2008年9月22日月曜日

リーマン違いだが


 金融危機というが、証券会社や銀行がどうしても「虚業」に見えて、それが破綻するのは、それはそうだという思いがある。働いてもいないところには富が集まる世界の仕組み。お金の火遊びの仕方に知恵を絞ってきた、とくに拡散することを、それが右往左往してこける。使命をないがしろにし、モノをつくるところに真面目に投資していないからだ、投機はしたが。

 リーマン破綻がどうしてもサラリーマン破綻に見える。語呂のこととは言え。
俸給生活者としては食の崩壊、物価の高騰、年金の不安、介護の負担、職場の不安、ひとそれぞれ様々な危機に直面しているから。
 製造業も流通業も検査、検査となる。生業(なりわい)の場が丸い土俵だと思っていたら四角いリングだったということだし、どんな危険があるかわからないから企業内に監視カメラを張り巡らせなければならないかも知れない。文字通り「信じられない」仕事が付加されてきた、シャレにもならない。「そなえます」ということだろうけど、社会が浮き足だっているのが実感。

 起業するひとは製造業なんてやっていられない。原材料が信じられない。良いものをつくるよりも、不安でないものをつくることに心血を注がねばならない、しかも安く簡単便利に使えるように。起業はモノを転がすこととしか発想できなくなりかねない。

 自己防衛だからと言って自給自足をしようにもつくり方を知らない。この列島では、大地や海から幸をもたらす人は人口の2.6%しかいない、「明日飢える」そんな事態だ。

 食品加工業の企業数は20年前に比べて大幅(たしか半分以上)に減った。倒産、廃業、大企業の傘下に入った、いずれかである。生き残っている企業も中国産の原材料や加工品(仕掛品)に30%以上依存しているのは現実だ。現瞬間、売れないから製品輸入を凍結しているだけの話で中国加工がなければ成り立たない構造になっている。安くて簡単便利である以上、中国加工を抜きにしてはこの列島にモノを供給できない。

 その前提から脱出する姿勢と覚悟、方法。きれいごとではない課題が多くて取り組み甲斐があるというもの。世の中を変えるという。

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