だ。食べすぎなければいいが、これができない。
竹富の「種取祭」が過ぎた。一年経ったなぁ。明日はまた晴れるらしい。妻殿にアイロンをかけてもらう、当然のように。

2009年10月13日火曜日

「おがちゃん」


星がきれいに見える。昼間は暖かかったが、朝晩が冷え込むようになった。この夏は猛暑ではなかったのに、庭木を手入れすることなく繁茂するに任せたので、光が猫の額の地面まで十分に届いていないことに気がついた。あらかし、花桃、桜、山椒(の雄株)、てんでばらばらに枝葉を伸ばしてしまっていた。脚立、のこぎり、刈り込み鋏を取り出し少し剪定してみた。

「おがちゃん」と呼んでいるが通称「ハカラメ(葉から芽)」、おおでまり、ハイビスカス、アジサイの鉢を室内に入れることにした。「あまみちゃん」と呼んでいる蘇鉄はとりあえずベランダに置いたまま。

「おがちゃん」は小笠原から葉っぱで持ってきて21回冬を越した。南方であればジャングルをつくる。ある年、一度我家で越冬を失敗して、我家から差し上げていたお宅から逆に分けてもらった、言わば里帰りした「ハカラメ(葉から芽)」を累々と育てている。暑くなれば繁殖力を出し、鉢の外に土があれば茎を曲げてその茎から根をはり分かれて行こうとする。常夏の地であればよいがこの列島には秋が来る。さて、どうしようという形になったものを株分けして鉢を増やした。元気がなさそうだ。うまく育つだろうか。

おおでまりは益子で求めてきたもの。ハイビスカスは昨年買ったもの、今年はよく花が咲いた。でも真夏には咲かなかった。アジサイは娘が母の日に贈ったもの、枝だけになっていたものから庭にほったらかしていたら、芽が出てきた。「あまみちゃん」はその名の通り、奄美のJAで求めてきたもので種から芽が出てきた程度の赤ちゃんのようなものだった。9年ぐらい経つだろうか。

とくに世話をするわけではないのだが冬を無事に越してほしい。

2009年10月12日月曜日

武蔵野にて


「或る『小倉日記』伝」をお芝居(前進座)で観る。身体に障害をもった(脳性麻痺らしい)主人公はその姿・動作から世間から痴呆のごとき偏見と接し方の屈辱を受ける。それにもめげず一途に森鴎外の小倉赴任時代の足跡の研究に没頭し成果をものにするも病状は悪化し亡くなる。屈辱と貧窮があっただろうが情熱を燃やし一途な生き方を描いた松本清張の初期の作品であった。清々しい舞台だった。

妻殿が疲れ果てて帰ってくる。生まれて初めてのレコーディング。妻殿たちのグループは2時には終わるはずの予定が4時までかかったらしい。次の人たちも玉突きで遅れることになったらしい。耳にヘッドホーンをつけたような形でマイクにむかうあれである。音大出身だったり、若い人にはこれを足がかりにして劇団四季、次はブロードウエイと「決めて」いる人もいたりしているらしい。そんななかにズブの素人で飛び込んだ。こんなことでもなければ一生レコーディングなんて経験することはなかっただろうと、へとへとの様子でつぶやく。

上の姉から電話で娘と立川の公演を観に行く予定だという。開演までもうひと月を切った。

2009年10月11日日曜日

学習机、来訪者


 世間は連休なのですねといって息子は金曜日に我家の軽自動車を借りて行った。 なんでも野沢温泉の招待券が当たっていて、それで隣の渋温泉と併せて2泊で行ってきて今日帰って来るから、何時ごろか夕食食べて行けやとメールしたら、はい彼女と伺いますときた。おいおいそれは誰だ、あの韓国人かと訊ねれば、いや日本人ですときた。

 我家には4つの学習机があった。一つは私の大学時代のもの。そして長男が学校あがるときに買った、長女に、二男に買った。ところが長女はほとんど机に向かわなかったから頭にきて、三男が小学校にあがったとき取り上げ、三男に与えた。それで4つ。

