2009年5月16日土曜日

陽だまりの中で


 義兄が運転するワゴン車の中で、ここが馴染みの床屋さんだと姉から聞きました。

 床屋さんが髪を切るよりも髭剃りや肩もみに時間を費やすようになって私は通わなくなりました。人生、その出費がなくなり家計上の節約ができています。

 子育てを始めたころ、シンプルな電気バリカンを買いました。ナショナル製で優良な性能でした。当時、「理美容衛生商品」というカテゴリーで理容バサミや関連商品はよく売れたものです。

 子どもが幼いころはほとんどこれで済ませました。娘の髪を刈り上げ過ぎて、妻殿とアパートのご近所の奥さんたちから陰に陽に顰蹙を買いました。今でも言われます。当の娘はそのことには触れません。子ども心に傷をつけたのはまだいくつもあるかもしれません。

 下の息子たちは少年野球をやって野球部に進みました。自ら坊主にして、いつからか、私に頼らず自分自身で器用に刈るようになりました。次男などは県大会の壮行会のために髪を刈って自分の高校のイニシャルを頭につくりました。母親の手助けも借りたようですが、それは見事なものでした。

 20年ほど使いこなし、さすがに寿命が尽きたようでうまく動かなくなりました。

 私は今、妻殿に丸刈りにしてもらっています。
 2代目もやはりナショナル製を買いました。いろいろなヘアスタイルもできるというアタッチメントの付いたものでした。しかしながら、さすがに私には手遅れ、息子はいやがり、とうとうその機能は未だに使わずにいます。

 暑くなれば一番短いサイズのアタッチメントで刈り、寒くなれば二番目に短いアタッチメントで刈り上げます。最近はヘアキャッチャーに落ちる髪の毛の量も極端に少なくなりました。ほとんど後ろ髪らしいのです。このヘアキャッチャーも形状記憶品の走りで優れものでしたが、最近ようやく生協の「雑貨屋さん」で新しいものを見つけ買い替えました。企画になかなか巡りあえませんでした。

 「もう済んだの、手を抜いているんじゃないの」と妻殿へ問い質しますが、おかしさをかみ殺して「手は抜いていません」と応えます。散髪に5分もかかりません。人生のたそがれを覚えつつ、ありのままを受け容れます。おかげで人間も少しできてきつつある、ようです。

 いつの日か、陽だまりの芝生の上で、ヘアキャッチケープをしながら、散髪をしている老いた自分達を想像しています。

 「おとうさんは刈り上げるとかっこいいよ」と妻殿はフォローします。洗面台に寄って鏡を覗いてみる。苦虫をかみしめてみればいい男だ。

 義兄は目が大きくて美男子。若くして見事に禿げましたが、それで貫禄も増しました。シャイだから律儀にご近所の馴染みの理髪店に通っています。ただ、どこを刈ってもらっているのでしょう?

1 件のコメント:

ブナガヤ さんのコメント...

いつも思うのだが、同時期にブログを立ち上げたゆっきんママさん、余情半様、そして私、一年たつとかなり性格がはっきりしてきた。

ゆっきんママさんは、いわばさわやかな彼女のリビングでの気持のいい友人との語らいと家庭料理。彼女そのうちブレークしそうでこわい。栗原なんとかさんみたいに。ゆっきんママさん、すごい美人だし。

私といえば、やや堅苦しい論説調、時々昔話でヨタ。

では余情半さんがなにだろうかと思う。たぶん余情半さんは小劇場。脚本、監督、助演、時に主演までしてしまうちいさな個人劇場。
たとえば、アルバムを広げて、懐かしむようにその写真を話し出す。そこからそのひとが生きてきた道が赤々と照らされる。夫婦の道とか、子供との道とか。あるいは会社との涙と汗とか。

私だったらこれを「論説」にしてしまう(苦笑)。われながら情けない。もちろん余情半さんは鋭く分析するのだが、体温が温かい。

このあたりはもう体質としかいいようがない。もし私が鹿児島で育っていたのなら「議を言うな!」と張り倒されまくっていただろうな。亡くなった父親からもよく言われた。

「ダンシはギばいうな。チェストひっ飛べ」。

余情半さんの部屋(ブログ)は、小津安二郎のような生活のひだに織り込まれた哀しさや喜び、ときおり呻吟する庶民の怒りと共感。

前回の奥さんの箪笥の時も思ったが、あんないい文章は私にはとても書けない。こういうのを本当の随筆と呼ぶのだと思う。