2008年11月18日火曜日

「さら戦」映画祭鑑賞記Ⅲ


「さらば戦争!映画祭」は4年目だった。

ゲストトークの西本治子さん(長崎の被爆者)が壇上にあがったとき、初めて観た今日の映画にショックを受けた、自分を見失ったとおっしゃっていた。今まで「ゲンバク」を見たくなかったと。これは8085本安打の金字塔的記録保持者の張本勲さんも広島の被爆者で、同様のことを最近発言している。8月6日も9日も忌まわしい記憶で、怖くてと。今年初めて長崎原爆資料館、広島平和記念資料館に行ってみたそうだ。そして発言を始めている。西本さんも「何か言って死んでいかんば、一人でも、小さい声でも訴えてやろうち思うた」とおっしゃった。聞き手は弁護士のTさん。

そのときどきだったり、断片的であったりした私の原爆の実相のとらえ方が、ドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」(07年、スティーブン・オガサキ、アメリカ)によって、より深くなった。腹に落ちた。製作に25年かかったそうである。

1945年7月16日初の原爆実験。

「はだしのゲン」の作者中沢啓二さんが14人のヒバクシャの証言者のひとりとして登場する。「6歳だった、鮮明に覚えている」と。
他の人の証言。
「まず、死体からどかさなければならなかった」(これは沖縄の南部でも聞いた)

ヒバクシャはその後を生きなければならなかった。
生き残った人も医者が経験したことのない放射能による後遺症。差別。
「死ぬ勇気と生きる勇気、妹は前者を選び私は後者を選んだ」という壮絶。
西本さんは戦争でいいことはちっともない、と。

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