 末っ子だったので兄と姉が使った机をもらった。学校にあがったとき机は買ってもらえなかった。父母の使う洋服ダンスの引き出し2つを、教科書などを入れるのに使いなさいと母から言われた。ちゃぶ台で勉強らしきものをした。数年後姉が高校を出て東京に行く段になって、お下がりの机をせしめた。年代モノだった。大学に入ったら大学生協で買った。組み立て式だったらしい。ねじが錆付いていた、30数年ぶりに分解したことになる。そういえば、二度目の学生アパートが一年中日の当たらない部屋で、夏にキクイムシが出て机が被害にあったことを思い出した。私は物持ちがいい、捨てるのは悲しかった。それでも我家には誰も使わなくなった学習机があと3つある。

 夕食を食べると言うので焼肉を用意していたら、渋滞したとかいって随分に遅く帰って来た。見通しが甘いとさんざん苦言を呈す。ホットプレートを出したのは久しぶりだった。営業成績は一番だというあの彼女だった、初対面だが。私は待ちきれず先に飲んでいたので、送ってあげられず、二人は歩いて駅まで帰って行った。世間は連休だが、この二人は明日からまた配達と営業だ。

 妻殿は明日がレコーディング吹き込みだと言って、お歌の練習。さて、高い音程だ。
ありんくりんさんからコメントをいただいていた、お返ししていない。

2009年10月10日土曜日

処分品


春と秋に店舗では棚替えを行うのが一般的だ。暖かいものと冷たいものへの季節の変わり目だ。商品を入れ替えるので、新商品の発売もほぼこれに合わせなければ取り上げてもらえない。新規商品が入るということは消えていく商品があるということになる。新陳代謝といえばそうだ。

仕事柄、食品の在庫処分というのは期限もあってとにかく苦労した経験があった。そのせいもあって店頭で処分販売しているものにはつい手を出してしまう。苦労を知っているから一助になりたいとも思う。しかも半額や3割引なので買い得な場合がある。無駄な買い物になることもある。実はそれ以上の動機がある。何故売れ残ったのか大変興味があるからだ、だから使って(食べて)みたいのだ。

そうすると往々にしてとてもよい商品ではないかと思われるものがある。にもかかわらず、売り場から外され、果ては廃番の憂き目にあう。あとで求めようと思っても探し出すことができない。

思えばそんな商品がいくつかあって、そういう意味では、私は消費者としては変わり者なのか、マイナーになってしまったのかわからない。

安さ簡単便利、大量生産可能な誰にでも合うものの方向に進んでいるように思えてならない。その限りにおいて、どのお店の売り場にも品揃えの「豊かさ」がある。

*『西村公泉 木彫展』の案内いただく。
09年10月21日~11月3日 会場/日本橋三越本店6階アートスクエア

2009年10月8日木曜日

台風一過

家を出る前に湘南新宿ラインは止まっているらしいことはテレビのテロップに流れていた。
私鉄の最寄り駅から電車に乗った途端、山手線は動いていないとの車内放送、ならば休むかという誘惑にかられながら、決断ができなかった。次の駅で、乗換駅で、乗り換えた次の駅ぐらいで引き返そうかとも考えたが、仕事に対する忠節は捨ててはいないようだった。都内の終着駅に近づくにつれ、東京のJRは全て止まったとの車内放送が流れる。まるで「それでも東京に行くのか」念を押すような響きに聞こえる。終着のターミナル駅に着いたところで当ては無かった。とりあえず都内に行ってから考える。

案の定、ターミナル駅は人で溢れかえっている。で、外は台風の暴風雨が荒れ狂っているかというとそうでもない。JRの駅員らしきところに人が集まっているから、そこに辿りつくと、遅延証明書を配っているだけ。それで振替乗車券をくれというと今日は無くても乗れるようになっているという。それにしても人が溢れかえって身動きが取れない。私鉄の改札から人々がぞくぞくと出てくる。地下鉄は動いているらしい。そろそろとわずかに動く人の流れがあって、地下鉄の改札の方向に向かう。新駅があったと思うが、おおよそあのあたりということは目星がつくのでなんとか人の波をかきわけてそちらの方向に向かう。

振替乗車で改札に入れるところは詰まっている。そして地下鉄への昇降はエスカレーター化しているから、またその昇降口がネックになって人の流れがタイトになっている。1人ずつか2人ずつしか乗れぬ。まるで漏斗のようになって、その方向に向かう。普通の階段なら必ずしもこのようにはならぬと考えるが、エスカレーターの昇降口は押すな押すなとなった場合危険を感じる。また行き着く先のホームにも人が溢れればそれも危険だ。

