2009年8月13日木曜日

いも焼酎


 ようやく夏らしい日になった。お盆になった。通勤が楽だ。

 30数年前に第一次の焼酎ブームがおきた。大分麦焼酎「いいちこ」のCMは今でも好きだ。当時いも焼酎ではトップブランドの「白波」にのみ、このブームの恩恵があったように思える。焼酎ブランドの会社を経営する従兄の喬さんは既に会長職だったが営業に東京や関西をあっちこっち飛び回っていた。それで、私が東京に出張したとき都営バスの車体一面に広告が描いてあったときはたまげた。

 私は高校卒業後、地元で焼酎をどんぶりの蓋でやりとりをするようなバンカラをして「三日酔い」でえらい目にあった。その記憶があって若いときは遠去かった。ビールとウイスキーをもっぱら嗜んだ。日本酒も体質にあわなかった。というより、調子に乗って限度をわきまえなかっただけなのだが。大分県臼杵のふぐひれ酒は旨かった、いつも二日酔いになった。

 そうですか。桜島のところですか、そうしますと、お強いんでしょ。なんでしたっけ、いもでお酒、あっそうですか焼酎、いも焼酎。「現地」のかたはお強いんですってね。やっていただけます、かつお節、あっいや、おはら節♪。おっとっと。

 20数年前転勤してきて、都内でしゃれた飲み屋にいくとズラリと日本酒の銘柄が並んでいた。苦手なのでビールをたのむと何しに来たと言わんばかりの対応だった。どこの店も競ってそういう品揃えだった。それが、今では焼酎が日本酒に取って代わった。まるで「政権交代」「明治維新薩摩の天下」だ。いつだったか、日本酒の生産量が下降しつづけて、一方で焼酎のそれが上昇しつづけて交差した。たしか年間生産量の60万トンが境目だった。本物の需要が実感できた。「いも」と「焼酎」というイメージが「貧乏ったらしさ、みじめっぽさ」「おやじ」から、その抵抗感、偏見がなくなり、それそのもののおいしさ、文化というものが受け入れられてきた、と言う風に理解している。女性が嗜むようになって久しい。

 義兄は二人とも他県の人だが、アルコールをよく嗜んだ。別に強要したわけではなくて、いつしか我がブランドの焼酎を晩酌の定番とした。いちいち嫁の故郷から取り寄せるのは不経済で面倒だったから、ご近所のお酒屋さんに、美味いからこのブランドを置けと交渉したらしい。それは正解だった。個性が強い(いもくさい)ので、固定客がついた。聞いてみたら、東北の港町のAさんも同じことをしていたらしい。私たち夫婦、家族も芋焼酎を嗜むようになって久しい。

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