2009年9月10日木曜日

山田洋次さんが来て観て語った


 代表作「男はつらいよ」が盆正月興行の国民的映画になっていくころ、山田洋次監督は同時にこれらの作品も残している。
「家族」70年10月
「故郷」72年12月
「同胞」75年10月
 そして、90年代に入って「息子」「学校」Ⅰ~Ⅳをつくり、21世紀に入って時代劇三部作に取り組む。08年封切りの「母べえ」は吉永小百合さん笑福亭鶴瓶さんを起用して制作した。来年正月封切りの「おとうと」が最新作の予定で今に至る。同じく吉永小百合さん笑福亭鶴瓶さんが出演する。寅さんは「愚兄賢妹」を描いたが、「おとうと」は賢姉愚弟を描くことになる、と監督は言う。

 そこで会場から新作「おとうと」の次はどんな映画をつくる気か、との質問が寄せられる。

 一種の企業秘密ですがと軽妙に受けて、次もつくりたいと。ただ、「あの山田洋次が、えっそんな映画!?」[山田洋次ギャング映画に挑戦][SF映画に新境地]というものはつくれない。いつも見慣れたものを「こんな角度で」というものを撮るだろう。

 この年配になり、同じ年配の人がどんな映画を撮るか気になると言う。年老いたなと感じる(安直な)ものは撮りたくない。年をとったからこそできるものを撮りたい。自分の生い立ちから始まって、これからもとりとめもない映画をつくるだろう。

 昔の長屋の話。ひしめくように暮らしている。今のような娯楽はない。どうしているかというと人間自体を観ることに娯楽をみいだしていた。テレビドラマやゲームよりも本物の人間の方がどんなに「娯楽」であることか。歌舞伎も文楽でも能も最初はわからない。しかしそれに通じた人から教えてもらえばわかるようになる。人間も同じこと、こんなアングルでみればこんなにおもしろい人だと、その案内人が映画であり文学であり芸術だ。それらが「なんて人間っておもしろいもんじゃありませんか」と問い掛けているような気がします、と。

「学校」ことさら社会的弱者の立場でつくっているわけではない。自閉症のお子さんをもっているお母さんのノンフィクションの原作が魅力的で、なんとか描けないかなと思った。そして北海道滝川の養護学校の先生たちを訪ねた。あるときの先生たちのやりとり。「あれ、うれしかったよな」「カズが先生、うんこ」と言ってくれた。それが「やった」と思ったという会話。カズくんはなにかを「要求」するたびにうんちをするという行動をとってきた。知的障害者にとってうんこをするというのは便秘を避ける意味でも大事なこと、それを小出しにできることも意思表示の仕方のひとつで大切な行為。ああ、そういう先生がいるんだということで山田洋次さんは興味をもったという。

 寅さんは憲法を読んだことがあるか?
ん~ン、読まなかったかもしれませんねぇ。美しい女性から「読まなければ」と言われれば、わからなくとも読んだかもしれませんねぇ。刑法なら少しわかるけど、なんて言いながら。それでも憲法の精神を聞いたら「なるほど」と感心するかもしれませんねぇ。

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以下、「goo映画」より引用

「家族」70年10月
出演: 倍賞千恵子 / 井川比佐志 / 笠智衆 / 前田吟 / 春川ますみ / 花沢徳衛 / 森川信 / ハナ肇 / 渥美清
解説 /山田洋次が五年間温めつづけてきた構想を、日本列島縦断三千キロのロケと一年間という時間をかけて完成した、話題の超大作。脚本は「男はつらいよ 望郷篇」の山田洋次と宮崎晃、監督、撮影も同作の山田洋次と高羽哲夫がそれぞれ担当。