乱れてしまったダイヤで電車が入って来て、乗れば久方ぶりの超満員。昔の赤羽線の混みようを思い出す。埼京線がないころの山手線もそうだった。地上を嵐が舞うので、首都では地下を這う電車で移動する。大袈裟に言えば、核戦争の始まった都市シェルターの中。違う言い方をすれば映画「地下水道」の気分のようだ、このまま地下にいたらどうなるのだろう。あまり地下鉄を好まず、ぎゅーぎゅー詰めの不快感もあってこう思い巡らしてしまう。

ほうほうの体で目的地の駅に着けば、乗ったときと同じく、脱出するにもいくらでもネックがある。しかも地下5階だ。この駅で降りるのはまだ2度目で、どちらの方向に我が出口があるかわからないが、○○坂口方面に目星をつけ皆の歩く方向にそろそろと並んで移動していく。ようやく地上に出てみて、周りを見回し、そして出てきた出口を振り返れば、いつも脇目で見ていた地下鉄の出入り口だった。

職場に着けば、よく着いたね、どうやって辿り着いたのと訊かれる。職場は閑散としていて、最初から休みをとっている人も多かった。三々五々人が出勤してくる、「この程度のことでJRは公共機関の自覚がない」などとぶつくさ言いながら入ってくる人もいる。さすがに茨城からの出勤組みは誰も来なかった。
休めば仕事が溜る。台風のせいでと赦されるのはどうせ今日一日だけ。溜ったとて誰もやってはくれぬ。行かねばならぬの平手造酒(ひらてみき)。帰宅の電車はいつもより空いているようでしたが、大変な一日でした。星がきれいに見えました。

2009年10月7日水曜日

接近

風が恐い。
身体が反応する。二階に居ると不安になることがある。職場のビルではそれを感じない。

春には激しい西風が吹いた。季節風だ。東シナ海から直接吹いてくる。橋を渡れば歩けないほどだった。堤防が高くなっているので橋も水面から高いところに架かっていた。だから、ただでさえ強い風がもっと強烈に感じた。ずっと東にある東京ではこういう西からの季節風の影響は小さいはずなのに、春になればビルの谷間の構造に突風が発生することを体験した。強い風が吹けば、ときに身体が反応して恐くなる、どうすることもできない。

「中心気圧945ミリバール、南南東の風、最大風速45メートル」とか、「白墨で密度の濃い等圧線の同心円と進路方向の範囲」というのが書いてあった。今みたいに気象衛星からの写真などない。各測候所の観測の結果が集約されて描かれていたが、リアルタイムではない。どの辺に接近しているのかなと思うころは停電でテレビも見ることはできなかったから、トランジスタラジオの情報を聞いた。

台風が東シナ海の方を通れば猛烈な影響を受けた。恐さは風の強さもさることながら、我家への不安だった。迫り来る激しい風雨に耐えられず、階段のところの雨戸の無い窓ガラスは落っこちてくるのではないか、屋根が飛んでいくのではないか、家が瓦解するのではないかと幾度も子供心に恐怖心が襲った。風のごーとか、唇でまねのできるひゅ~という不気味な音、雨が叩きつけられるばらばらばらという音、部屋のあちこちで始まる雨漏り、なんとも言えぬ気持ちの悪くなる揺れ、家がみしりみしりという。どこからでも入る隙間風、さっさと始まる停電、次に来る断水。今考えてもあのような家が何年ももったものだ。戦後建てたらしい継ぎ接ぎだらけだった。実際に危険だったと思う。多かれ少なかれあのころはご近所もそんな家だった。ご近所寄り添って耐えていたようなものだった。風が吹けば、生まれ育った家での恐怖を思い出し、そして身体が反応する。

10歳も年下の石垣島のパイン生産者の話を聞けば、私の経験なんぞ屁でも無い。あら、おかしいねと思ったら屋根が吹き飛んでいたそうだ。あっけらかんとそんな話に及ぶが、怖さを通り越すような体験はといえば、南西諸島ではさもありなんと思う。私たちよりもはるかにすごい目にあった。

