2009年7月30日木曜日

小佐渡行(後編)

 私の故郷は大きな川が流れていて四方を丘というか山に囲まれている盆地だ。町から見える丘のひとつが東側を皿山(あるいは寺山)、南側を清水が丘という。いずれも約300m。登れば町が一望でき、見晴らしがよければ海と彼方に甑島が見える。小さい時、これらの山に登るのは遠足だった。弁当をもってぜーぜー言いながら父親のあとについていった。さつまいも畑かあるいはせいぜい牛を飼っていた戦後の開拓農民の居場所だった。今なら道路ができてしまって車でものの15分だ。皿山には憩いの広場という展望台ができ、清水が丘には自衛隊の駐屯地ができてしまった。

 野浦の裏山はその高さ以上にあって、南に面した棚田が続く。この稲作を手伝っていたYさんたちは、それは足腰が強くなるはずだ。苦労はしただろうけれど、この海に続く美しい光景をみれば思考がひろがるのも頷ける。稲束をかついで降りてきたという。

 前日の歓迎の宴会(交流会)で自己紹介をしていただいた北野源栄さんは特別栽培米を作り続けている。MOAや地元の生協その他に出荷している。何が大変かと言えば「草と虫」。山岸修さんは親から引き継いだとき棚田は83枚あったという。有機栽培を始めた。道具といえば、草を刈る道具と竹で編まれた虫を捕獲する道具とあとひとつの3つだけですと。捕獲した虫はどうするんだろうとYさんに聞けば「そのへんにぶんなげるんだろう」、いやつぶしますと山岸さん。弁舌さわやかなYさんの言うことが細部までいつも正しいとは限らない。山岸さんは小柄で高齢な方だが田んぼが運動場だとおっしゃる。

 会う前に吉村さんからあの人は目が「トキ」だと教えていただいたが、何のことかわからない。交流会の夜、中島明夫さんがパワーポイントを使って、トキの観察の内容とトキと人間が共生するための環境づくり、有機栽培の田んぼづくりやビオトープづくりなどを紹介。そして翌日は野浦の棚田、耕作放棄地のビオトープ化(棚田景観の復活、棚田のトキの餌場としての活用)とあちこちとを案内していただく。ここがトキの飛翔路ではないか、あっちからこう降りてきて、こっちから上昇気流にのってくるのではないかと、指し示し教えていただく様子を見てやっとわかった。「目がトキになっている」頭の中はトキだ、トキの仲間を識別できる。翼がないだけで、中島明夫さんはトキなのかもしれない。よく整備された「佐渡トキの話題」というブログhttp://sado-toki-no-wadai.cocolog-nifty.com/がある。

 佐渡には文化があるよと自慢する。誰もそれも流人も「草木がなびく」ようにみんな来たんだ、信長に追われた雑賀衆も。能、歌舞伎、そして野浦には文弥人形芝居がある。

 佐渡の海産物は業界ではブランドだ。いいものは築地に飛ばす。暖流系のものが多いように思うが、北限でモノがよい。また棒ダラなど北の食文化もある。スケソータラの煮付けもごちそうになった。鮑やサザエが盛りだくさん。「今朝採ってきたっちゃ」とおっしゃるのはあごに髭を蓄えたこの村の神主の臼杵秀昭さんだ。くるくるくるっという目をした活動的な方で地域のために多忙だ。人手不足らしく近在のあちこちの神主も兼ねる。まだ若いから中島明夫さんと一緒になって耕作放棄地のビオトープ化など環境を維持、活用する活動も買って出る。ほら、あそこも機械入れてそれを操縦したのはあの神主さんだと教えていただいた。「こちら佐渡 野浦 情報局」というブログで日々のこの辺の地域のことがよくわかる。http://wind.ap.teacup.com/applet/noura/20090729/archive

 野浦は半農半漁そして半林業で食ってきたらしい。北前船も寄航したし、さかのぼれば越前行きの航路もあったらしい(文弥人形「阿心丸船出の段」の題材)。りっぱな木材を使い、家を建てた。梁や柱に漆を塗った。Yさんのお宅だけのことではないだろう。営々と築きあげられた奥の深い生産諸力と結(ゆ)いの力があったのかと推測する。過疎化は例外ではない。それを「秀麿様」たちが必死で維持再生しようとしているように垣間見させていただいた。

 そのひとつが今回私たち一行のお目当てのひとつだった「芸能の里フェスティバル」だ。第10回という。実行委員長はあの神主さん。直前にたたきつけるような雨が降って、いざ始まれば雨があがる。まさに神がかりだ。

 野生のトキの最後の営巣地であったのがこの野浦だ。だから一層、「トキと共生できる里づくり」というビジョンを描いており、農業の実践があって、豊かな伝統芸能の伝承、後継者育成を図っている。

 春駒とかいて「はりこま」と読む。三河の万歳のようだなと思ったら、やはり祝い事の芸能であるらしい。若者と子どもが演じる。

 当日の朝だったか、Yさんの兄上から、観てひとつよかったらワンコインいや札だな、包んでやってくれと頼まれる。いわゆるおひねりですか、そういうことだ。よろこぶ、はげみになる。ただし千円以上はだめだ。昨日、料理を仕切ってくれたレイコ(さん)が踊る。剥き出しではなくこうちりがみに包んでだな、わかるように渡してやってくれ。胸元から手を入れるようにだな、やっていい。兄上は朝からビールだ。

 お目当て中のお目当て「文弥人形芝居」が2題演じられる。上方、岡本文弥の文弥節の語りによって演じられる一人遣いの人形芝居であって、何人かで操る人形浄瑠璃とは違う。顔の表情は変わらぬから遣い手の「迫真」で表情を読み取るのだよ、とYさんの兄上。兄弟して気合の話や理屈がうまい。演じ手をみればなんと今朝、有機栽培の田んぼの農法をけなげに朴訥にお話くださった北野さんではないか。「迫真」だから演じているときは人間が違う。ひとりで操るのは重く、それなりに難しいらしい。右手で扇子、刀、弓矢、艪などを、左手で首の向きと人形の左手を同時に操るらしい。
昨夜の交流会で御紹介いただいたみなさんがそれぞれに大車輪で出演されていた。

 舞踊にいよいよレイコさんが登場。4枚のおひねりのひとつを受け持つ。始まるや否や、早速Yさんが行けと合図するが、ここは硫黄島ではない。拙速はせぬ。やはり演技を観てそれがよかったよという意味だと思うから、じっと鑑賞してから、江戸に出てきた強訴農民のようにおひねりを高々と掲げ走りよりおもむろに舞台に置いたわけでありました。芝居がかったことをしたわけですが、まっ、カッコをつけたかったわけです。レイコ姉に通じたのでしょうか。

 料理もおもてなしも田んぼめぐりも観光も大変お世話になりました。初めて訪問したのであって、かすっただけですから全てではないし、ひょっとしたら間違って理解してしまったこともあるかもしれません。その点ご容赦ください。ただ、さわりをさらっと見たような佐渡観光ではなくて、人との(現在のひととも過去のひととも)つながりを少しつくれた旅でありました。主催者の「あったかキャッチボール」はそのことを特長にしています。

 「草木もなびいた」佐渡を少し理解できました。Yさんの元気の源泉もみつけられました。

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