2010年3月23日火曜日

噛みしめる、楽しむ


 血圧や中性脂肪がどうのということがあったので、体重も増えないようにとご飯茶碗とお弁当箱を小さくして久しい。もう慣れた。自分でつくれば?といつも言われるがガンとしてつくらない。このことに関して我が家に男女同権は無い。「つくる人」を押し付けている。職場周辺ではお弁当は500円が相場だ。お昼を外でとれば900円はする。と言えば、わかった、つくるからとつくっていただいている。早く出るときは6時前には起きてもらう。だから、弁当の中身がどうのと文句は言わない。そもそもおかずがどうのこうのというのはナントカの風上にも置けないという風に育ったので、(たまにしか)言わない。

 もっと咀嚼をすべきだと考えている。玄米食にしたときは覿面(てきめん)だ。消化していない。昼のお弁当もほぼ10分で食べているな。夕食だって早食いのようだ。食べ物という命をいただきながら、ほとんど身体を通過させている。感謝めいた殊勝なことを言っているが、いい加減だ。つくってくれた妻殿にも悪い。噛めば消化にもいいし、顎にもいい、なんといっても味わいがわかるし、人としての品が備わるはずだ。

 だめだ、犬食いだ。ときには片方の手も出さずに行儀も悪い。まるで追い立てられるように、しかもたくさん食べようとする。なにか、飢餓の遺伝子でもあるかのようだ。そのせいにしてはいけないのであって、自らの努力だ。ゆっくり噛みしめて談笑しながら。だめだ、そう思っていながら目がテレビの方向を観ている、ひとの話を聞いていないときもある。そいう意味では、順々に出してくれる懐石やコース料理はいいものだ。もっとも出されるやいなや、全部たいらげて「次はまだですか」という顔をしてはいるが。

 噛みしめる。そういう意味では人の話もそうだ。読書もそうだ。飲み込もうとしているから、結果的に消化していない。内容を覚えていない、自分のものになっていない。人生を変えなくてはと考える態度のひとつだ。人生と味をもっと楽しめるはずだ。でも、味は素材と「出し」だな。この前つくづくそう思った。

2 件のコメント:

ゆっきんママ さんのコメント...

飢餓の遺伝子は気が遠くなるほどの年月の中で組み込まれているらしいですよ。
だって飽食なんてここ何年かの話ですもの。
仕方ないんです。
って言い切っちゃったら食育の意味が無くなってしまうけれど・・・
地図が読めない女と・・・
話を聞かない男・・・
ですね♪

余情 半 さんのコメント...

人はお母さんのお腹のなかで人固有の進化の歴史を足早に遂げて生まれ出てくるそうですね。必要最小限の栄養ですむところを今は身体に栄養を貯めておきたいという強迫観念そのままに吸収している「生物」然として生かされているのかな。それも「ありのまま」とも思うのですが、それではまた「自分というものがない」な、などと難しいことをああでもないこうでもないと考えているような次第です。遺伝子の問題ではなく、人間としての修行が足りていない、ただそれだけではないかと隣にいる同居人に言われています。大事なことをはき違えているのでは、とも。