ふとしたことでちょっとした風でも恐く感じることがある。
最近は関東方面に台風がくるなぁと思うところだ。

2009年10月6日火曜日

膝諤々

つくづく前屈はつらいなと思う。
はい、ひざの裏を気持ちよく伸ばしましょうと言われても、伸ばそうとしてひざは諤々震えている。気持ちよいどころか痛い。思えば頭も柔軟性がない。行き止まる、すぐ悲観する。

さっ、絶食。明日のスコープはさぞかしうまかろう。うっとしい。

2009年10月5日月曜日

流されている


魂の入らぬ商品。
まさにそれにかかわる仕事をしている感じで、自分の人生を使うことではないな、などと倣岸不遜な思いでいる。そうでありながら、そういう営みに埋没していることと毎月の収入にしがみついている惰性。あなたは手が抜けない性格だからと、Uさんはなぐさめてくれる。手を抜けば仲間やお客様に迷惑をかけるし、一所懸命やれば方向が違うと思うことに手を貸していることになるし、そうだ逃げ出そうと思えば情け無いのだけれど。
映画「母べえ」で鶴瓶さんが演じた役をふと思い出す。

加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の「朝日」紙の広告をみて、テーマ(あのとき、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?)が興味あるねと妻殿が言う。でも岩波新書『満州事変から日中戦争』(07年6月刊、シリーズ日本近現代史⑤)の記述難しかった、と。

私はというと、今日の朝刊に広告が出ていた、新刊の『未来のための江戸学』(小学館101新書、田中優子さん)を見つけ、<この国のカタチをどうつくるのか>の副題につられて早速買ってきていた。

世の中ロールケーキが流行っているらしい、姉が土産に買ってきた。ヤマザキの特売のロールケーキしか知らなかったのだけれど。

湯浅誠さんからのお願いとお知らせ

10月17日は、恒例の「世界反貧困デー」です。
昨年に引き続き、反貧困ネットワークでは集会を開き、「反貧困」の意思表示を行います。
つきましては、みなさまに以下のお願いです。

1)集会賛同団体になってください。
以下の集会概要・趣旨にご賛同いただける団体は、団体賛同をお願いします(無料)。
あて先:hanhinkon.net@gmail.com(〆切:10月15日)
==========
団体名(公表します):
連絡先電話番号(公表しません):
メールアドレス(公表しません):
メッセージ(公表します):
==========

2)各地でスタンドアップ(「反貧困」の意思表示)をお願いします。
お金も時間もかかりません。必要なのは意思だけです。
「スタンドアップ」の概要については、以下をご参照ください。
http://www.standup2015.jp/

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反貧困世直し大集会2009 ~ちゃんとやるよね?!新政権~

【主催】反貧困ネットワーク
【日時】10月17日(土)13:00~15:30(雨天決行・入場無料)

新政権発足から1ヶ月。
日本はこれから本当によくなるのか?期待と不安が渦巻いています。
新政権からは、すでに母子加算の早期復活、障害者自立支援法・後期高齢者医療制度の廃止が打ち出されています。その流れを私たちは歓迎しつつ、その時期や内容についてはたくさんの心配もあります。
労働者派遣法の抜本改正はどうなるのか?
人々の生活は本当に立て直されるのか?
新政権はちゃんとやってくれるのか?
それは、私たちの行動にかかっているのだと思います。
去年に引き続き、世界反貧困デーに合わせて「反貧困世直し大集会」を行います。
ご参集ください。

【場所】
芝公園4号地(東京都港区)
都営三田線「御成門駅」A1出口すぐ。都営浅草線・大江戸線「大門駅」A6出口徒歩6分。東京メトロ日比谷線「神谷町駅」3番出口徒歩7分。JR山手線「浜松町駅」徒歩12分。
【スペシャルゲスト】
加藤登紀子さん(歌手)
ギュスターブ・アッサーさん(ソーシャル・ウォッチ・ベナン)
【内容】
母子加算・派遣法・障害者自立支援法・後期高齢者医療制度
・・・注目される各分野からの当事者発言
各政党政治家から
世界の貧困と日本の貧困
・・・日本の貧困削減目標作成の呼びかけ
新政権に贈る集会宣言
貧困をなくすための意思表示「スタンドアップ」
・・・みんなで反貧困メッセージをつくろう!
アフリカNGO活動家から日本の貧困問題へのメッセージ

