2008年6月8日日曜日

職場への道


 通勤路は何本かある。私鉄2経路からJR2経路の道。乗り換え2回。ターミナル駅を抜ける。どの経路にするか、初めのころは迷った。

 10年以上前に先に値上げされて運賃を余計にとられ、その資金で整備され、今でこそ複複線化しつつあるが、関東に引っ越してきたころは大変だった。当時の赤羽線なんか到着の電車から人が降りてくるのを傍で見ていたら、映画「人間の条件」の貨物列車に詰め込まれた中国人俘虜たちが列車の蓋が開き放り出されてくるようなシーンすら想像した。すごい混雑で、時差通勤も普及されておらず、定刻にはぎりぎりでしか職場に着けなかった。今ホームドアの普及が始まりつつあるが、よく落ちた。ときには酔った人がホームから落ちて、それを助けようとした人まで電車に轢かれてしまったという悲劇もあった。新大久保駅の事件がそれ。異国の地に散った息子を嘆く韓国のお母さん(オモニ)も、もうひとりの中年の方も気の毒だった。職場の先輩(転勤してきたときの上司)もおおきなターミナル駅で転落して亡くなった。事故なのかなんなのかわからない。強がっていたけども出世からはずされて寂しそうだった。独身だったのでお母さんだけがとり残された。一緒に仕事をしていたころ酔っ払って転がり込んで泊めてもらったこともある。お正月にはうちにも遊びにきてもらってうちの子は多いのにお年玉までいただいてしまったこともある。「大我社主義」の人だったけれども、人が良すぎて悩んでばかりいた。「人身事故」を聞けばいろいろな事情があっただろうその人のことと残された人のことを思う。とにかく多い。それなのに、電車に乗っていればあまりにも日常茶飯事で、麻痺している自分に気付く、「ちっ、また遅れか・・・」っと。つらいものだ。
 
 往復3時間、昔はラッシュ時の急行に乗ったら最初に挙げた片足が到着するまで降ろせないほどの混雑で、人生のなかでそれほどの時間をとられるのはばかばかしいと思っていた。あがいていたが22年でさすがに慣れた。すし詰めは緩和された。ターミナル駅も急ぎ足ですり抜けられる。早朝に家を出て途中から始発電車に乗れるパターンもできた。ぐっすり寝るか、本を読むか、ものを書くか、時間が使えるようになった。前はこの時間の使い方を仕事のために使っていたからいつからか調子がおかしくなった。病気を経た後、まずこれをやめた。帰りも明るいうちにさっさと帰れば、ターミナル駅は始発なので帰りも苦痛ではない。それでも1時間半、有効に使おうと工夫するようになった。定期がなければ往復に2千円近くかかる。60過ぎて「シニアパート制」で勤めを続けているまじめな先輩たちがいる、しかも遠方から通勤する。仕事をやめるというのはつらいのかなぁ。お江戸に出てこないのは寂しいことなのかなぁ、とわからない。ベテラン技能はまだ重宝だ。

 このたび新しい路線が追加され、ダイヤ改正される。途中駅からは乗り換えなし直行便。さあ、またちょっと迷ってしまう。

 (「くたねこ」という。つらいとき三男がどこかで探して買って来てくれた、ちょっといい匂いがするにゃん)

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私もリーマンだった頃は往復3時間かけていたっけ。二日酔いの出勤が地獄だった。帰る時も酔っぱらって、小田急の終点の箱根湯本まで行ってしまったこともある。箱根湯本ですぜ。交番に泣きついて、安い宿を斡旋してもらった。

今は職場まで0分。職場の中に住んでいる。これもこれで仕事が切れないので善し悪しはあるが、遅刻はない。

匿名 さんのコメント...

箱根湯本はまだちょろい。姪御(姉の子)は日本橋の大手卸に勤めていて、東海道線を乗り越して静岡あたりまで行き、まだ酔っていたので、帰りとは逆方向に乗ってしまい滋賀県まで行ってしまったとか。翌朝新幹線で出勤したらしい。若い身空のころ。大酒のみで武勇伝しきり、けろっとしている。いや、それは故義兄の方の血筋。このたび懐妊して目出度く初出産、授乳中なので禁酒は続けているらしい。その能力を活かしてソムリエの資格をとった。

野生のトキ さんのコメント...

通勤は、本当に大変ですね。
荷物だったら、あんなに短時間であんなにたくさん入らない。

人間だから、自分で乗って自分で吐き出される。

旅客飛行機を日本人が最初に開発しなくて良かった。満員飛行機で吊り輪におつかまりくださいと言われたどうしようかと考えた。

または、船の船室のように、ゴロゴロと雑魚寝というのも情けない。(佐渡汽船)

もっと、移動手段に人間を大切にしてほしいものです。
朝、革張りの肘掛椅子で、モーニングコーヒーくらいサービスしてもバチ当たらないと思うが。あと、100年は無理かJR。