2008年5月10日土曜日

不安とイライラの循環、能面・金太郎飴型社会




自動改札口の向かいでお年寄りが通過しようとする。
「ゆずってくれてありがとう」と微笑んですれ違う。ほっとなごむ。

休日出勤。

ペットボトルに何者かが農薬を混入する事件が続いている、朝のニュース。

白鳥や黒鳥を鉄棒で殴り殺していた中学生。数日前に夜遅くに聞いたニュース。

ギョーザ事件、ずっと考えさせられているニュース。

穴があいていた、袋があいていた、泡がある、黒いところがある、味が変だ、臭いがする、キャップを開けたら液が減った、吐き気がした、下痢をした。不安だ、恐い。
直面する現実。

土日を越せば遅れる。不安におびえる人に早く結果をお知らせしなければ。言ってみたい「ご安心ください」と。事実にしか基づけないから「不安だ」にたいしては「特定には至りませんでした」が現実。それでも一刻も早く調べた限りの事実をお知らせしよう。
―――というのは、少し偽善だ。こなしきれないほどの世の中の不安があるだけだ。早く解決しなければこじれる、それを恐れる。
明治維新で世の中変わったとしよう、敗戦で社会が変わったとしよう、ギョ-ザ事件はそれに匹敵する、我が業界では。

「あなたはこんな人です」と言われているような前期評価。何故ですかときくと、基準に照らし合わせすらすらと答える。つっこむと部下をたくさん抱えている、と。・・・。
 今期目標は数値化、または目に見えるもの化。「とは言っても」と応えると、「マニュアルに高めることができるまでにしてください」と。要は誰でもできる仕事化、個性はもちろん、個人も要らない。世の中みんなマクドナルドのような笑顔とあいさつになる。

世の中がおびえている。いらいらしている。なにかへぶつける。弱いものにあたる。
とんでもない「循環型社会」になる不安。

「不安だ」をひょっとしたら他の企業、業界、社会が相手してくれないのかもしれない。
我社我がグループは。存在価値があるのだ。

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