2009年6月18日木曜日

渡嘉敷流琉球舞踊


 交流会をしたので「本日中」に帰り着きませんでした。

 今、どこですか?永田町です。だったら、長男か次男のところに泊まってきたら?、いや貴方のところに帰ります、ワタシには第2夫人もおりません、とかなんとか言ってほうほうの体で帰り着きました。

 町の夏の祭りは“おぎおんさあ”(「御祇園様」)と言いました、商売繁盛を祈願したのでしょう。故郷の各地の町にありました。おさな馴染みのたけちゃんのお父さんが仕切って司会もつとめました。ご近所のエンターテナーでした。幼い時はずいぶんと大きな舞台だと思っていましたが、今訪ねていけば単なるご近所の小さな公園の空き地です。楽しみが少なかったので、夏の祭りは押すな押すなの大盛況でした。裸電球が並んで、みんなが描いた紙灯篭がずらりと飾ってあって、朝顔絵、武者絵、怪獣絵、いろいろなものがありました。

 あるときの夏祭り“おぎおんさあ”で琉球舞踊のみなさんが登場しました。当時まだ本土復帰していなかった沖縄からのお客様でした。隣の県とはいえ、もの珍しく、やんやの喝采でした。あのとき、あの人たちは何故来場したのでしょうか。記憶の彼方です。

 昨夜は比嘉さんたちのお陰で、都心のあらたまった劇場で琉球舞踊を鑑賞できました。

0 件のコメント: