2010年12月9日木曜日

併合100年 Ⅲ


 朝鮮半島のこの100年。朝鮮半島の人々にとっては日本の植民地支配に始まる。韓国「併合」は幕末の国学思想に源流を発し明治維新後に政権内で白熱した「征韓論」の歴史的完成版ともいえる。

 11月23日に北朝鮮は韓国の民間人居住区を砲撃して人を殺傷した。米軍原子力空母ジョージ・ワシントンを中心にした軍事演習が黄海や東シナ海、日本海、西南諸島沖で続く。ミサイルの安全装置ははずされているから演習はそのまま実戦に突入できる。それを目の当たりにする仮想敵国にとっては脅迫(少なくとも威嚇)されているにも等しい。それぞれ米韓、米日の合同演習というが、米日には韓国軍将校もオブザーバー参加している。事実上の米韓日の軍事同盟化だ。北朝鮮の砲撃による民間人の犠牲、目と鼻の先での大掛かりな軍事演習、まかり間違えば一発触発だ。

 朝鮮半島での緊張を日本列島の空気は文字通り対岸のことと受け止めながら「もし、北朝鮮が追い詰められた挙句、ミサイルでも打ち込んできたらどうするのだ」ぐらいのことしか考えていないように見える。我が身よければのことしか考えていないような論調だ。だからアメリカに守ってもらおう、今こそ日米軍事同盟の強化、アメリカの機嫌を損ねてはならないという卑屈な根性を発揮している。軍事同盟・アメリカの核の傘に居ようとしながら、そのことは有事の当事者になることにも通じることなのにひとごとのようにピンときていない。

 中国外務省の姜瑜(Jiang Yu)報道官は「自国の保有する兵器を振りかざして国力を見せ付けようとする国々の措置が認められているのに、中国が 提案する6カ国協議の緊急会議の開催は非難されている」云々とこぼす…(12月2日)。彼女の髪型と眼鏡がお洒落になったなぐらいしかみておらず、耳を傾けない。
 喧嘩腰で熱くなっている北、米、韓は、今話し合いの席につけるときかということらしい。北の謝罪が先だという韓国世論の沸騰もそのとおりだろう。火の粉がふりかからぬように、戸締り用心という次元でしか考えていない日本政府は毎度米国追随で無力だ。 仲裁どころではない。

 康 宗憲(カン・ジョンホン)さんの『死刑台から教壇へ 私が体験した韓国現代史』(角川学芸出版 、2010年9月22日)を読み終った。拷問の描写に息を呑み、死刑判決13年後、釈放の瞬間のページに涙ぐむ。しかし、題名はそういう印象を受けるが著者はそれを言いたいのではない。姜尚中さんとほぼ同じ年で、同じく祖国および「在日」という立場への思慮は深い。彼の場合は、「北のスパイ」などという朴政権当時のまったくのでっち上げによる獄中体験もあって、淡々と語る。韓国社会の長い民主化の流れによってようやく康宗憲さんにたいして、政府はでっち上げで重大な人権侵害事件であったことを認め、再審を進め和解のための適切な措置をとる必要があることを決定した(2010年7月)。今は亡きノ・ムヒョンさんの政権のときに設置された「事実・和解のための過去事件整理委員会」の作業の成果である。

 日本列島には北朝鮮への積極的には制裁と圧力そしてバッシング、或いは消極的には北朝鮮の体制の崩壊を待つそのために何もしない。そういう流れがある。拉致、核、ミサイル、砲撃そのたびに、北への制裁、国の備え、日米安保こそ国の基本、ということが声高に流される。沖縄の普天間ぐらいのことでアメリカを怒らせるなということにも通じる。そして、「在日」への白眼視、いやがらせ、朝鮮高校を無償化からはずせ、不当だということに飛躍する。北朝鮮への制裁の強化(北「朝鮮征伐」だと姜尚中さんは表現する)、そして八つ当たり的な在日へのバッシング。

 姜尚中さんも北との対話・交渉をいくら訴えても、その逆風時には抗しきれないという。それでも、その方策を訴えるという。そのことについて康宗憲さんも具体的に提言していて非常にわかりやすい。紹介した著書は広い視点で示唆に富み一読の価値がある。

 朝鮮半島における半世紀以上の根強い敵意・不信による敵対関係、核武装(北朝鮮は核保有国になったが米国はずっとそれ以前からの核保有超大国である)、軍事的緊張の繰り返し(北朝鮮の無法な砲撃も、1年も前から準備されていた米軍の軍事演習も、双方からみたら挑発行為に等しい)を解消すること。そして、さらには長く続く民族的分断を解消すること。日本の世論は北朝鮮を脅威だと感じている。しかし世界の認識は唯一の軍事的超大国アメリカが世界平和にとって最も脅威となる国とされている。米朝にも日朝にも外交関係はない。小泉訪朝で交渉の糸口はつくられたが拉致問題で挫折したままである。現在の軍事的圧力も含めて、制裁と圧力を強めていく方向では手詰まりであることは、拉致問題ひとつとっても、朝鮮半島における戦争状態の解消にも繋がっていないことは現実である。

 韓国「併合」から100年後の我々にとって歴史的事実を直視すること、不信と対立を解きほぐすこと、朝鮮半島の正常化(平和と統一)に寄与すること、そのために過去に目をつむり、朝鮮半島の北側とはこのまま対話も交渉もせず、なおかつアメリカの軍事的「平和」の傘下からものを考え生きていくことが、東北アジアでいつまでも可能であるものか見直すことが必要であると学びつつある。

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