2009年5月28日木曜日

反省したものの

30代後半のあるとき、財布を失くした。青くなって、カード会社に電話をしたら、遺失届けが必要だと言われた。交番に行くなどして、必要な手続きをした覚えがある。
お札を曲げないタイプの財布を愛用していた。背広の内ポケットに入れて使っていた。このことがあってからは2つ折のタイプの財布にして、お尻のポケットに入れるようにした。

今日は悪夢を見たようだった。

扉が閉まる。朝S駅を過ぎるころに電車の中で、はたと気付いた。いつものお尻のポケットに財布がない。立ちっぱなしで本を読むのに夢中になっていた。後ろのポケットのボタンがかかっていない。普段、財布を入れて念のためボタンをする。忘れてきたのかなと気を取り直すが、そのうち心配になってきた。いつも無意識に財布を定位置に入れている。携帯しないことはない。掏(す)られたか!?と頭をよぎる。仮にそうならカードが心配だ。あのころカードは2枚しか持っていなかった。今は幾種類も持っている。心配が増幅する。

あのときの財布は後日出てきた。心あたりの飲み屋さんで背広からぽとりと落としたらしい。飲み屋さんでとって置いてくれて、そのときご一緒した方がわざわざ届けてくださった。無事だった。

今やあれやこれやのカードだらけだ。買い物だってカード1枚で済む。サインも暗証番号も要らない。常用のカードを除いては、そもそもどんなクレジットカードを持っていたかも定かでない。加えて、あれこれのポイントカードもあれば、会員カードも、診療カードだってある。リスクの分散を考えてもいなかった。仮に分散しても今度は不便だ。いつでも使えるために財布に入れておくのが便利という経験則になっている。いざ使おうとしてもっておらず、家に置いてきたことが少なからずあった。それで、えいやっと何もかも財布に閉じ込める。

段々、頭の中が火事場になってくる。他人による不正利用、再発行、届け、連絡・・・。

いやいや、たまたま忘れてきただけのこと。いや、出勤の際の財布携帯は習慣化しているので今日に限って持ってこなかったはずはない。電車のなかで掏られたのではないかという感じ、実はそうなのではないか。いや、やっぱり家に忘れただけのこと、あの引き出しにある。交互によぎる。

仕事に没頭する。ふと、またよぎる、万が一、と。考えないために、また仕事に没頭する、目を点にすればよい。

帰宅の電車の中で、後悔をする。身辺整理をしておくべきだった。ご入会ポイントサービス欲しさに、ネットショッピングのために言われるままにどれだけカードをつくったことか。

単なるポカ、自宅に忘れてきただけのことと念じて自転車のペダルを漕いで家路を急ぐ。

今日は生協の配達日、玄関に山ほど積んである。鍵を開けて入る。あの引き出しへ。

あった。
ありました~~~♪

妻殿へCメール。「心配かけないでよ!」との返信。
職場の相棒の携帯へ通話、「お騒がせしました」「それでぱっとやりましょう」と相棒。

文字通り現金なもの。
ついさっきまでのあれこれの反省、後悔が消えていく・・・。

身辺整理、私に必要なこと。
「今から帰ります」と妻殿からCメール。
カサにかかって迫ってくるのは目に見えている。マイリマシタと私は避難することにする。

「今日だったのですけど・・・、会合」とか携帯へ連絡が、「え~~!?今日は都合がムニャムニャ・・・」

財布、ジムのTシャツ、結婚記念日(!)、忘れ物の多い日だった。自分のことを忘れるときも来るのかな。74歳?83歳?はたまた92歳?そもそも生きているのかな。

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