2008年12月23日火曜日

ささえることが必要だ

 昼休みはできるだけ歩くことにしている。だから近辺のあっちこっちを知っている。

 陸橋の上で突然、若い女性に真正面から呼び止められて一瞬身構えた。「○○院大学はどこですか?」という道案内を請う問いだった。高層ビルをもつ大学で知っている、おやすい御用だ。陸橋おりてってまっすぐ行ってガード下くぐって大きな通り、明治通りに出たら右に折れ、またまっすぐ行ったら“希望”が見えて来る、あっチガッタ、その大学の大きなビルがみえてきますよ、と答えた。人の役に立つというのは気分のいいものだ。

 ビラを受け取った。
 ターミナル駅南口のモヤイ像の前で「労働・生活緊急相談」をやっていた。首切られた派遣労働者たちの生活支援に立ち上がる人たちもいる。あきらめないで、と。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今回の記事を読むと思う。今、ほんとうに新たな意味での「労農連帯」(死語)がいるんではないかと。

今さら私は筵旗も赤旗も立てる気はない。しかし、歴史的に都市の余剰労働力を真綿が水を吸うように支えてきたのは農業なのだ。都市労働者諸君、農業に来ないか。

農業は人は足りない、人材不足なのだ。高度成長期の逆をすればいい。都市から農村に。
ぜひ「あきらめる」前に農業の可能性を考えてほしい。