2008年6月9日月曜日

まさかの


車内放送で「急停車をする」という間も無く、電車は急ブレーキをかけた。そのときドシーンと鈍い音がしたのをたしかに感じた。踏み切りを越したのが見えて、急停車した。まさかとは思った。「人身事故を起こした」という再びの車内放送。先頭車両に乗っていたので、まさしく真下か周辺での進行形のできごとだった。車内に閉じ込められたままでいた。すぐにパトカーがきて消防車が数台並んだ。いよいよストレッチャーが用意され、覆いがされたが、車内から斜め下に見えた。白髪のご老人だった。おりからの雷雨。昨日あんなブログ書いたばかりだった。

鈍い音はたしかにあのときもそうだった。私が到着して入れ替わりに父がお呼ばれの叔母の家をあとにしたとき、その音がして叔母がすぐにおかしいと言った。国道で父はオートバイに跳ね飛ばされていた。そのときのことをそれぐらいしか覚えていない。外科に運ばれ、頭や腕を骨折して包帯にぐるぐる巻かれ、氷を魚屋さんから買ってきてとんとんとんとん割ったのを覚えている。最初は「うわ言」を言っていたが、まもなく昏睡状態になった。ほんの一瞬、意識がもどって何か言いたげだったのが最後だった。お正月過ぎの震えるようなときだった。事故の4日後には亡くなった。あと2日で私は13歳になるときだった。そんなことを思い出してしまった。にぶい音。のことをからだが知っている。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

つらい経験をなさったのですね。

野生のトキ さんのコメント...

新潟中越地震のとき新幹線に乗っていた。

突然、車内の照明がバタッと消えた。
おかしいな、電気の切替ポイントかな。
と思った瞬間、まるで線路に石ころをおかれたようにガタンガタンと激しく飛び跳ねた。

完全に、脱線転覆すると覚悟して前の座席に防御姿勢をとった。生きたここちがしなかった。

やがて、脱線せずに止まった。
一安心。

すると、架線橋がふわりと持ち上がり、斜めになった。すぐ、今度は逆に倒される。
これは、橋脚が折れるなっと思った。

大地震と気づいたのは、揺れが終わってしばらくたってから。なんだか分からなかった。

人は、何が起きるか分からない。
いつ、巻き込まれるか分からない。

ご冥福を祈ります。