2010年4月14日水曜日

あくまでも愉快に


 いよいよ事業計画では定員削減を明言してきた。人件費とつぎに定員を削減する、世の中の流れだ。ほかに策はないのだろう。みな収入が減り、失業と隣り合わせの生活をしている。だから、ますます「低価格」は輝き(?)を増す。事業の突破口はここに見出している、勝つか負けるか。20年前にも踊らされた「座して死を待つよりも」と。職場に蔓延する閉塞した雰囲気、あのときは誰か行けだった、今回は皆で行くということだ。

 月曜日の朝、ラジオの話し手は内橋克人さんだった。井上ひさしさんをしのぶ内容。ラジオはテレビでははっきり言えないことを伝えることができる。人が人として生きられる世の中をつくるために、たまたま居住するところが一緒で「鎌倉9条の会」を医師のなだいなださんも含めて3人で立ち上げた仲だったそうだ(05年2月)。心にぽっかり穴があいた心境と井上さんの常に真摯でユーモアたっぷりな生き方を紹介された。「難しいことはやさしく、やさしいことは深く、深いことは面白く、面白いことは真面目に、真面目なことは愉快に、ゆかいなことはあくまでもゆかいに」

 土曜日の夜、兄を泊めた。肺にまた癌がみつかってね。「死ぬのもひと苦労だよ」私には言葉がない。「人間いつかは死ぬから」などと注(つ)いで出てくるが、まるで私でない人間が言葉を発しているようだ。兄の話はいつもおおげさなところがあって真意をつかみにくい。しかし、癌、余命とくると、これまでの経験からいうとその通りになっている。翌日曜日の朝には井上ひさしさんの訃報が流れてきて、肺がんで75歳だったという。兄の年齢に近い。なんとバツの悪いことになって、慌てて八朔を剥いてすすめる。妻殿は着付けがあって早くに出かけた。披露宴のあと、どこかで茶でも飲もうと身内だけのといっても18人の大勢だったが、そのテーブルにも参加した。新幹線の時間があるからとみんなに挨拶して先に帰っていった。

 兄も義兄もまるで自分の足跡を東京で振り返っているようだった、またほんのひとときの自由をたのしんでいるようだった。まじめにはたらくことしかなく、がむしゃらにはたらいた。資格をもっている兄は今も現役だ。そして二人とも病だけではない悩みをもっていて解決がつかない。兄からは「楽しかった」とメールを夜にもらった。

 そんなことが過ぎて、水曜日になった。今度の日曜日には二男夫婦が帰ってくる。よし、長男夫婦、むすめを呼んで夕食会兼「あれはなんだった反省会」をやることにした。私たちにはむすめが増えたのだから。どんちゃん騒ぎなら二男の彼女はできそうだなぁ。

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