2011年3月24日木曜日

無「計画停電」


小さいころ実家は水道を引いておらず電動ポンプで地下水を汲んでいたので停電になれば、明かりがつかないこともそうだったが、水が出でなくなることが一番難儀だった。そして回復して部屋にパッと明かりがともり、蛇口から水が出たときのうれしさはひとしおだった。とうちゃん、かあちゃん。ねえちゃん家族みんなで顔を見合わせた。停電は頻繁にあったものだ。

職場で聞いてみたら「計画停電」に遭っていない人がほとんどだった。不公平だという噂がこの近所ではとびかっている。

今日は確か4回目の停電だった。夜は2回目だ。我が駅に着いたら駅以外は真っ暗だ。いつもは道を照らしているのかいないのかわからない我が自転車のライトが頼もしい。見直した。我が家の方向は駅から南に向かうので遥か東京と思しき方角の空は明るい。が、目の前はまるで田舎の畑の中にいるように暗い。市境に住んでいるので茶畑の向こうに見えるあたりのビルは煌々と明かりが点いている。隣の市の方向だ。やっぱり不公平はホントではないかと疑心暗鬼になる。家に帰って停電がわかっていながら、ついリビングの明かりのスイッチをパチンと押してしまう。蝋燭は高い位置に置くと照らす範囲が広がるのだとあらためてわかった。「キャンドルナイト」の企画で買った、さも頼もしげな太い蝋燭が明かりをとるには少しも役に立たないことが判った。高いだけの代物だった。それに比べてお仏壇の灯明用の安い蝋燭の方が実に役立つことを実感した。明かりがとれて、それで夕食をとる。手持ちぶさたで、またテレビのリモコンを手にとってしまい、あっと思い出す。じゃあ、CDでも聴くかと考えるのだが、これも電気だった。

そうこうしているうちに、突如インターフォンがピンポンとなる。宅配便かと反応して受話器をとり返事をしてしまうが、実はそれが通電したときの現象。電話兼ファックスがガガガと動き出す。電源が入ったときの反応だ。もう少し長く停電が続くと思っていたので拍子抜けする。オール電化などもともと考えてもいなかったけれど、そうは言ってもすっかり電気に頼り切った生活をしている。

停電をやむをえないこととは受容するが、いまひとつ公平に、そして弱者に弊害が及ばぬよう丁寧にやってほしい。節電は信条であるから平気だが、あらためて個人および社会的生活を見直したい。
冷え込みが厳しい。

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