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2009年10月4日日曜日

四人兄弟


 初めて我家に兄弟四人揃った。
 子ども部屋をまるで物置のようにしていたからあたふたと片付けて、兄姉たちが寝るところをつくる、家の中を掃除する。お買い物をする。妻殿はミュージカルの稽古で遅く帰ってきて早く出て行くから、「味噌ちゃんこ鍋」というパック入りのつゆであまり手間のかからない鍋料理にして、みんなで囲む。最後は買い置きの冷凍さぬきうどんでしめる。
 それぞれの家族の話、近況話で夜が更けるまで、翌日は朝から本題の「話し合い」を積み上げる。宗教観が違って思うところを出し合い、違いを保留し、どうどうめぐりもあったけれども、なんども話し合って合意をつくりあげる。それが終わって、母亡きあとの整理。みんなで集まってやってよかった。昼食をとりながら、ようやく再び母の思い出話に及ぶ。地の繋がった兄弟だ、嗜好がよく似ている、持病も似たり寄ったりだ。兄の昔話に私のまだ生まれていなかったころの様子を聞く。ポチという犬がいたらしい。駅まで父を見送り、駅まで父を迎えにいったそうだ。おいおいそれは「忠犬ハチ公」ではないか。昔はまだ犬を鎖でつないではいなかった。ドッグフードなんてなかったなぁ、与えたのはぼくらの食べ残しだよ。よくあんな小さな家に住んでいたものだ、縁側の下に鶏とウサギを飼っていたらしい。そのうさぎは目が赤くはなくて黒く、母は自慢してお客さんに見せていたと。

 みなをそれぞれ駅まで送っていって別れる。昨夜から今日にかけて私の兄弟4人が揃っていた。少し疲れたな。また、明日が始まる。妻殿は今日もへとへとになって帰って来ることだろう。上の姉もはるばるミュージカルを観に来てくれるという。さっ、晩飯は何にしようか。

2009年10月2日金曜日

席取り


パスモ(首都圏の鉄道、バスで利用できるICカード乗車券)は3,000円単位でオートチャージされる。使用明細はでてこない。ずっと気になっていた、なんで2,280円かと。夕刊紙買った、グリコ買った、はて?

早朝の特急はいつも満員売り切れだ。その直後に当駅始発の通勤準急が入線してくる。

整列乗車をして乗る。自分自身もあくまでも席を取ることを前提にして言うが、あの席取合戦は後味が悪い。善人が一瞬に人間の本性を剥き出しにして何食わぬ顔をして座る。してやったりか、バツが悪いか、ほっとしてか。こんちくしょーと吊り輪を握ってあたりを見回すか。

なぞが解けた。特急に乗った、350円だ。しかも混んでもいない、日曜日の帰りに。
私は、人生、お金や能力の使い方を間違えてきたのかなと、ふと思う時がある。

2009年10月1日木曜日

Sさんへ

昨日取り上げた「その通り」を巡って帰宅したが、ゴロニャンたちはいなかった。暗くなったからかな、秋になったからかな。胃がちくちく痛むのを忘れようと思ったのだが…、いなかったなぁ。あはぁ~もたないなぁ。
さて、サラリーマンだから今日からネクタイを締めた。あとどのくらい締めるやら。

傍若無人、身勝手といえば私自身のこと。

「メールをいただきたいと突然こちらからお願いしながら、いざ、いただきましたらご返事も差し上げずに大変失礼しました。さぞかし、相変わらず身勝手な奴だと思われたことでしょう、その自覚があります。誠にお恥ずかしい次第です。ちょうどメールいただきました翌日の8月4日あたりから故郷の母の容態が悪化したという連絡があって、その後8月23日に亡くなりました。その事情はあったのですが、そうはいってもそのまま不精して今日までずっと御返事を差し上げませんでした。不義理をしていることを気にしていながら、このように、どうも私には何か人間的欠陥、身勝手さがあるように思います。それが自覚できる程度には成長したのですが、どうもいけません。これまでの不誠実、どうかお赦しください。」