2009年12月3日木曜日

秩父夜祭の想い


今日は冷たい雨になった。私にとっては昨日でなくてよかったが。今宵は秩父夜祭のクライマックス。団子坂を提灯で飾った屋台が勢いよく曳(ひ)き上げられる勇壮さ、そして屋台が勢ぞろいしたところに花火が冬の夜空にあがる。悪天候は気の毒だがそれも12月の風情かもしれない。

小学生のころだ。漫画週刊誌などに煽られ切手収集に夢中になったのは。10円で売っていたはずの切手がいつのまにか魔法のように例えば「60円」と評価してあった。高値で上がっていく伝説的な「見返り美人」切手に嘆息しつつ、記念切手のカタログ(定期発行の評価誌)を何度見たことか。小学生だったのに欲に目がくらんでいたのだろう。記念切手の発行日には学校帰りに郵便局に跳んで行った。親に頼んで朝から並んで買ってもらった友達もいる。うちではそれはできなかった。少ない小遣いから町の郵便局で買った記念切手を、将来の値上りを楽しみに、丁寧にセロファン紙で包み、切手帳に収めた。大切に扱った。その姿は強欲老人が銭壷のゼニを数えているようにも見えたのかもしれない。でも、純粋だった。要するに操られていたのだろうが、成長するにつれ醒めていった。

そのときの懐かしい記憶にあるのが「日本三大曳(ひ)き山祭」というシリーズの切手。京都の祇園祭、飛騨の高山祭、それと秩父夜祭。いずれの地も訪れる機会に恵まれた。飛騨の高山祭はまだ観たことがないが、こういう町衆のエネルギーや粋がつくりあげられたこと、そして引き継がれることの大事さを知るようになる。

確か茶箱(木でできていて内装はトタン)の奥深く少年時代の切手帳をしまっていたはずだ。換金することもなく40年以上思い出をしまっている。大事な小遣いの使い途を誤っていたような気もするが。秩父夜祭といえばそういう想いがある。

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