2009年11月30日月曜日

カーテンコール


鴎外なら舞姫、ドガなら踊り子、三浦浩一、村下孝蔵も踊子、川端康成、JR伊豆特急もそうだ。知り合いのコイズミさん流にいえば「ミュウジカル・スタア」。

燃え尽きたのではと言われるが、違う。みなぎったのだ。

やってみればぁ。否、やれやれ! ん、やってみるかぁ、で参加した。土日つぶれるけど?なんの問題もない、気にしないで。生協で冷凍食品たのむから。後半は生協でたのんだ白菜の鍋にしたけれど。

緞帳(どんちょう)と呼ばれる荘厳な幕が開(あ)く。光があたり、ライトのなかにおかあさんを見つける、きゃあ!なんてことを「夢みていた」。それは別の世界のことで、才能と機会に恵まれた人のやること、そう思っていた。違うどこかの世界。

一念発起、やるだけやってみる。最初の方は十分参加できなかったのでおたおたした。やめるとは言わなかったから、続けるしかないのでは、で腹を決めた。夏の練習に、部活帰りの女子中学生のように帰ってきた。山田洋次さんがきてプレ企画が催されて、パフォーマンスをみた、あれなんていうの?「でい、でい、でい(泥、泥、泥)」これは楽しそうなミュージカルになると直感した。

見せてあげたかった。元気な時の私の母親。そのかわり姉たちが見てくれた。上の姉はコーラスに毛が生えたぐらいのものと思っていたふしがある。そして、小林和恵先生。生きていたら下の姉と同じ歳だ。「採用します」の電話を私が受けたことを今でも覚えている。妻殿にとっては人生の画期になった。わずかの歳月しかご一緒できなかったがすごい影響を受けた。今の私たちよりずっと若くして、癌のためにあっという間にお亡くなりになった。生きていれば、きっと自分のことのように喜んでくださったことだろう。その息子さんも一回目は実行委員長として、三回目の今回は事務局長として獅子奮迅の働きを見せた。ひとのこころをつかむ、その影響力はやはり小林先生のDNAなのだろうか、器が並ではない。

あれほど大きな舞台。市民会館はハコモノでりっぱなもの、文字通り「おおぶたい」を踏んだ。みんなに観に来てもらい、晴れ舞台を飾った。光と音楽、舞で、‘非日常世界’に誘(いざな)った。「楽しかったよぅ」と感想をもらった。ミュージカルは「先ずは水門を開けること・海流は左に渦を巻く・その流れに」「森からの真水が有明に流れ込む、・・・必ずやまた干潟は蘇る」などのメッセージを送った。「考えさせられました」を生協の飲み友達からもいただいた、仲間だ。

びしっ、ばしっと後姿から聞こえていた堤さんを紹介していただいた。裏方の立役者のひとり。ミュージカルは成功させなければいけないの信念を実務で体言したひと、子どもの出演者のおかあさんだと聞いた。

昨夜はその日のうちに帰りつけなかった。観に来てくれた長男夫婦を誘って立川の和楽にまた足を運んだ。日曜日の9時だというのに店内は満員だ。ボクシングの世界戦を中継していた。内藤の顔がぼこぼこで勝負の行方がわかった。

来てくれたのかなと会場を見回していたら、なんと一番前の席から立ち上がったのがコイズミさんだった。来てくだっさったのだ、なんてこったカブリツキに陣取っていた。声もかかったらしい。昼は二階席まで満席にし、夜は一階席を満席にした。ライブのミュージカルは反応までもみな違うらしい。5会場6公演都合6000名ぐらいの人がこのミュージカルを観てくださり万雷の拍手をいただいた。そして終わった。

次につながる、人につながる希望を演じたのだと私は思う。燃え尽きたのではなく、みなぎったのだと考える。すごい体験を妻殿はした。それを応援できた。ひととのつながりがひろがった。

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