2009年8月12日水曜日

期待


 学業はできたようだ。「男尊女卑」、「立身出世」の時代的価値観の中で育ち、きっと母は「男に生まれたかった」に違いない。それが適わず、「いい大学を出て、そして・・・」ということで夢を息子に託した。それをものの見事に私は裏切った。あれほどプレッシャーを与えたひとだったのに、落胆せずに現実をあっさりと受け入れた(ように見えた)。

 大学を出て何とか就職ができて、さあ親孝行をしてくれると思ったらしい。そしたら一年もしないうちに結婚すると切り出した。“男はお嫁さんのものになる”と言って、本音はがっかりしたようだった。だが、この現実もあっさりと受け入れた。文句を言わせぬ私の態度もあったと思う。会ってみれば色の白い、背の高いひとだということで喜び、おっとりとした性格もお気に入りになった。最初に男の子が誕生してまた喜んでくれた。4時間の特急に乗って偶に孫たちに会いにきてくれた。博多駅に迎えに行った。今思えば60代後半でまだ若かった。

 平々凡々と生きてきた私にたいしてなんの非難もせず、母親としてありのままに受け容れてくれた。なんだ、そうだったのか。

 孫が長じて国家試験に合格したときには、ボケ始めてはいたがその“快挙”が理解できて大層喜んだ。“立身出世“を「子」ではなく「孫」が達成してくれた。ずっと以前だったら母は他人(ひと)に吹聴してそれとなく自慢したことだったろう。私自身は母の“期待”に反抗して何も応えなかった。

 意識がしっかりしていたら、この数日のその孫の雄姿を母に見せたかった。親バカちゃんりんの私はあっちこっちのチャンネルをひねって目を細めている。

 今現在、母は酸素マスクをして一生懸命に生きている。姉がついていて、おばあちゃんに会いたいと姪っ子夫婦が明日は駆けつける。

 そしてビルのなかで、私はもくもくと仕事をこなす。目から鱗をはがしながら、手のひらを返さない生き方を這うように追い求めて行く。

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