2010年4月18日日曜日

外国軍の基地


 奄美の加計呂間島から船を出してもらい海峡の西の端に来た時大きく見えた島、それが徳之島だ。行ったことはない。若いときは町を二分した激しい選挙戦の闘われるところというイメージが強く、実際、奄美本島の人は「あそこはハブも人も気性が激しい」と言う。

 「県外」とはどうやらここが本命らしい。種子島の西の沖合にある小島馬毛島(まげじま)も候補にあがっているようで驚いた。指宿から大隈の佐多岬を越して目と鼻の先だ。こうなると私も身近に迫った実感として受け取れる。

 海兵隊は殴りこみ部隊であって防衛部隊ではない、その抑止力をことさら言うが逆で、そんなもの日本にあるから日本の平和力を信用されない。日米関係は軍事同盟であるべきか?民主党のみなさんはそこから少しも脱却できないから、自民党政権の置き土産の地雷を踏んだまま身動きできないでいる。勝連沖に行こうが、名護の海に行こうが陸に行こうが、200km先の徳之島に行こうが、地雷を踏んでいるから「爆発」するしかない。沖縄県民、国民の「怒りの爆発」だ。

 対等平等の日米関係に腹を据えていれば、せっかく政権が変わったのに発足当時から「日米同盟が要(かなめ)」などと外交の手の内を言う必要はなかった。つきつめるところ戦争に負けていったいなにをどう握られたのだ。どんな弱みや急所を握られたら、60余年も領海、領土、領空に外国の軍隊が我が物顔に出入りできて、広大な基地を占領し広い空域を占有しているのか。しかもこちら側から維持費を事実上無尽蔵に提供し続けなくてはならないのか。守っていただいているのかなぁ?そうかなぁ?我が領土と生活を踏み台にして古くはベトナム、今はアフガン、イラクなどへ出撃しているだけではないか。

 沖縄の基地のある町は60%以上もの土地を占有されている、しかも一番いいところを。その爆音は耐えられるものではない。目の前で大型ダンプのクラクションを鳴らされ続けているようなものだと聞いた。軍隊はひとの命を奪うべく訓練されている、まして侵略、謀略を任務とする部隊はすさまじい。基地を出た路上で人を轢いても屁とも思わない、そんな感覚だ。市民はそんな環境の、すぐその隣で日常の生活を営まなければならない。一旦、危険や恐怖を横において今日と明日の‘食う寝る’をしなければならないのが実情だ。

 国外に出て行ってほしい、御国に帰ってほしい、この願いとも、要求ともいうべきことが何故、現実的ではないのか。現実的ではないと思い込んでしまっているだけではないのだろうか。外交努力の基本が間違っていないだろうか。私たちにも「沖縄の、基地のある痛みを我が痛み」とできていない「他人事」という根性がある。それが温度差だ。我が身の足の先を針で突付かれたら死ぬほど痛いのに、人の身を剣で突付いてもなんの痛みもわからない状態だ。原発の例ではないけれど、東京湾、そうお台場あたりを埋め立てて2000m級滑走路の米軍基地をつくるなんて言い出したらどうなるのだろう、「首都圏防衛」とかお題目はできるが。

 速報によれば徳之島ではどうやら1万人以上もの人々が集まり、米軍基地の移設をやめてくれという集会、「断固反対」という意思を示したようだ。島民の半分が集まったそうだ。東京都で換算したら500万人余という人々が集会に出て意思を表明したことになる、そう想像したらいい。

 「日米同盟ありき」では解決の仕様なく、平和で友好的な日米関係をつくるべきときだろう。対等で平等な。

 名護の具志堅さんは沖縄からのうねりを日本各地へそして最終的にはワシントンまで届く波を起こそうと考えている。

 花が散り新緑が芽吹いてきた、今日はまっとうに暖かくなった。チューリップの花が咲きそうだ。夜は子どもたちを集めて二男夫婦の新婚旅行のみやげ話を聞く予定。

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