2009年4月6日月曜日

自分の運命


 先週末は本土の南端にいたのに暖房が必要だった。だが、桜は散り始めていた。帰って来てモノレールから見る東京の光景は桜が満開だった。

 日頃、あと何回桜を観られると思うのか、働き尽くめではなく生きられないのかといった趣旨の憎まれ口を兄にはきいていた。検査入院とは聞いていたが、いきなり、転移していた肺をとった、それで退院し一月後には今度は肝臓の手術だと、帰省先の旅館でメールを受け取った。「お母さんをお願いします」とも。 ただ、まじめに働くことだけしか能のない小さい人間にどうしてこんなことが降りかかってくるのだろう。 、、、たまらない。

 この時期の本土南端の茶畑は美しい。くねくねしたスカイラインを抜けて、有料道路よりりっぱな広域農道に出れば、鮮やかな薄グリーンの色が広がる。新芽、新茶の季節だなと直感でわかる。その通り滞在中の4日土曜日には例年よりずっと早く新茶が上場された。量が多かったらしく価格は暴落した、気の毒だ。滞在中に新茶を求めて人に贈りたいなと思い翌日故郷のデパートに行ったが、店頭にはまだ並ばなかった。薩摩半島南部のお茶はおいしい。手入れが行き届き、ものが違う。

 母さんのことは以降、まかせてほしい、治療養生に専念してほしいと答えた。「医者に自分の身体を任せるのではなく、自分の身体は自分で直すしかない」とかなんとか受け売りの励ましをする。

 予約のとき帰りの日曜日はスカイネット航空という便しか空いていなかった。乗ったことの無い便に乗った。モニターテレビも無ければイヤホーンもない。シンプルだ、それでよい。たまたま、非常口座席だったのでスチュワーデスさんに緊急非常時は脱出の援助を要請された。「よっしゃ、まかしとけ」とガッツポーズで受け答える。そうだひとの役に立つことだ。乗務員が非常口を開ける間、他の客を制止することとか、つまり「皆の衆、あわてるんじゃねぇ、お待ちなせぇ」という役割だと想像した。他の客の脱出を助け見届けた上で自分は最後の方で脱出する、かっこいい、粋ではないかと膨らんだ。よっしゃ、まかしとけ。自分の運命も自分で変えよう、と考えた。
 <画像は鹿児島県知覧辺りの茶畑>

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