2008年6月24日火曜日

鉄の軌道

はじめて沖縄でモノレールに乗った、建設中は見ていたが。便利になった。
大昔、県の得意先のメンバーみなさんと会議があれば労働会館だった。那覇の入り口みたいなところで、空港からは近場のためタクシーの運転手さんに嘆かれた。「3時間待って・・・」。

戦前、「ケービン」と呼ばれていた鉄道があったそうだ。あちこちの資料展示で知った。かわいい鉄道だったそうだが、全長約40km、各地に駅があり民生上の足になっていたそうだ。

以下はTBS「NEWS23」での報道(23日)。
戦時中、軍事輸送に使われた。44年の時点で、どうも作戦上南部戦線を敷くことを軍はすでに考えていたようだ。中北部にある兵器弾薬を、人を運ぶのが精一杯のこの軽便鉄道を酷使して運んだ。そして44年12月にその事故は起きた。弾薬であることがわからぬように被せていた乾燥サトウキビに火が燃え移ったようだ。上り坂で機関車からでた火の粉だったのかもしれない。火薬に引火し爆発炎上。悪いことにその現場付近のサトウキビ畑に隠蔽してあった火薬にまで引火、火の海になったらしい。兵士、乗客200人あまりが巻き込まれた。沖縄守備軍の武器弾薬が半減した大事故、軍の大失態だったらしい。軍事機密として厳しいかん口令が敷かれたらしい。「対馬丸」事件と同様である。以後、沖縄守備軍長参謀長の厳命によって武器弾薬の厳しい管理が軍内部に通達される。したがって、住民に手榴弾が配られたという事実は軍の命令なしにはありえなかったという。戦闘を前に慶良間諸島ではそれが実施され悲劇的な集団自決が起きている。

昨日のブログでとりあげた大城さんのことも、ご本人の証言活動の姿、および本の編著者大田昌秀さん出演で紹介されていました。

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