2008年8月12日火曜日

上野発で上野着の夜行バスから♪

 都市と山村との共生?東京の上野駅から群馬県の上野村を直行バスで結べばどうかと会場から提案があった。思わず表題のように口ずさんでしまった【津軽海峡冬景色風】。

 国道299号線はどうやら我が町あたりが起点のように思える。飯能に行き、秩父に通じ、さらに奥秩父の山を越えれば群馬県の上野村にまでたどり着く。またさらに進めば、十石峠というところを越えて長野県の佐久地方に出る。子どもの友人の両親がそうやって帰省していたのを思い出す。
 
 また「秩父事件」の一舞台でもある。戦いに敗れた困民党の有志は十石峠を越し再起を期そうとしている。実際にそうした。
 
 十石峠の「十石」とは、米のとれぬ上州側の山村に信州佐久の米が日に十石送られたことから名づけられたらしい。ここは江戸時代、天領で鷹狩りの巣鷹を献上していた。
 
 さて、上州側の山村、上野村のことであるが86年の日航機墜落事件の御巣鷹山のある村である。そのころ私はまだ九州にいて、いったいどこにあるかもどんなところかも想像がつかなかった。ひょんなキッカケでそんなところを訪問する機会を得た。


 前に居並ぶ30数名のお歴々に「ちょんまげ」「結い髪」をかぶせれば(ご婦人もいた)などと想像しながら聴講してしまった。

 著名な「先生」と呼ばれる毛深い思索先生を中心に、この在を束ねる大庄屋様(スポンサーである)、はみ出し気味の幕府各奉行所お役人、甲州醸造家、紙漉き商人、昆布や牡蠣を育てる奇特な鉄商人、伊賀の成功お百姓さん、お江戸昌平校の教授、庄内の林業家(元は奥在の寺子屋の先生)、勘定奉行与力、起業支援家、元箱入懐紙商人&お役人親子、神主の参議さん、森林奉行配下与力、越中お役人、なんたらかんたら相談人、年貢鑑定士、伊予世話人、代役のお医者様などなどヘンな人であるとかないとかという人たちが居並んだ。
 
 お江戸でもなく大坂でもなく、上州上野村に集い、銘々「思い」を述べた。なんのため?「これからの日本はどのような社会をつくったらよいのか 日本のこれからの哲学を上野村で語り合おう」というのが主催者側の案内であった。そして「あらたな多数派の形成をめざす」のだという感じだった。
 
 銘々が「キーワード」を提示して所見を述べた。いわく「多様性」「個」「結びつき」「扶助」「認めあい」「身体」「再生」「感性」「祭り」「聞く」「農」「磨く」「自立」「貨幣、お金」「地域(ローカル)と世界(グローバル)」などなど。
 
 これらの言葉を否定形「○○が無い」とすると現代社会が見えてくると思索先生。「疲弊が進んだ」「さあどうするか」まとめるでもなく、深まり収斂するままに「思いが通じるような」そんなような2日間(8月9日~10日)にもわたるシンポジウムであった。
 
 「第1回」と会場では銘打ってあったので思索先生は困惑気味だった。
 
 初日に、会場側のご婦人が感激された旨の発言を、南国人かと思われるほど熱く述べた。この村の出身で近く永住する(帰ってくる)との前置きがあって、会場を振り返り、この村の人の挙手を求めたが幾人もいなかった、それもまた実態だった。
 
 静岡からきた「中山間地」の農民であるという人は、「食べて行けない」、そして「消費者はお金があっても食べられなくなる」と発言された。私にはこのことが、この集いの「どのような社会をつくったら、多数派の形成」の焦眉のテーマではないかと思ったのだが、さて・・・。

 コーディネーターや居並ぶパネリストの有様が‘ちょんまげ風’に見えたのは、「志民」とか「志民による連携」と表現するパネリストがいたが、幕末の「尊皇攘夷」にみられる幕藩体制への下からの変革の流れ、そして尊王開国でできた明治専制政府への自由民権の下からの抵抗と変革の潮流、そういうものを連想したためだ。思索先生のおっしゃると通り、これらを担った人たちは「余裕のある人たち」だった。ただし彼ら先達は政府に堂々もの申した。

閑話休題:
 上野村は1,500人ぐらいの人口で150人ぐらいが移住してきているという。帰りに木工品の作者の何人かにお会いしてこういう人たちが移住者であるという一端を窺った。手にとらせていただいた竹細工につけてあったのが45万円の値札だった。我が妻どのはすかさず臆することなく「何故そんな値段なのか」と訊いてしまい、案内していただいた作者先生が、品の裏を返しこのように細工してあり、いかに手の込んだものであるかを丁寧に且つ尊厳をもってご説明いただいた。つまり実用というよりも芸術品ではないかと理解した次第。さすがに退けた。

 数年前に訪れた旧神泉村を想起することしきり。ちなみにそこはここを流れる神流川を下ったところにある。三波石が美しく、山で採れる水の美味しいところ。
 
 同行いただいた(というよりも連れていっていただいた)人たちにお世話になりました。
「さしみナス」と表示してあったナスを買い求め、わさび醤油でいただきましたがイケました。

 九ちゃんをはじめ、日航機墜落事件の犠牲になられた人たちの無念を思い、ご冥福を祈ります。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

野性のトキさんのほうでもよみましたが、実に面白い試みですね。上野村というのですか。1500人で150人の入植者か・・・すごいなぁ。うちの村なんか、1万3千で、10軒くらいだもんな。
農業生産そのものより、むしろ工芸に行けるのが帰って都会の若者には魅力なんでしょうね。うちの村に来るともろに農業生産に直面してしまうから。
困民党は大分前からのめり込んでいます。そのうちブログでアップします。

匿名 さんのコメント...

こんにちは♪
夫の友人の奥さまがこの事故で亡くなられました。結婚まもなくで、お腹の中に赤ちゃんを宿ったばかりでした。
その後、友人はずっと独り身を通し・・・
奥さまのご両親は事故後しばらくして離婚されました。
残された家族の深い深い悲しみ・・・
癒えることはないのでしょうね・・・・