2008年6月7日土曜日

30分の田植え


梅雨の晴れ間、昨日今日雨が降らなかった、多少暑くなった。
ある個配システムで“看板商品”の「バケツ稲」を買ったので、初めての“田植え”。
苗セット(1束&肥料)298円、土6Lで504円。はは。
秋には茶碗1杯分の玄米ご飯ができるらしい。よくできた「手順書」に沿ってやってみた。

そういえば、同時に忘れたころにやってきた「回答書」。
紙の「ひとことメール」では不便だ(月の企画第4回目にしか用紙がない)。とても便利なインターネット注文ができるところだから、意見や苦情もインターネットでリアルタイムに提出できるようにしてほしいという趣旨だった。その「ひとことメール」のメモを提出したら、センターからすぐ電話連絡がきて、そういう意見を上げておくということだったから、そうではなくて文面で回答してほしいとお願いしていた。回答は結局やるんだかやらないんだかよくわからない「さすが」の文書。ただ、相手にしてもらっているだけよい。商品の苦情を電話で連絡すると返金か返品で解決される。そういうことだけではないことがある。
規模からすると苦情の数が同業他社に比べて異様に少ない、以前からそう勘繰っている。やりかたはいろいろあるのだろうけど、不思議だ。普通に利用している人が意見や苦情をあげるのを「あきらめさせている」「不便にしている」のではないかなぁとか。

事件後、カイゼンを始めている。
我が参謀達、司令官たちに「苦情を減らそう」それと「外注化」という発想がある。
事故や事件に起因するものは当然減らすべきである。そのために根本的な対策をとるのはあたりまえだ。が、苦情そのものを減らそうとする発想。官僚的だ。
苦情に対応している現場からいえば、杜撰な仕入れ、無理な企画に本質のひとつをみている。針小棒大なコピー、安売り、大量販売、不似合いな品揃え、調達の無理、製造現場への無理、不正、そのズレやスキマにたいして見る人はみる。かくして苦情は発生する。期待の裏返しでもある。
これに対応し、その声に応えられれば存在価値そのもの、我社我がグループらしさ、財産があるといえる。それで輪をひろげてきたはずだ。
100万件あってもひとりひとりの表現、思いは違う。同じ事案であってもまずは個々のご指摘に正面から答える。その現象と対応は同じなので類型化はある。件数が多すぎる、現場が大変だからといって平準化、外注化してしまえば、こたえ、対応はいつも同じ。「処理」となる。内部的には派遣の方への肩代わり、仕組み的には今様の沖縄か中国東北部のコールセンターへの下請け化だろう。この人たちには一生懸命に忠実にやっていただけるだろう。が、そのこととは関係なく、「迅速、丁寧、愛想がいいだけ」、「マクドナルド」と相成る。

意見、苦情は増やすのである、それによってもっとアクティヴ化するのである。そしてどんなに大変でもひとつひとつに対応するのである、職場全体が。それがなければ、お客様はあきらめる、こころが離れる、あってもなくてもよい存在となる。我社我がグループの成りはでかくなってもこれからじゎっと体力が落ちるだろう。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

作る側にとって、特に農産品の場合に困ることは、いとも簡単にセンターが謝ってしまい、原因がなにもわからないうちに返金措置をとってしまうことです。

これをやられると、生産者側はまともに事故報告の回答をつくる気がしなくなります。おざなりなとおりいっぺんのものになりがちです。そりゃそうでしょう、原因が特定できないうちに、勝手に返金措置をとられれば。

私のグループでは、ぜったいに原因が特定できないうちは謝るなと強い申し出をし、商品窓口にクレームの起こりうる想定問答集を配布したことすらありました。

それでも、近年の職員のリーマン化により、おざなりの対応が続いています。商品を何も知らない職員など珍しくもないのが、こちらからみた状況です。

匿名 さんのコメント...

「ざなりの対応」のところには本音を言えと迫り、何故「ざなり」にしたかと問います。対話を開始することが大事です。
「れんところではない」という所にはとにかく聞けといいます。振り返れといいます。対話を閉ざすなということです。