2011年3月23日水曜日

もん

今日の今日まで安否がわからなかった。
気仙沼の市街でつれあいの実家からは歩いて行ける距離だ。中華料理屋を営む。高校を出て家業を支えた。婿を迎えたと聞いていた。
あだ名は「もん」。
つれあいの同級生で仲のよかった友達。
結婚のあいさつに行って「こんないいだんなさんと一緒になってぇ」と初対面で言われた。
あふれかえる悲劇がとびかう。
場所柄、津波をまともに受けたはずだ。
10日を過ぎてもずっと行方がわからなかった。ほとんどあきらめていた。
パーソンファインダーを今朝開けてみて目を瞠(みは)った。
なんとかというお寺の避難所の名簿にあったという確認情報が書き込んであった。
同姓同名の間違いでなければという断り書き付きで名簿そのものも掲示してあった。
今晩、つれあいと一緒にもう一度確かめたら、お子さんと思しき人の名も掲載してあり間違いではないだろうと確信できた。
よかった。生きていたらしい!

生死を分けたのは皆紙一重であったことが、被災地からの知らせでわかってきた。

万一のことに考えが及び、あのとき訪ねておけばよかった、あのとき一緒に写真を撮っておけばよかったと要らぬ後悔をした。だから、今度落ち着いたら、訪ねていき抱擁し、一緒の写真を撮っておこうと思う。もっとも、もう万一のときのためになんてまっぴらごめんだけれども。生きているうちに、生きている人と会い、せいぜい馬鹿言いあっておこう。精一杯生きておこう。

何も死ななくてよかったばあちゃんとじいちゃんの教訓のような気がするよ。

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