2011年2月22日火曜日

維持できにくいこと


 まるで発掘作業のようだった。
 長男が使用していた学習机を今は私の机にしている。ただし、ここで本を読んだり、書き物をしたりしたことはない。ただここに日々の資料や本などを置いて積んでおくだけだ。引き出しも詰まっている。近づくことさえ恐ろしいところだった。捨てることをしないので大事なもの(と思っている)は全てここにあるはずだ。いや、ホントに大切なものは茶の間の周辺にまで置くようになっていたので、とにかく片付けろと日々、毎日つれあいに抗議されていた。

 いつかの土曜休みの日に、一念発起、朝から晩までかかって、整理し分類し必要なものはファイルした。いろいろな案内は“賞味期限”がとうに過ぎていた。どこに行ったのかと気になっていた資料はここにあった。半分ぐらいはゴミの山で分別回収にまわした。日曜日の朝は女子リトルリーグの資源回収の日だったから。お向かいの若夫婦が父兄としてやっている。

 私は積ん読、とっとく方だ。それでホッとしている。一番大事なことは、頭に入れて理解して、そして行動がとれることだと、頭ではわかっているのだけれども、それができない。それで、何でも捨てないでとっておいて安心している。

 つくづくダメなやつだと自覚している。

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