2009年4月8日水曜日

お湯がいい


 かつて母は元気な独居老人として市のケアマネージャーさんたちの「注目の的」だった。身体を衰えさせないために自覚してよく歩きまわったからとくに目立ったようだ。そしてよく転んだ。独居がおぼつかなくなるようになってから、兄弟手分けして故郷に帰るようになった、それでも長男の責任からか兄は努めてよく帰り母に付き添った。兄も姉も60を過ぎても働いたから、さほど自由には帰れなかった。兄は資格をもっているから70を過ぎても働いている、そして病に冒された。
 私はどうせなら近隣の温泉宿に泊まろうということを始めた。それでわかった。我が故郷は温泉天国だった。歴史は古く由緒は正しい。
 町からバスが出ていたが、その昔はガタガタ道を遥か遠く山の方に行くようで、ひどい車酔いをする若いころの私には恐怖の行程だった。
 今では空港でレンタカー。あれほど遠いところだと思っていた温泉地がすぐ近くではないか。
 掛け流しは当たり前。むしろ捨てるようにお湯は湧き出ている。総じてアルカリ泉、つるつるしている。入れば肌を包み込むような感じだ。髭剃り後もローションは要らない。そしてもちろん全てのお湯が違う。その宿によっても個性が異なる。それが故に老舗の宿もいまだに続いている。
 レトロを感じさせる「高城(たき)温泉」、母方の父祖発祥の地。田園地帯にある「市比野(いちひの)温泉」、一時期は歓楽地として名を馳せた。県都から裏道の山を越えて一時間“奥座敷”として男どもが何をしていたか女の噂にのぼった。情報通の叔母の口にかかれば眉をしかめて尾ひれが舞う。再びさびれた。もともとは殿様も入りにきたという由緒ある土地柄。今はビジネス客の誘致も含めて営業努力をしている。母のホームが近いのでよくここに逗留する。「紫尾(しび)温泉」はやや奥地、いのししや鹿の肉を出す。ここら一帯は大昔、修験者たちの工房のあったところだ、中世の宇佐八幡などの分社とお寺の分院があり神仏習合がみてとれる。
 私たち町の人間には田舎の馴染みの保養地だった。だから母も叔母も老舗の名前はすらすらと言えた、「梅屋」「松屋」「みどり屋」「八重山荘」云々。今は今様に変貌を遂げた旅館、ホテルが繁盛してはいるが。
 田園地帯の中にあって、あるいは山腹にあって農家のひとびとの農閑期の楽しみであったことだろう。
 なにしろお湯がいい。伊達に何百年も続いていない。保証する。
 
 <画像は子供たちの母校の小学校>

1 件のコメント:

ハマタヌ さんのコメント...

なんか危なそうなコメントが入ってましたね(笑)。クリックした瞬間とんでもないピンク地帯にぶっ飛ばされそう。
さて、私の一族は父の代に鹿児島から出てきたもので、南九州には親戚が沢山います。ですから、親戚回りなんぞしようもんなら、あ~た、まるで温泉地巡りですよ。皆、鄙びたいい温泉です。

ひさしぶりに余情半さんの記事で思い出しました。行きたいなぁ!