2011年3月25日金曜日

悲しみのサンドイッチ


 日々刻々と変わっています。

 小泉さんが弱体化させた日本郵便もレターパックでは健在です。21日に5個送ったレターパックが翌日の朝には着き、それは一部だったようでバラバラに着いているようです。向こうは毎日届くのでより一層感激してもらっているのですが、うれしい誤解です。着けばいいと思っていたのですが、レターパックは速達扱いなのでこんなときにも早く着きました。「良いお役所仕事!」たいしたものです。義兄たちは市役所の施設の一部に避難しているので移動しなければならないのかと想像していますが、身軽にしなければいけないためストップしてくれと言って来ました。通信が回復し助かっています。郵パックも局留めならば被災地に届くようです。
 気仙沼市内の一部、被災しなかったところは水・電気が復旧しつつあるようです。もちろんまだら模様で、詳細はわかりません。姪が看護士、その夫が介護士で被災のその日から奮闘しています。二人とも車で行く距離を歩いて通っています。

 当日はこの若い二人も九死に一生を得たことを知りました。生死の明暗を分けたのは紙一重だったことがわかってきました。とっさの判断、行動、そして運。犠牲者の中に、我が身の長い人生の経験(ごとき)から津波を甘く見、動かなかった人、逃げなかったひとたちが多勢いることが判ってきました。「昭和の津波でも、チリの津波でもたいしたことなかったぁ、だいじょうぶだぁ」というやつです。「陽子めっ!」(母親の名)とつれあいはつぶやきます。悲しみと怒りと悲しみのサンドイッチ。残された義兄も兄嫁も姪っ子の夫もじいちゃん、ばあちゃんを助けられなかったと悔いているようですが、むしろそのことの方をこちらは最初から心配しています。このたびは一族が被災したので、消息を確かめ合う絆、とにかく生きのびさせる方策をみんなで助け合う姿、それを目の当たりにし、感じています。ありがたく思っています。ましてや、他人の温情が身にしみます。

 私たちが模索した限りでは被災地に行ける状態にはなく、また、仙台あたりの親戚からも来られる状態ではない、待て、ということが続きました。刻一刻と変化しています。ようやく、花巻まで行けるバスの席を確保できました。それも来週です。長男も仕事を開けて一緒に行けるというので3人で往ってきます。

 最初メールを送ったら「誰ですか?」と訝しげな返信を送ってきた姪も、今では絵文字入りで「届きました!」とか、「明日を生きよ」「頑張れ」と伝えれば「ハイ、頑張ります」と返ってきます。

1 件のコメント:

ありんくりん さんのコメント...

お見舞いありがとうございます。届きました!

いつもいつも貴兄には助けられます。感謝の一念しかありません。

こちらはあいかわらずの状況ですが、なんとか来週にでも突破口を見いださないとと考えております。といってもなかなかいい案がなんいんですが(笑)。