2009年6月10日水曜日

よし、フンバルフルト


私には地方に故郷がある。あまり幻想はない、つもりだ。
農家の野菜の無人販売、ほぼ100円均一。日阪さんに言わせれば「おばあちゃんの貯金箱」。あれで、馬鹿にならない。死ぬまでに300万円ぐらいは稼ぐ、葬式代は自分で稼ぐのだと。日阪さんは農家のために、家族の宿がテーマの「田舎や」の入り口に場所を提供してミニ共存共栄をしている。
4月にNさんが連れて行ってくれたのは、イチゴ栽培のハウス。品種は「さがほのか」、そのハウスの道路に面している一部分はイチゴの無人販売所。プラスチックの半透明のカーテンの向こうでは家族の人たちがイチゴのパック詰め作業に余念がない。イチゴのケースがあって見事なサイズのものが1パック350円、次のサイズが200円、少し小さなサイズでジャム用と案内してあって100円。料金箱があって、千円札や硬貨が無造作に、少なくない金銭が既に入っている。自分で計算していれて、必要であればお釣りをそこから自分でもらう。
無人販売とは信頼でしか成り立たない。「悪いことをする人はいませんよ」とNさんは言う。
私の故郷にはまだそれが残っているのだろうか。

人と人を繋げる、繋がりをつくるという役割を果たす。私たちの職場はそれでよいのではないかと「トキ」さんは、いつもの通りわかりやすくいう。「セカンドリーグ」と呼んでいる。セカンドとは三つの意味があると。ひとつは「モノ売り」から暮らし協同というもうひとつの事業だと。ひとつは、子育て、企業人としての「以外の生き方」という意味。もうひとつは、「お金」ではなくて「違う価値」というもの。そうか「二軍」ではなかったのだ、もうひとつの事業、以外の生き方、違う価値だったのか。なるほどだ。

大切なものをぶち壊してしまった社会になったという実感がある。こころある人たちはみな、そう思っている。主張を読み取ることができる。いろいろな方法、いろいろな立場で見直し、助け合おうということと繋がりの社会を取り戻そう、いや新たにつくろうという運動や活動、違う概念の「事業」がつくりだされている。それにしても「待ったなし」の社会的課題もある。逃げ出す、立ち止まる、ときどき踏ん張る。

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