2010年4月29日木曜日

昭和の矜持


 ゴミだしに出るお隣の奥さんに出遭って、行って参りますのあいさつをしてペダルを踏み出す。ネクタイをしていないのは休日に出勤するからバツが悪くてしなかったのではなく、のんびりしていて時間がなくなったからだ。ポケットには突っ込んでいる。都内の練習試合にでも行くのだろうか、朝早いのに電車内には部活の生徒たちが多い。普段の日に比べるとずっと早く職場にたどり着く。

 昭和ヒトケタ生まれ(1933年)で多感な時期に戦争があったアキヒトさんはパパ上と違い、何か矜持があるように私は思っている。そのへんは森達也さんの感じるところ、記すところに共鳴するものがある。サイパンやオキナワ、百済とのゆかり、・・・。だから、この人のお誕生日には「固いこと」は言わずに休む。しかし、なにかこう、このパパ上の誕生日には休む気はしない。そも“人は人の上にひとをつくらず”の原理主義もあるし、アラヒトガミとしてもヒトとしても責任や悲惨について思い及ばなかったのかなという不信もある。

 映画のことで、しかも同年代ということもあるが川西玲子さんの『映画で見る昭和の日本』(ランダムハウス講談社、08年8月刊)をおもしろく読んだ。感性がほぼ、ぴったしで、私の生きてきた、あるいは影響を受けてきた過去のことを振り返るのにはまり込んでしまった。

 苗字はないけれど生活と仕事はこのうえなく保障されているのに、お孫さんのことやお嫁さんのことなどを聞くにつれ、あのご一家ですら生きにくいのかなあと考える。よくはわからないけれど。

 周りでも昭和ヒトケタの人たちが亡くなっていくのを経験しつつある。姉に言わせれば成長期に食べ物がなかったからなどと言う。元号を歴史の尺度にはしないが、いつか、「昭和も遠くなる」のだろう。

 今朝は新聞を取りに行って郵便ポストの上にカタツムリがいた。目と目があったような気がしてお互いにびっくりする。どうやら数年前からこの辺に棲みついたみたいだ。のんびりのように見えるけど、カタツムリの慌てたところもおもしろい。角出し槍出し、目玉を出して威嚇していたのかな。ごめんな。その気概や、よし!

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