2008年5月17日土曜日

名も無きひとびとをこそ今は伝えよ。


 琉球は列島の人口の約1%、面積は0.6%ほどであります。琉球は地球の宝石であります。

 しかるにヤマトによって、この列島に「おもいやり予算」で鎮座まします米軍基地の約3割、米軍施設のおよそ4分の3を背負わされていますから、基地が産業の主力のひとつであります。しかも居ります主力は、4軍の雄、海兵隊すなわち「なぐりこみ部隊」であります。基地「産業」無くして明日の「せいかち」の立ち行かぬひとびとのいることも現実であります。粉石鹸がいいだの、合成洗剤がどうの、という前の「げんじち」でありました。

 水産資源の枯渇が続くなかで、列島の食卓を潤す海産物をつくりあげたのが琉球であります。きっかけをつくったのはサツマでありましたが、その薩摩によってほぼ同じ、いやそれ以上の辛酸をなめた奄美に行き、技術を導入し実用化に成功しました。ひろく琉球諸島全体にひろめ産業のひとつとしました。わずか30年。
 これを産業にまで高めたのは山陰の加工業二者の貢献に負うものがあります。地を這う30年。二社は今日もよきライバル業者であり、むしろ果実をあとから同業となった他社、もしくはユーザーに奪われております。
 ユーザーとは過剰生産産量の足元をみた買人であります。それは仕方なき市場法則として見逃すこともできましょうが、100万人を背景にしながらそのことに気付かなかったのは狭き立場であります。ライバルに肩肘を張るがために弱き生産者を見失っていた「正義の味方」のことであります。「はつこころ」はどこにありましょうや。

 君よ、早く生産者のもとへ行け。遭うべきひとびとがいる。世に問いたい生産物がある。「一郎の牛肉」だけではあるまいに。おととい気付いた「若鶏」だけではあるまいに。宣伝上手になる勿れ。江戸から離れよ。筑波に足元をおき、筑波人工都市から離れよ。なにしろ100万人だ。

 広く、名も無きひとびとをこそ今は伝えよ。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

実は、私沖縄の山というよりジャングルの中で2年ほど暮らしておりました。まだ20代の頃です。百姓修行のスタートが沖縄だったのです。ちなみに父祖の地はカゴマですが。

30年前の沖縄は海産物を豊富に食べているという印象はありませんでした。ま、山の中ですから。魚が練り物(テンプラ)にしかならない、グルクンは揚げないといまひとつ。イチブチャーは高い。大量に食べる昆布はなんと北海道産。鯖は冷凍で刺身にして甘味噌にシマザキとシークワサーを入れたタレで食します。これは珍味ですが、当然内地からのもの。色々工夫しておいしく頂いていました。

食は地の生活から生まれるもの、それを切り離してなんの香りもしない規格品にしてしまったのは生協も含めた巨大流通です。