2008年9月6日土曜日

茨城ご縁

 首都警察は「いも」に支配されているといって辞表を叩きつけ、故郷に帰って食品加工業を起こした社長の昔話を聞いたことがある。この肥後のお人がいう「いも」とは水戸と薩摩。なるほどとは思うが、未だにそんな実態が、とも思う。首都警察はわが国、草莽期(そうもうき)の自由民権の芽をつぶした実行機関。幕末テロの水戸脱藩士と一撃必殺の薩摩剣士、意地の会津元藩士などが力を合わせて権力を行使したらしい。初代総監は川路利良(かわじとしよし)、薩摩の郷士出身。反骨の士が権力を握ると一徹で恐い。

 その水戸藩すなわち、茨城県はおおきく3つに分かれるのだとあるときの車中で聞いた。仕事柄、那珂湊とか日立とかの人との交流があったので皆あんな方言かと思っていた。「天下が徳川の世になり佐竹の殿様は転封になった。すなわち追い払われたので、そのときの腹いせに常陸の国の美人をみんな秋田に連れて行ったらしい」と日立出身の御仁がいつも言う。真偽は知らない。

 初めて茨城県というところに足を踏み入れたのはビスケット屋さん、そして浅草に本社があって工場は牛久で、洒落た束子(たわし)や洗浄道具を製造する家庭用品屋さん。当時はどこまでが東京でどこからが茨城かわからなかった(今でも)。東京に転勤してきて上野から特急に乗って水戸の先までいって、みなさんと会話をして「これがイメージの茨城だっぺ」と実感した。それが3つに文化や言葉が分かれるそうで、そういう「だっぺ」言葉を使わない人がいることに最近納得できた。ちなみに学生時代の男女ふたりの友人が当地のご出身だった。他県の人と話したことがなかったので初めて聞く方言まるだしが珍しくておかしかった。お互い様だっただろうが。一人は筑波山の麓、もう一人は水戸のひとだった。

 最近なにかというと茨城の人とお知り合いになることが多い。この間産地にご一緒したご婦人も難しい漢字を連ねる苗字で当地では由緒正しい家柄らしい。しかも旧姓は「エビちゃん」で生まれも嫁ぎ先も全部イバラギだと相棒のご婦人がばらしていた。

 職場に人が大勢補充されて総勢18人になる。大のお得意先と一体化することにしているので、こちらからの出向の人達で占められる混成部隊。昨夜歓迎会を催したら、茨城県出身および現役のひとがなんと結構いた。ローカルの地名と独特のイントネーションが飛び交う。

  「イバラギ」がブランド化するかもしれない。米は新潟を超えているかもしれないし、芋もある意味鹿児島を越えている。少なくとも「たこ加工」は日本一。ひそかに「いも連合」でもつくるかなと思っている今日このごろ。

 *画像は輪島漁港の「まだこ」を冷凍原料にして、蒸しダコに那珂湊で加工したものの試作品。タコの加工は常磐地方の“モノづくり”の技術で一歩秀でている。もとはこの一帯が水揚げ産地だったのだが。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「イバラキ」です。にごりません。

余情 半 さんのコメント...

えっ、ホントですか。またやっちゃったかな。つまり濁ると「茨木」ですか?京都大阪間で快速の止まるところ。県民のみなさんすみません。

匿名 さんのコメント...

大阪の茨木市も「イバラキ」です。

匿名 さんのコメント...

え~、イバラギ、イバラキ論争はいまだ本県の中でも決着しておりません(笑)。イバラキ派は茨城原理主義派(そんなもんあんのか?)でして、他県の者、特に東京あたりから来た者に対しては、ことのほかうるさいのです。
私も年がら年中やられましたです、はい。でも、いいですか、私の住所ですが、茨城県行方市ですが、「イバラギ県ナメカタ市」と読みますよね、フツー。
ところがイバラキ原理主義派は、「イバラキ県ナメガタ市」なのです。ぶっはは。
濁音が清音で、清音が濁音。よその県の方はきにするこたぁありません。僕なんかずーっとイバラギ県ナメカタ市で通していますもん。
しかし、県の名が色々に読まれているっていうのはわが県くらいじゃないのかな。変換でも両方でます。正式には「き」であることはたしかなようです。県の公式サイトもそうなっているようです。しかし、実際にわがイバラギの同胞自体が両方発音しているんですから!

ところでぜひ余情半様、イバラギ(しつこいね僕も)ブランドづくりを手伝って下さい。お願いします。