2009年7月5日日曜日

どんとこい、貧困


 仕事柄、日本語を鍛えなければならない。苦手な長文ではないのでその点はいいが、正しくわかりやすく、かつ心も込めて伝えるのは難しい。主語と、述語にあたる結論をはっきりさせなければならない。文章を削りに削っていけばわかる。手短に表現しなければ、読んでいただけないだろう。簡潔さでは「お役所文書」のごとく、内容は「お手紙」の形式になる。個別の「あなた」に語りかける。相手様を尊重する心がなければならない。文書による「対話」、お申し出の内容、ときにはお怒りの内容を斟酌しなければならない。「お申し出内容」に洩らさず応える、はぐらかしてはならない。明確な「答え」の無い場合が多い、お申し出になられた動機を尊重しつつ「答え」を探さなければならない。至らぬことが多いことを思い知る。つい、マニュアル用語になりがちだ。漢字やカタカナ用語は便利だが、難解であって実は意味があいまいだったりする。ひどいときになると業界用語、社内用語だったりする。これには泣かされるし、あきれるし、ついつられて使ってしまいがちだ。必要があって漢字や専門用語を用いたいときは、最低ルビをふる、その用語の意味を述べる。
 つまるところ文書文章は中学生にもわかるものをこころがけることになる。

 講習、講演、演説を聴く機会が数多くある。昔、友人からあのひとの話はそのまま論文になると聞いたことがある人がいた、なるほど後で本になればそうなっている。そういうのは内容のすごさだ。

 詭弁、雄弁は見抜ける、中味がないからだ。ただ、話術と枝葉末節の情報をもっているので言いくるめられる。針小棒大、はぐらかし、すりかえ、デマゴギーあらゆる技術をもっている。御免蒙る。

 湯浅誠さんの話をたまたま目の前で聴いた。初めて聞くタイプだった、わかりやすいのである、じゃそれはどうしてかと思うことを、まるでみすかしたようにつぎつぎに展開していく。話術といえばそうなのだが、ひとに伝える能力がある。表現力があるから彼の用いる「溜め」のような用語もわかってくる。しかも気持ちがぴったり合う、溜飲がさがる、心地よい。実践と調査と態度の奥の深さが窺える。40歳になったようだが、人柄は青年、話は仙人のようだ「なるほど」と思う。

 だから、彼から聞いた話がそのまま書いてある、それが新刊本『どんとこい、貧困!』(よりみちパン!セ 理論社YA新書)だ。腹に落ちると思う。

  すべてにルビがふってあって、字が大きく、イラストが組み合わせてある、対象が中学生以上だからということだけれども、そうでなくても伝えるためにはこれって必要だなと考えている。

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