2009年5月5日火曜日

子どもに格差


夜のNHKの番組で取り上げられるそうですが、「少年マガジン」「少年サンデー」は59年の創刊。二大誌でしたが、私はその後に創刊された「少年キング」の愛読者でした。63年の創刊だったらしくちょうど年代に合っていたのと、例によって「二大」などそれがどうしたというへそ曲がりのせいもありました。当時、一冊40円で既存誌より10円安かったらしい(そのうちどんどん値上がりしたと思いますが)。これがホントの理由かな。

小学生のころ小遣いは一日10円が相場でした。私は5円でしたので、母と「闘争」しました、人並みにせよと。ところが水道工事店の同級生は50円ももらっていました。50円玉といえば当時、名実ともに大きかったのです。遠足には100円もする板チョコをもってきました。明治か森永だったでしょうか。私には「板」のように見えました。

不二家のルックチョコが発売され30円ぐらいだったでしょうか、中から香りの強いセンターがとろけでてきました。そんな珍しいものを買えばガキ仲間内では「食わせろ」と手を出すのがあたり前でした。みんなに分ければ自分の分はわずかでした。私なんか不承ぶしょう、分けたものですが、その富裕な友人は頓着しませんでした。ロッテやグリコが参入したのは後だったように記憶しています。チョコレート、ひとりで死ぬほど食べたいと思っていました。

今、ドラッグストアなどで特売のロッテガーナチョコが出ていると、たまに無意識に手が出てしまいます。少年時代のあこがれがあって、つい親の仇のような行動にでてしまうことがあります。相対的にずいぶん安いものになってしまいました。

チョコレートの主な原料はカカオと砂糖などです。

砂糖は昨年の食料高騰でもあまり値上がりしませんでした。原料のひとつサトウキビは南の作物です。ブラジルの生産量がもっとも多いらしい。児童労働の例として、ブラジルのサトウキビ畑など農場での労働があげられます。

安さを支えるもの。児童労働の実態を『世界から貧しさをなくす30の方法』(合同出版06年12月刊)の最初の1項目で鈴木かずえさんがレポートしています。

カカオは「アフリカの国々にとって先進国に売ることのできる数少ない換金作物」「価格競争がきびしい商品」安く売っても利益がでるように子どもたちをもこき使う実態を示唆しています。

はるか昔の奴隷貿易の時代、そんなことがまだ行われていたのかと耳を疑うような実態が、安くて豊富なチョコレート売り場の奥にみることができます。フェアトレードチョコ(このチョコレートは、児童労働がおこなわれているカカオ農園のカカオ豆からつくられたものではありませんと保証されたもの)というムーブメントが紹介されています。ただ、私自身はフェアトレードチョコそのものをあまり買ったことがなく、大手のブランドにもフェアトレードチョコを販売してほしい、そういうことを消費者として呼びかけようと提案されています。

安さが不当であるとき、収奪と貧困が現実に横たわり、しかもそれが目に見えず、解決途上どころか引き返している現実にあるように考えます。

子供の日。
虐待のうえ死に至らしめられた子どもの報道が絶えません、やりきれない思いは私だけではないでしょう。いっぽうで、身近には両親と双方の祖父母に祝福される「王子様、お姫様のような子ども」もいます。これはこれで、この先どうなることやらと思わないでもないのですが…。
かつての小遣い銭程度の格差ではありません、それはどうにでもとりかえしのつく格差でした。いま直面しているのは、封建時代ではあるまいに、「生まれながらにして」あまりの格差社会の到来を思い知ります。
ほどほどに等しくひとは幸せに育てられるべきと、フツーに考えるのですが、いつから「現実をみていない、理想を言うな」と反論されるようになったのでしょうか。

1 件のコメント:

増田・大仏・レア さんのコメント...

若いいのちが、自分の生を喜びいきいきと過ごせるように、それが大人の喜びでもあると新緑の萌え出る季節に思います。
 昨夜、液体を買い出しに出た連れ合いに、何か欲しいものある?と聞かれ、液体だけではバツが悪かろうと、アポロチョコと言い。アポロなんて年代だねと話していました。連れ合いはセブンの生クリームチョコレートも一緒に買ってきてくれましたが、こちらはいまいちなのです。香料のつおーいアポロで慣らされているのかな。ルックはもちろん。