2009年5月4日月曜日

みいけ


学生時代に金銭出納みたいなものはつけたことはあったが日記はつけたことはなかった。
三日坊主を懸念しながら、ようやくこのブログは一年目を迎えた。背中を押してもらったおかげかな。

幼いころの安保闘争をかすかに覚えている。我が町でもデモが起きたと記憶している。ニュース映画だろうか、ラジオだろうか、テレビはなかったと思うが、世の中の騒然とした雰囲気が幼児の私の肌にも伝わってきていたような気がする。父母は眉をひそめていた。

肥後や筑後の言葉は他地方の人がイメージする九州弁のような気がする、太い。比べて我が故郷の言葉は「黄色い」、早口で甲高い。筑後には九州太郎の筑後川があって、農業力も工業力も我が故郷とは段違いだった。鹿児島本線沿いの大牟田はそういうところにあった。

安保に先立って大牟田の三池炭鉱がもめていた。炭鉱夫というものへの偏見があった、また労働組合への無知、憎悪があったのだと思う。三池ではよからぬものたちが、そう炭鉱夫ふぜいが、おんなごときも、アカに煽られて騒いでいる、分限者どんに刃向かう「けすった」ひとたちと受け取られていたように思う。弱者が弱者をたたくパターン。

「ヨーロン」と呼ばれて差別されるひとたちがいた、そのことを学生時代に知った。奄美の与論島から集団移住してきて炭鉱労働に従事したひとたちのことである。

熊谷博子さんのドキュメンタリー映画「みいけ」(06年)が隣町で上映されることになった(6月13日)。実行委員会をつくり尽力する人がいる。私たちが直面する「格差・労働・家族」がここにあるとは、熊谷監督からのメッセージ。当時この争議に炭労本部として参加した和田さんが朴訥と鑑賞券の購入を訴えられた。

2 件のコメント:

ゆっきんママ さんのコメント...

1歳のお誕生日おめでとうございます♪

ハマタヌ さんのコメント...

三池が、たぶん日本の労働者の労働者らしい最後の闘争じゃなかったのかしら。後に、「炭労」の旗の下で常磐などでも首切りが行われていく。在日韓国人の作った映画「フラガール」はそのあたりがわかる。いい映画だ。

いつのことだったろうか。国労には特別な想いがある。僕の職場に国労争議団が行商にきた。貧乏な職場に居合わせた執行委員は、皆、銀行まで駆けて行って金を下ろして全量買い込んでしまった。
職場や家庭で消化するまで数カ月かかった。そんなことしかできなかった。

僕は今の労働組合にはなにも期待していない。職場を超えた友情を忘れた労働組合などは、単なる利害共同体、共済組織でしかないから。