あらすじ /長崎港から六海里、東シナ海の怒濤を真っ向に受けて長崎湾を抱く防潮提のように海上に浮かぶ伊王島。民子はこの島に生まれ、貧しい島を出て博多の中華料理店に勤めていた。二十歳の民子を、風見精一が強奪するように、島に連れ戻り、教会で結婚式を挙げた。十年の歳月が流れ、剛、早苗が生まれた。炭坑夫として、精一、力の兄弟を育てた父の源造も、今では孫たちのいい祖父だった。精一には若い頃から、猫の額ほどの島を出て、北海道の開拓部落に入植して、酪農中心の牧場主になるという夢があったが、自分の会社が潰れたことを機会に、北海道の開拓村に住む、友人亮太の来道の勧めに応じる決心をする。桜がつぼみ、菜の花が満開の伊王島の春四月、丘の上にポツンと立つ精一の家から早苗を背負った民子、剛の手を引く源造、荷物を両手に持った精一が波止場に向かった。長崎通いの連絡船が、ゆっくり岸を離れ、最後のテープが風をはらんで海に切れる。見送りの人たちが豆粒ほどになり視界から消えても、家族はそれぞれの思いをこめて故郷の島を瞶めつづけた。やがて博多行急行列車に乗り込む。車窓からの桜の花が美しい。汽車の旅は人間を日常生活から解放する。自由な感慨が過去、現在、未来にわたり、民子、精一、源造の胸中を去来する。生まれて始めての大旅行に、はしゃぎ廻る剛。北九州を過ぎ、列車は本土へ。右手に瀬戸内海、そして徳山の大コンビナートが見えてくる。福山駅に弟力が出迎えていた。苛酷な冬と開拓の労苦を老いた源造にだけは負わせたくないと思い、力の家に預ける予定だったが、狭い2DKではとても無理だった。寝苦しい夜が明け、家族五人はふたたび北海道へと旅立っていった。やがて新大阪駅に到着し、乗車する前の三時間を万博見物に当てることにした。しかし会場での大群集を見て、民子は呆然とし、疲労の余り卒倒しそうになる。結局入口だけで引返し、この旅の唯一の豪華版である新幹線に乗り込んだ。東京について早苗の容態が急変した。青森行の特急券をフイにして旅館に泊まるが、早苗のひきつけはますます激しくなり、やっと捜し当てた救急病院に馳け込む。だがすでに手遅れとなり早苗は死んでしまう。教会での葬儀が終え、上野での二日目が暮れようとしていた。なれない長旅の心労と愛児をなくした哀しみのために、民子、精一、源造の心は重く、暗かった。東北本線の沿線は、樹や草が枯れはてて、寒々とした風景だった。青函連絡船、室蘭本線、根室本線、そして銀世界の狩勝峠。いくつものトラブルを重ねながらも家族の旅はようやく終点の中標津に近づいていった。駅に着いた家族を出迎えたワゴンは開拓部落にと導いた。高校時代の親友、沢亮太との再会、ささやかな宴が張られた。翌朝、残雪の大平原と、遠く白くかすむ阿寒の山なみを見て、雄大、森閑、無人の一大パノラマに民子と精一は呆然と地平線を眺めあうばかりだった。夜更け、皆が寝しずまった頃、長旅の労苦がつのったためか、源造は眠るように生涯を終えた。早苗と源造の骨は根釧原野に埋葬された。やがて待ちこがれた六月が来た。果てしなく広がる牧草地は一面の新緑におおわれ、放牧の牛が草をはんでいる。民子も精一もすっかり陽焼けして健康そのものだった。名も知らぬ花が咲き乱れる丘の上には大小二つの十字架が立っていた。「ベルナルド風見源造」「マリア風見早苗」。

「故郷」72年12月
出演: 倍賞千恵子 / 井川比佐志 / 渥美清 / 前田吟 / 田島令子 / 矢野宜 / 阿部百合子 / 笠智衆
解説/瀬戸内海の美しい小島で、ささやかな暮しをつづけてきた一家が、工業開発の波に追われ、父祖の地に哀惜の思いを残しながら、新天地を求めて移往するまでの揺れ動く心を追う。脚本は「泣いてたまるか」の宮崎晃、監督は脚本も執筆している「男はつらいよ 柴又慕情」の山田洋次、撮影も同作の高羽哲夫。

