2009年11月13日金曜日

友好


 車体から身をのりだした連中がゴリラに見えた。シークレットサービスの車が通り過ぎる。そのあとを、どれがどれだかわからぬ黒塗りの車があっという間に通り過ぎた。御所を出た丸太町通りで待ち構えていたところに出くわした。米国大統領のフォード氏を「帰れ」コールで迎えたときのことを思い出す。30数年前のことになった。

 たとえ一部といえども国土が占領されカーキ色または鉛色の軍事基地となり、滞在中であろうがなかろうがクーラーも照明も24時間365日点けっぱなし。「思いやり」という快適な住居を与え続け、目が潤むような濃い緑の山林ヤンバルや、晴れやかなエメラルドグリーンの珊瑚の海を蹂躙され続けている。基地の事故と犯罪でいったいどれほどの市民が手ひどい目にあったことだろう。不当を情に訴えれば、こういうことだ。

 この不当性を正常にしてくれ、これを対等にしてくれと言うのを「反米」とは言わぬはずだ。真の日米友好とは何かそれを掛け合ってもいいと考える。

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