2009年4月30日木曜日

手術の日


私は跳んだり跳ねたり、走ったりすると、すぐネをあげる。アゴがあがる。
その私が言う、「気張らんバ!」と。今日、かかとの手術をするUさんに。

「生きるの死ぬのではない」とは、私が愚痴をこぼすときに、この人からいつも言われた言葉。

心臓と脳に活力がある限り生きていける。仮に足に不自由が残るとしてもそれと付き合って生きていくしかない。

「今週手術でしたね。気張らんバ。男の子やけん。治癒回復を祈っています。元気な姿を待っています。」
「心のこもった激励、ありがとうございます。行って参ります。予定ですと5月下旬には再会できると思います。いずれの結果になろうとも肯定的に受け止めて生き方のチェンジ!をチャンスととらえて前向きに生きていこうと思います。」

Uさんは勝ち負けにこだわる。
30代で覚えたテニスが好きで「将来はウィンブルドン」と豪語していた。地域の試合ではいかに勝ち進んでいるかということを休み明けに私に自慢するのが常だった。
どうもかかとに違和感があると訴え診てもらったら足の中が骨折して破片がカラカラとしていたらしい。それでもテニスはできたから気にもとめず、むしろ鍛え方が足りないと思ったのか更にテニスを続けたらしい。
Uさんはこちらが世の窮状を訴えるときは耳が日曜日になり、自分が窮状になると切々と訴えてくる。それでいい。4歳も年上というのは学生時代だったら「神様」である。それでなくともこの人は少林寺拳法部のキャプテンを張った。普段でも眼光が鋭い。
「突然ですが、古傷がいよいよ限界になり右足首の手術をすることになりました。最終的には足首(ヒコツ)と膝から下の脛骨をつないで固定するようですが、これでは日常動作が不自由になるので、応急処置としてじん帯剥離の治療、余分な骨を削り整えることで様子をみることになりました。まあ、じん帯が剥離していてテニスの試合や練習をしていたのでしょうがないですね。この程度で収まってよかったと思っています。」とか。
「(ひざを痛めているので)二足歩行動物であることを私も実感しています。手術がうまくいくことと早い回復を祈っています。足の不自由が仮に残るとしたら、それと一緒に生きていくということしかないのでしょう。生き方のCHANGEでしょうか。」

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