あらすじ/瀬戸内海・倉橋島。精一、民子の夫婦は石船と呼ばれている小さな船で石を運び生活の糧を得てきた。民子もなれない勉強の末に船の機関士の資格をとった。決して豊かではないが、光子、剛の二人の子供、そして精一の父・仙造と平和な家庭を保っている精一に最近悩みができた。持船のエンジンの調子が良くないのである。精一はどうしても新しい船を手に入れたかった。そこで世話役に金策の相談を持ちかけたが、彼は困窮した様子を見せるだけだった。各部落を小型トラックで回り、陽気に野菜を売り歩いている松下は精一の友人で、精一の悩みを知って慰めるのだが、それ以上、松下には何の手助けもできない。精一は大工にエンジンを替えるにしても、老朽化して無駄だと言われるが、それでも、夫婦で海に出た。その日は、海が荒れ、ボロ船の航海は危険をきわめ、夫婦の帰りを待つ家族や、松下は心配で気が気ではなかった。数日後、万策尽きた精一夫婦は、弟健次の言葉に従い、尾道にある造船所を見学し、気が進まぬままに石船を捨てる決心をするのだった。最後の航海の日、夫婦は、息子の剛を連れて船に乗った。朝日を浴びた海が、かつて見たこともない程美しい。精一は思い出した。民子が機関士試験に合格した日のこと、新婚早々の弟健次夫婦と一家をあげて船で宮島の管弦祭に向った日のこと。楽しかった鳥での生活が精一のまぶたをよぎった。翌日。尾道へ出発の日である。別れの挨拶をする夫婦に近所の老婆は涙をこぼした。連絡船には大勢の見送りの人が集った。松下も駆けつけ、精一に餞別を渡し、山のようなテープを民子たちに配り陽気に振舞った。大人たちは涙をこらえたが、六つになる光子だけは泣きだすのだった。やがて、船が波止場を離れた。港を出て見送りの人がだんだん小さくなっていく。精一と民子は、島が見えなくなっても、いつまでも同じ姿勢で立ちつくしていた。

「同胞」75年10月
出演:倍賞千恵子、寺尾聰、岡本茉莉、下條アトム、渥美清、井川比佐志、下條正巳、大滝秀治、三崎千恵子、杉山とく子
「岩手県のとある農村を舞台に、東京の劇団のミュージカルを公演しようとする青年団の活動を描く。」
解説/岩手県のとある農村を舞台に、東京の劇団のミュージカルを公演しようとする青年団の活動を描く。脚本は「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」の朝間義隆、監督は脚本も執筆している同作の山田洋次、撮影も同作の高羽哲夫がそれぞれ担当。

あらすじ / 岩手県岩手郡松尾村は岩手山の北麓、八幡平の裾野に広がり、四つの部落からなっている、人口七二○○、戸数一七○○の村である。斉藤高志はこの村の青年団長で、酪農を営んでいる。兄の博志が盛岡の工場に通っているので高志が農事のすべてを切りまわしている。村の次、三男のほとんどが都会へ出て行き、残った青年たちも東京・大阪方面へ出稼ぎに行って閑散している三月半ば、松尾村を一人の女性・河野秀子が訪れた。彼女は東京の統一劇場のオルグとして、この村でミュージカル「ふるさと」公演を青年団主催でやって欲しいと、すすめにきたのだ。秀子の話を聞いた高志は、公演の費用が六五万円かかるため、青年団の幹部が揃う春になってから理事会をひらいて検討することを秀子に約束した。五月、桜が咲く遅い春。青年団の理事会がひらかれたが、公演費用に責任を持ちかねるという強硬な反対意見が出された。何度も理事会が行なわれ、意見の交換がくり返された。しかし、高志の「赤字になったら俺が牛を売って弁償する」との一言で、公演主催が決った。夏が来た。目標六五○枚の切符が、青年団全員の必死の活動で目標をオーバーするまで売り切った。公演三日前、会場に予定されていた中学校の体育館が、有料の催物には貸せない、と校長に断わられてしまった。急を聞いて秀子が盛岡から飛んで来たが、校長の答は変らない。秀子は遂に最後の条件を切り出した。「無料ならいいんですね」「勿論です」無謀とも思える秀子の提案。しかし、秀子は、自分達は金儲けのために芝居をしているわけではない、無料で公演するのは苦しいけれど、芝居を楽しみにしている人たちのために中止することはできない、と言って校長室を出た。今回に限り特別に許可する、という校長の許可を聞いたのは、秀子が校門を出てすぐだった。公演は大成功だった。千人を超える人々が集ってくれた。劇団員の歌うお別れの歌を青年達は泣きながら聞いた。八幡平に秋が来た。山肌は紅葉に色どられ、遥か彼方、岩手山の頂上には、もう初雪が白く光っている。
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