2009年6月11日木曜日

魚食文化


売り場を歩いてこのところ魚の値段が安くなっているな、というのを感じていました。
魚は漁獲後、冷凍保管という形で在庫を積むことができます。その在庫がついに過多となり値崩れが始まったようです。投機の対象になっていたらしく「まぐろ」の例でそういう報道を聞きました。安くなれば、世界で魚を好んで食べるのはやはり日本人です。食べる「技術」や「感性」を持っているのは私たちでしょう。ただし混獲や乱獲で水産資源を後退させているのに変わりはありません。資源の奪い合いも起きているし買い負けもしています。

町から魚屋さんが消えて久しいです。で、あのような活気があるのは今どこかなと考えると、デパートの地下売り場かな、とあらためて思っています。スーパーマーケット(SM)の売り場ではだめだなと考えます。商品部の机上でつくった定番しか並んでいないからです。今日はどんな魚がそろっているかなという「わくわく」する魅力がないのです。価格の幅でしか売り場をつくっていません。そのこと自体は「(チェーンストアの)売り場づくり」の定石なのですが、季節の主要な魚の動向はあるにせよ自然の漁獲物で、価格幅に本来収まらないものです。ですから、活気ある鮮魚売り場がつくれないのです。本末転倒しているのです。魚のことが主であって、価格が主であれば、結局豚肉や鶏肉に負けてしまうし、せっかくの漁獲物が流通できず、挙句の果ては廃棄に等しいことがなされると聞いています。寺泊や那珂湊がどうのこうのという「専門店」も結局は同じことで、漁港の賑わいみたいなものはなく(そもそもその漁港に今は、水揚げは乏しい)、まぐろ、鮭、いか、たこなどのあれこれの定番が数多く並んでいるだけのように見えます。

いま、魚を買うならデパ地下の気の利いた売り場ではないでしょうか。いいものがそう高くはなく並んでいます。それにしても、小売の主流となったスーパーの売り場に魅力的な仕入れと販売技術がありません、だから魚離れは一層進む可能性があります。

ガソリンと一緒で投機が崩れた現象があるようですが、いずれまた高くなるでしょう。調理の腕前がある中高年層が買い支え、自ら食を楽しみつつも、次世代に繋ぐには、今がひとときのチャンスかもしれません。都市に住む人はデパ地下の気の利いた魚売り場を覗いてみたらどうでしょう。

現在漁師さんの数は20万人ぐらいで、年に1万人ぐらいずつ減っていっています。それで沖合、遠洋、輸入いずれもこころもとないのですが、いまのところ沿岸漁業は堅調だったのです。ただ、それを買い支える町の魚屋さんがいなくなって、スーパーも生活協同組合もまるで工業製品のようにしか仕入れることができません。今生きている人たちが普通に鮮魚を食べられるのはあと20年ではないかとテレビの番組で言っていたようですが、理屈からもそのように考えられます。
魚と言えば「冷凍(加工)食品」という時代になりつつあります。それだけでいいのでしょうか。

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