2008年5月30日金曜日

行きつ戻りつ


父親に叱られて泣き止まなかったから、母親が負んぶして夜道を行きつ戻りつあやしてくれた。近所のおばちゃんもあやしてくれた。そのうちしゃっくりになった。なんで泣いているのかもわからなくなったから、顔をあげた。あげたらまるいお月さまがあった。月が追いかけてくるように見えたから「ないごてか」と聞いた。ラジオから浪花節がちいさく流れていた。音はそれしかなかった。光は裸電球の淡い街灯と夜空しかなかった。

国道沿いに町があって、並行して走る単線の国鉄線路を越せば田んぼだらけだった。昼間の道順を覚えていなければ、道に迷い、どこかに落っこちそうだった。単Ⅱの電池2個の懐中電灯はたいした灯りもなかった。ひとりでは不安だからと母が幼い私を連れて何かの用で農家を訪ねて行った。人工の光も音もなく、何もなく、道すがらあるのは蛙や鳥、梟、虫の音、月の光、星の光、犬の遠吠え、砂利道の白さ、それぐらいしかなかった。

「土づくりだぁ!」の得意先の部長たちと小笠原父島に向かった。同じ得意先の瀬掘(セーボリー、シーボリー)さん達を支援するために。仕事を終えて、港のある町の反対側の海岸に行くのにわざわざ夜を選んだ。真っ暗とはああいうのをいうのだろう。星明りしかなかった。たどりつき、海岸であお向けに寝転べば、星が多かった。こんなに多かったのかと思った。恐る恐る峠道を越えて帰るとき星がこんなに明るかったのかと思った。
 あれ以上の星の多さと明るさを見ていない。いや、東南アジアで見たのかな。21年も前のこと。

病みあがりのころ、「夜空にむかってあお向けになれば地球を背負っている、ヒトも宇宙の一部なんだ」となぐさめてもらったとき、あの情景を思い出した。真っ暗な中にいる、重力も、悩みもない。時を経て、楽になっていった。いつしか絶望感から逃れた。

2 件のコメント:

増田・大仏・レア さんのコメント...

そう、小笠原の瀬堀さん。
大事なお仲間。

匿名 さんのコメント...

沖縄の山の中の星もスゴイぞ。人工衛星なんぞ、バカバカ見える。流れ星など、願いをかけている暇がない(うそ)。
ちなみに、スペースシャトルの宇宙飛行士が講演で行っていたことを思い出した。

「宇宙船のし尿は満杯になると、ポッドに入れて地上に射出します。大気圏で燃えて流れ星になります。昨夜、あなたが願いを託した流れ星はシャトルのし尿ポッドだったかも」