2009年12月30日水曜日

我家の振り返り


 職はおろか住処を失った多くの人たちのことに、いたたまれない気持ちで今年は明けた。目の前で聴いた湯浅誠氏の「恐い話」と主張が頭にこびりついている。自公政権が退場したのは溜飲が下がる思いだったが、本質的に働くひとのための政府が必要だと思っている。

 「大きな家に車が2台」の生活で幸せになれなかったとはアイスランドの首相の言葉。この国は金融バブルが破綻した。私の知るのは漁場豊かな水産物と地熱発電とそして米軍基地経済の90年代。初めて訪れた時の印象は「木のない国土」だった。三菱製の車が走り回っていた。それでその債権の替わりにというのか、あまり豊かではないこの国からは主に三菱系の商社が水産原料を多く輸入していた。素敵なセーターがあってペアの柄を買ってお土産にもってきたのを今でも重宝している。その後のアイスランドにそんな金融バブルの時代があったとは想像ができない。
 「幸せ」をお金で買ってしまったのかもしれない。ミレーの晩鐘、のような畑仕事を終えた姿をイメージした。そして見上げれば立錐型をした岳、そして温暖な気候と豊富なお湯。積み上げもつながりも持っていない。

 普段、いろいろな仕事を引き受けてこなしていたようで、長男に「裁判員裁判」の仕事が偶々早くにまわってきて注目を浴びた。組織力を持つ検察にたいして、クライアントとの連携をしっかりさせ、市民である裁判員へ伝えることの斬新さをつくりだしていた。終わってから、我家に報道された新聞記事をどさっと持ってきたのには「おやおや」と苦笑してしまった。

 そうこうしているうちに高齢の母を亡くした。とくに孝行をしたわけでもない、むしろ逆だっただろう。ながい長い独り暮らしを気丈に過ごしたが、気ままだったのだろうが寂しくもあっただろう。晩年、認知症が進んだころはその気持ちを素直に示すようになった。たまに帰るしかないのは仕事があってしかたなかったが、帰るようになったら対話にはならなかった。とうとうその母に寄り添うことはなかった。

 二男が正月に家を出て二人暮しになった。二人になったから暮らし方、考え方に変化が生じた。二人で生きていくことのこれからのあり方を展望するようになった。扶養者がいなくなったせいか「軽く」なった。それと確かに食生活が量から質に変わりつつある。それもストレートではなくジグザグに。カレーをつくれば3日分もあることもあり、逆にそんじょそこらでは手には入りづらい「心のこもったもの」も食卓にあがる、人とのつながりのお陰だ。お金では買えない。
 拘束するのは夫婦お互いだけになったから、妻殿の一念発起、ミュージカルの応募出演を応援した。案の定、可能性と「やりがい」そして新しい「人とのつながり」に目覚めた。

 出て行ったはずのその二男がダブルハッピーとやらで、都内の新居を探していたはずが、予算の関係でたまたま近くに住むことになった。まるで旅に出て行った雄猫が家族を連れて還ってくるようだ。順調に行けば義理の娘と親戚が増え、孫の顔が見られることになる。人と血のつながりが増える。

 憎らしいほど・・・な相方と生きていく。さて、お金で買った「幸せ」をどうしよう。

2 件のコメント:

ハマタヌ さんのコメント...

ご子息ダブルハッピーとか、また二十におめでたいですね。いよいよジィ様ですか。うらやましい。
本年中はひとかたならないご支援を頂きました。ありがとうございました。
来年もまた、よいお年でありますようにお祈りしております。

余情 半 さんのコメント...

いやはや、ハマタヌ様のところは新年のラグビーやアメフトのようにダッシュしていますね。今年もよろしく、いやお手柔らかにお願いします。