2008年5月28日水曜日

メモリアル


一発で気に入って独断で決めた。
1Kに住んでいたから驚いた。ガラス戸を開けるとまだ部屋が2つもあった。3LDKで3万円。
県都から国鉄で40分。公団高層住宅が立ち並ぶ振興のベッドタウン。公団からは離れた、別の村落の民間4階建てアパートの中の独立した別棟2階建ての2階。オーナーの若夫婦が昔住んでいたという古い住宅。階下には中年のご夫婦のみ。
村落の中だったので、作り酒屋、神社、学校、農家があった。降りていけば国道沿いで没落途上の商店街があった。駄菓子屋を営むよろずや、プラモデル屋さんもあった。

彼女にはこの地方でいちばん大都会の県都を見せ、県都で食事をしたので、後日結婚のために、遠く関東から越してきてこの村落に「えっ!?」となった。以来、ずっと言われ続けた、「だまされた」と。

長男が生まれたとき、大家さんはトイレの改修をして水洗にした。それまでは、2階から階下に落ちるドッポンだったから恐かった。昔の家だったので和式だった。長女が生まれたとき簡単なもの干し場もつくってくれた。

長男、長女は幼き日をそこで育った。
長男をひいきにしてくれるガキ大将がいて、朝出て行けば日が暮れるまで帰ってこなかった。長女はあるとき自分の頭より大きい竹の子をどこからかいただいてきた。アパートには同年代のお友達がたくさんいて、二人ともみんなから自転車の乗り方を教わった。

住宅には四方に窓があり、炊事場から私の帰宅する姿が見えた。帰宅の合図を夕食の準備中の彼女に口笛で知らせてしていたのを、実はアパートのみんなが知っていた。そのことを後日引っ越すときに聞いてあわてた。

大喧嘩をして一度だけ彼女は家出をして東へ向かった。新幹線にのって遥か遠い実家に向かおうとしたが、台風で交通機関が既に止まっていた。何千円も使ってタクシーで泣く泣く帰ってきた。あとでわかったがそのころはもう第一子を宿していた。

今日はその県都でささやかな式を挙げて30年目の日。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いつでもいっしょにいたいと思って結婚・・ 今は、よくがまんをした自分をほめたい。30年間扶養家族を背負ってたけどやっと荷が降ろせたね。これからはあなたの生きたかった人生を。

匿名 さんのコメント...

余情半さん。
あんた、今でも女房に惚れてるね。昔のきらきらしたかんじが抜けて、渋い「いとおしさ」ってかんじなんだろうか。
一緒に彼女と生きたアパートとか、そこで育ったガキとか。すべてがいとおしい。私たちの夫婦にはガキができなかったが、わかる。そのていどの想像力はあるつまりだ。